遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



    三回目を観ました。前半は低調で眠りそうでした。後半 紫のひと 速水さんの歌から一気に盛り上がった。歌が流れを変え、芝居の勢いをつくった。観ていて不思議だったのは月川さんの”麗”......途中から麗はいったいなにを考えているのだろうと”麗”の視点で見ていました。

       男装の麗人 麗を演じた月川さんは男性です。

    初回 わたしは月川さんに対して否定的な意見を持っていました。月川さんだけ おなじ時間軸にいなかった、テンションもまったく違っていて それが不遜に見えました。二回、三回と回を重ねるうちに月川さんがその都度 ニュアンスの違う演技をしていることに気づきました。マヤと桜小路くんと麗のからみが三回観て三回変わる......。興味を惹かれました。
   
    漫画が原作であるということにはさまざまな制約があります。読者の登場人物や原作に寄せるイメージを大事にし、なおかつ原作を知らないひとに違和感を感じさせない、芝居として成立させなくてはなりません。脚本家も演出も原作を芝居にするための努力を惜しみませんでした。主演の三人を筆頭に、出演者は原作に忠実でした。月影先生、執事 歌子さん マヤ 亜由美さんは原作の延長線上にいます。

    そのなかで”麗”と”桜小路くん”だけが違う。(桜小路くんも真面目な優等生タイプの原作とは違って、ボケキャラで 客席の笑いをさそっています。)プログラムを買ってみたら 月川さんはあえて原作を読まなかったそうです。   

    この芝居のテーマは”生きること”と”情熱”のようです。月影先生が速水さんに言う台詞「あなたはなにかに情熱を賭けられるということがどんなにしあわせかわからないのよ」にもあらわれていますが、ガラスの仮面は月影先生とマヤ このふたりの”情熱”に周囲がまきこまれてゆく....相当にKYで浮世離れして勝手なヒロインふたりにまわりの人間たちが引き込まれ影響を受けて 愛憎や葛藤が起きてゆくという流れになっています。

    速水の父は 月影千草の”紅天女”がわすれられず、そのために母を失った速水もまた月影千草の弟子マヤに惹かれ 恋するようになってゆく 親子二代がファムファタルに幻惑され運命を狂わせられてゆくというこわーーいお話なのです。

    速水だけではありません。月影千草の執事 源蔵も月影千草の夢、紅天女を見とどけようと決めていますし、姫川亜由美はマヤにであったがために煩悶し運命を狂わせられたといってもいいでしょう。

    原作は別として この芝居においては”麗”だけが醒めた目を持っているように、わたしには見えました。そして麗の過去 麗が月影先生に抱いている思い マヤへの思いを考えずにはいられなくなった.....”麗”が生きていたからです。麗は 月影先生とマヤの対極にいる。 熱に浮かされたひとびとのなかで たったひとり あたたかいけれど 透徹した醒めた目を持っている。そこにあるのは哀しみ...のように思われました。

    この芝居のテーマ ”生きること”がしっかり観客に伝わったかどうかはわかりません。おおがかりな仕掛けにかえって拡散したきらいもあると思います。 そのなかで、わたしは”麗”という存在が果たしたやくわりは大きいと思うのです。愛する 憎む 嫉妬する 戦う そのせめぎあいのなかで生きてゆく登場人物たち......情熱で自らを煽りながら 混沌をいわれない修羅場を、腕を振り上げ遮二無二進んでゆくしかない登場人物は、そのまま わたしたちの現実の姿にかさなります。

    今日は観客全員がスタンディングオーベーション.....客席にもステージにもおだやかなあたたかい光が満ちているようでした。けれども 明日の千秋楽のチケットを買おうというひとはいなかった。芝居ってほんとうにおもしろい。(一昨日の観客はすばらしかった。舞台と客席の呼吸 観客が舞台に息吹を与えるってことも、たしかにある)そして 歌ってほんとうに力がある。もっと がんばってみようと思います。もっとお客さまを楽しませ もっと聴き手のみなさまの心を揺さぶることをしてゆきたいと心の底から思いました。

    ありがとう。楽劇・ガラスの仮面を企画したみなさん スタッフのみなさん キャストのみなさん いい千秋楽と打ち上げをお迎えください。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




    なぜか 気になって一週間前の観劇の帰り チケットを買ってきたのだけれど.....おもしろかった、よかった、同じ芝居とは思えないほど!!

    これだから 芝居はおもしろい。別の芝居を三回観るより 同じ芝居を三回見るほうが見になることがある。角度とか位置とか変えてみると余計おもしろい。今日は左から観た。正面から見るより立体的に見える。

    ステージと客席をあわせた全体が舞台になっている。客席でせりふのやりとり 通路が花道になったりする。それが とてもはっきりわかった。彩の国劇場の大ホールは決して広くはない。だがステージの奥行きはひろい。そこを知り尽くした蜷川さんの構成だった。今日は歌もよかった、思いをつたえたい、そこが歌になっている。

    語っているうちにうねりのように歌になる。月影先生の尾崎一蓮・演劇への想い 速水さんのマヤへの想い、歌子さんのマヤのヘレンに寄せる想い マヤと亜由美さんの演劇という道への想いが切々と伝わってくる.....それぞれの役者 主役も脇もその他大勢にも見せ場が用意されている。蜷川さんの役者への目線はやさしい。前回にくらべて今日の観客は観客そのものが劇に出演、参加しているという状況をたのしんでいた。

    前回とせりふとか微妙に違ってもいた。今日はマヤと亜由美さんの演技の差が見えた。この芝居のメッセージ....演劇とはなにか、なにができるか....昇華作用、カタルシス ひとがひとに手をさしのべることなどもしっかり立ち上がっていた。こうして3週間? ひとつの芝居をつづけられること、練り上げてゆけることがうらやましくもあった。地元の劇団でせいぜい三度、語りにおいたってはたった一度の勝負がほとんどだ。演目によっては、後にも先にも生涯一度で終わってしまうものもある。

    芝居はハーモニーである。その日の観客 その日のコンディション 裏方さんや出演者たちのコンビネーション.....今日はほんとうによかった。客席にさざなみのような笑いが幾度もあがった。.......感じたのはわたしだけではなかった証拠に 前回 ひとりもいなかったチケット売り場に 終演後、残りの上演日のチケットを求めるひとたちが行列していた。.......いい芝居をすればお客はかならずきてくれる。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




    今日は50号線はやめて ひたすら125号線。おむすび・サンドイッチ・水筒持ってでかけました。沼森の鷲神社 村社ですが由緒ある神社のようでした。気がピンと張り詰めていて 木々が端然と立っている。木と交流するうちに泣けてしまいました。ありがとう、ありがとうございます。おみくじをひいたら大吉でした。

    八幡神社 筑波神社 を参拝 ガマの油売りを見学 土浦にむかいました。目的地の霞ヶ浦につくまえに 大きな池のある 人の気配のない公園をみつけてのーーんびりしあわせな時間でした。

       地上でいちばんうつくしいもの....それは木


        木は空に向かう


       筑波山のちかくで



       空に舞いあがる



     


       土浦のちかく もうすぐ霞ヶ浦


       水辺


     


     空と木と清い水のあるところ ........



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




    みなさまはコミケットをご存知でしょうか?コミケットはコミック+マーケットの造語でしょうか?世界最大の漫画ファンならびにオタクのためのイベントです。そのコミケットがなぜ生まれたか....みなさまにご紹介しようと思います。

    漫画ファンのための漫画専門誌 それがCOMのキャッチコピーでした。現代漫画の神 手塚治虫が万をじして企てたのです。(いよいよ白土三平のカムイ伝の連載がはじまろうというガロに影響を受けたようです。ガロもまた新人発掘を積極的にしていました。)

    1967年1月 創刊 わたしたち漫画ファンは一日千秋の思いで創刊号を待ちました。手塚治虫の過去現在未来をつらぬく大連載「火の鳥」スタート 実験的な石ノ森章太郎のジュンのファンタジーワールド 伝説のときわ荘ものがたり......時代が変わる予感がしました。

    COMは漫画家をめざす若いひとたちの希望でした。商業紙へのデビューの第一歩となったからです。これはという若い作家の作品を積極的に掲載したばかりでなく、ぐら・こんでは真崎守が「峠あかね」名義で漫画評論を行い、また全国規模の同人誌を組織していました。ぐら・こんはあたらしい漫画をめざし漫画家と予備軍とファンと批評家を結ぶ場所にもなりました。岡田史子や樹村みのりの作品が耳目を集めました。矢代まさこの作品もCOMや姉妹紙ファニーに多く掲載されました。

    わたしの見解では少女漫画は萩尾望都によって 本来持っていた翼をひろげたのです。そして萩尾望都とそれにつづく少女漫画家群は一時は少年漫画を凌駕し、漫画だけでなく演劇や映画、小説なども揺さぶり影響を与えました。手塚治虫・岡田史子・矢代まさこ・樹村みのりは萩尾望都がもっとも影響を受けた漫画家でした。萩尾さんの作品も「ポーチで少女が子犬と(投稿作品) 10月の少女たち(原稿依頼から)がCOMに掲載されました。


☆COMの刊行期間は、1967年1月号 から1971年12月号です。最後のほうはあまりおもしろくありませんでした。1973年に8月号として、1号だけ復刊された(1973年8月1日発行)が、その後、虫プロ商事は倒産しました。

☆萩尾望都の年譜
1969年 ルルとミミ すてきな魔法

1970年 クールキャット 爆発会社 ビアンカ ケーキケーキケーキ

1971年 ポーチで少女が子犬と ベルとマイクのお話し 雪の子 塔のある家 花嫁をひろった男 ジェニファの恋のお相手は かたっぽのふるぐつ かわいそうなママ 精霊狩り モードリン 小夜の縫うゆかた ケネスおじさんとふたご もうひとつの恋 10月の少女たち 秋の旅
白き森白い少年の笛 11月のギムナジウム セーラ・ヒルの聖夜 白い鳥になった少女

1972年 あそび玉 みつくにの娘 毛糸玉にじゃれないで すきとおった銀の髪(ポーの一族) ごめんあそばせ! ドアの中のわたしのむすこ 3月ウサギが集団で 妖精の子もり 6月の声  ママレードちゃん ポーの村(ポーの一族) グレン・スミスの日記(ポーの一族) ポーの一族 とってもしあわせモトちゃん ミーア

1972年 萩尾望都は堰を切ったように作品を発表 のちの萌芽がすでにそこにありました。COMは役割を終えたように虫プロ商事の倒産とともに姿を消します。

    グラコンはなくなり 漫画家予備軍ならびにファンは行き場を失います。グラコンの継承者はあらわれず 受け皿として 漫画大会が開かれます。漫画大会はSF大会を模して開催されたコンベンション形式の漫画イベントで入場者有料-申込みで合宿あり、内容はスライド講演・作家挨拶・パネルディスカッション・ファン賞選定・オークション・ファンジン即売。1972年7月のことでした。

    ところが 漫画大会は思わぬこと(参加者の投書)から頓挫、4回で終わりを告げ そのあとをコミケットが引き継いだのです。初回コミケットは1975年12月21日のことです。このときの代表が原田央男さん(ペンネーム 霜月高中.....11月のギムナジウム...高等中学校をもじったもの)と米澤嘉博さんでした。米澤氏は少女漫画の収集家 批評家でもありました。

    しかしながら コミケットは主催者も思わなかった変貌をとげるのです。あたらしい漫画をめざし漫画家と予備軍とファンと批評家を結ぶ場所からお祭りの場へ 大きなお金の動く場へ......一番大きな変化は...参加者が漫画を描くこと 漫画家になることから 参加する 遊ぶことへの圧倒的なシフト替えでした。同人にしてもパロディがふえ、同人誌、グッズの販売やコスプレなど文字とおり巨大なマーケット・市場になったのです。

    漫画を描きたいという情熱の中身はいったいなんでしょう? 自分のなかにあるふつふつとたぎるものを外に出したい欲求、あたらしい世界観の創出と言ったら過ぎるでしょうか。その目的が作品を世に送り出すことから すでに世に出た既存のまんがの周辺にたむろし 擬似的亜流的世界に身をゆだねることへの変換 そこにコミックマーケットの成功も逆にいえば失敗もあったのではないでしょうか。


    ひさしぶりに 真崎・守の”連作・錆びついた命” を見ました。商業紙...少年マガジン....でこれが連載できた時代にいたことをわたしはうれしく思います。(光る風も衝撃でした)今日 内山まち 千明初美 ささやななえ を読みました。新城さちこさんを読みました。漫画もまた読むひとの心を癒し揺さぶり 生きる力をよみがえらせる力を持っています。あたらしい漫画家 を待望します。


昔 漫画大会とうイベントがあったは→コチラ  


    

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




     知り合いの子がコミケットに行ったと聞いて、昔むかしを思い出しました。アレがホントはいつのことだったんだろう・・・・原田央男さんと会ったのが先だったのか、一樹さんと会ったのがさきだったのか......原田さんは当時”モトのとも”という萩尾望都ファンクラブを主宰していた......

     ともあれ 萩尾望都ありき、大島弓子ありきだった。大島さんのファンクラブをたちあげて公認をもらって ごくわずかのあいだのことだった。その大島弓子ファンクラブのメンバーにコミケット創始者の原田央男さんと米澤嘉博さんがいた。原田さんは当時浦和に住んでいて、わたしも浦和に住んでいたから会ったのは西口のガード下の喫茶店で、その店は煤けているけどまだあって、夜は酔客の休み場所になっている.....

     わたしがはじめて行ったのは太田産業会館だと思っていたけれど、どうやらその前身の漫画大会だったらしい。「1974年7月23日 同人アニメ 11月のギムナジウム・ダイナビジョン 完成」とあるから 参加したのは 1973年8月4日(土)~5(日) に開かれた第二回 場所は新宿・四谷公会堂。宿泊は駿河台ホテルで ホテルまでアニソンをたからかに歌った高揚感がよみがえる....

     翌日もそのままの勢いで 水野英子さんのファンの部屋に泊まった。アシスタントをしている長身の看護師さんもいっしょだった。岩崎一樹さんは同人誌の花形だった。.....やおいの走りみたいな作品を同人誌に画いていた....といっても 美少年や美青年の過去はしっかり描かれていたと思う。着物の流れるような線が画けるひとだった。

     11月のギムナジウムの声優のオーデションも四谷公会堂で開かれた。一樹さんはナレーション、わたしはエーリクとトーマのママに首尾よくえらばれ(オスカー役の女子大生が実によかった)、それから繰り出したのは新宿の雑踏....70年代の新宿は猥雑なエネルギーに満ち満ちていた。マンモス地下喫茶カトレアは小学校の校庭くらいの広さがあって、そのすみでわたしたちは越し方 ゆくすえを語り合った。

     一樹さんは漫画家になるために家を出た、そして画き続けていた。いつも黒い衣装をまとい一歩一歩踏みしめるように歩いていた。.....わたしはまだまどろんでいたけれど 彼女はまっすぐ行く手を見据えていた。それからわたしたちはよく会うようになった。池袋西口の”ケルン”での一夜は忘れることがないだろう。鏡を見詰め合うようにことばを交わす、ひとことひとことが 鋭い刃のよう 陽に煌くオレンジのよう....わたし深い井戸の底に降りていった、、、水底に映っていたのはわたし、わたしの運命だった。一樹さんは言った。「ルカ 生活することよ」.....ルカとは当時のわたしのペンネームである。

     それで わたしは 生活をはじめた。眼鏡をかけることにし ぼんやりした薄闇の世界からあかるいそと(下界)に出た。アパートを借りひとりぐらしをはじめた。めくらめっぽう なにか探し始め、もしやと思うものは棘があってもなんでも掴んでみた。手痛い傷を追いながら ......コレが生きること 目くるめく痛みに似た酩酊のなかに実はわたしは居ただけだったのだけれど.....そのころ書いたメモを見つけた......上り電車のつり革につかまって窓の外を眺めていた....とても疲れていた....すると前に座っていた青年が 「どうぞ」と席を譲ってくれた。そのひとはとても痩せていた。「あなたもお疲れでしょう....」というと
そのひとは「あなたはぼくより ずっと 遠くに行くのでしょう、どうぞすわってください」と言ったので 座らせていただいた.....。

     二度、死にかけた。ふつうの女(ひと)の三人分くらい生きた.....思い出すだに 修羅場の連続でよくここまできたものと思う。一樹さんはこれもカリスマのアニメーターと結婚し、わたしは時折 鷺宮のアパートの一室をたずねたけれども、次第に疎遠になっていった。.....あの日電話がくるまでは........

つづく.....

おまけ

1972年 漫画大会少女マンガ投票
①アラベスク②空がすき③11月のギムナジウム・風の中のクレオ同数④真由子の日記 ⑤二人は恋人・おれは男だ!同数

1973年
①ベルサイユのバラ ②ポーの一族 ③アラベスク ④空が好き ⑤雨の音がきこえる

1974年
①小鳥の巣 ②ベルサイユのバラ ③エースをねらえ ④ジョカへ・・・⑤つる姫じゃー 
1975年
①トーマの心臓 ②ファラオの墓 ③銀河荘なの ④エースをねらえ ⑤海にいるのは      

萩尾望都 4回 大島弓子3回 竹宮恵子3回(同作品)山岸涼子2回(同作品)池田理代子2回(同作品)山本鈴美香 (同作品)
木原としえ・津雲むつみ・大和和記・土田よし子・一条ゆかり 他各1回

.....「二人は恋人」以外はほぼ持っている。あれから35年あまり、こうしてみると時代の波にさらされて残る漫画 消えてゆく漫画が見えてくる。異なる作品でファンの支持を得た萩尾望都と大島弓子の力がわかる。

わたしは第一回大会の”11月のギムナジウム”で漫画に内包された豊穣さ、隠されていた可能性...に驚きそれから4年 少女漫画にに嵌っていた。そして”海にいるのは”で、ファンから足を洗うことはなかったが、実人生に帰ったのだと 今、気がついた。海にいるのは....大島弓子作 いつか語りにしてみたいと思っていた。テキストはできているが まだ語ったことはない。



                                

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




   
   漫画楽劇スペクタル!! とでもいいましょうか。歌あり 踊りあり 劇中劇あり 紅天女の宙乗りどころか、北島マヤと姫川亜由美も宙を舞う サービス満点のお芝居でした。

   夏休みなので楽しませようという心意気は感じましたが、通路を舞台の延長上に使うのはいいけれど使いすぎかな....アカデミー演劇賞授賞式にその日の観客を観客としてとりこむのも 観客が乗っていなかった.....日本人はシャイなんですね。

   月影先生の夏木マリさんはさすが、鍛え上げられた姿態と口跡がうつくしい。なんだか己がボディが恥ずかしくなりました。姫川歌子役の香寿たつきさんも美しかった。総じてルックスは足が長くて顔が小さくて少女漫画の世界....。

   問題は主役ふたりです。.....もともと”役者は仮面をかぶるものではない”から原作にも無理があるのですが、あの大げさな貼り付け演技では観る側の感情移入がしにくい。たのしませようという気持ちはわかるけれど 仮にお客が子どもだとしてもなめてはいないだろうか(マヤ役の大和田さんは一生懸命でした、演出がちと違うのでは....)と思ってしまいました。ガラスの仮面・北島マヤの演技では...大竹しのぶさんが忘れられません。大竹さんはそのままマヤ...今日本の演劇界でいちばん力のある女優さんです。

   オーディションでえらばれたということですが もっと素人で素質のあるひとをえらび 女優に育てていくというのは無理だったのかな.....この演技になれてしまうと藤原タツヤくんみたいにテレビや映画では浮いてしまわないかとつい心配してしまいます。

   劇中劇のヘレンが文字の意味を知る”Water”の場面がよかっただけに 少し余韻がほしかった。カーテンコールを見て月川悠貴さん(劇団月影の麗役)はなにか間違えている と感じたのはわたしだけでしょうか。.....ダメ出しばかりしてしまいましたが 楽しませていただきましたし 参考になることもたくさんありました。月影先生に「演劇は戦いをなくすもの 欲望を浄化し ひとをよみがえらせるもの」というせりふがあって、これは魂鎮め 魂振い そのものだなと思いました。


   お芝居の主役はマヤではなく ズバリ月影先生でした。......帰り ビストロ・やまでコーヒーとサンドウィッチをいただきました。


ガラスの仮面公式ブログは→コチラ   

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




    きのう病院もリハーサルもひと段落したので 中学の図書ボランティアでみなさんが話題にしていた「告白」を読んでみました。

    5人の6つのモノローグで成り立つ小説で 読み終えたあと 全体像が見えるようになっています。作者は当初 第一章森口先生の独白だけで終わらせるつもりだったようですが、全体を見ると 若干の無理は否めません。とくに最終章 には違和感がありました。

    けれども いささかの齟齬は日本のミステリでは有りがちなことです。ミステリには緻密な構成が不可欠ですが 日本には情感・雰囲気・勢いで押してしまう量産作家も数多くおります。ですから そこをとやかくとはいわないのですが 読後感は最悪でした。この本で感動する方、なにかを得られる方もおられると思いますので褒めるならいざ知らず 多くを語るつもりはありませんが、文学の意味は単なる時間つぶしでしょうか。

    新作の語りをする前 多くの本を読むことになります。背景を知れば知るほど深くなるからもありますし 読まずにはいられないなにかがあるからです。それが近年はノンフィクションに類する本が多くなりました。今回は戦争と平和がテーマですから ひとの魂のありようが見える事実のものがたりをたくさん読みました。事実のまえに虚構は色あせてしまいます。だからよけいに 告白 に嘘くささを感じたのだと思います。

    語りとは真実を伝えるもの 事実から真実を伝える そして 虚構から真実を伝えるものでもあります。虚構から真実を伝えるには ものごとの奥を見通す力が必要です。自分のなかに軸が必要です。

    告白のなかで唯一心を動かされたのは 下村直樹という少年が必死で家族を感染から守ろうとするところ そして渡辺修哉の執念でした。.....湊かなえさん 力のある作家だと思います。今後の精進を祈っております。

    

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )