知り合いの子がコミケットに行ったと聞いて、昔むかしを思い出しました。アレがホントはいつのことだったんだろう・・・・原田央男さんと会ったのが先だったのか、一樹さんと会ったのがさきだったのか......原田さんは当時”モトのとも”という萩尾望都ファンクラブを主宰していた......
ともあれ 萩尾望都ありき、大島弓子ありきだった。大島さんのファンクラブをたちあげて公認をもらって ごくわずかのあいだのことだった。その大島弓子ファンクラブのメンバーにコミケット創始者の原田央男さんと米澤嘉博さんがいた。原田さんは当時浦和に住んでいて、わたしも浦和に住んでいたから会ったのは西口のガード下の喫茶店で、その店は煤けているけどまだあって、夜は酔客の休み場所になっている.....
わたしがはじめて行ったのは太田産業会館だと思っていたけれど、どうやらその前身の漫画大会だったらしい。「1974年7月23日 同人アニメ 11月のギムナジウム・ダイナビジョン 完成」とあるから 参加したのは 1973年8月4日(土)~5(日) に開かれた第二回 場所は新宿・四谷公会堂。宿泊は駿河台ホテルで ホテルまでアニソンをたからかに歌った高揚感がよみがえる....
翌日もそのままの勢いで 水野英子さんのファンの部屋に泊まった。アシスタントをしている長身の看護師さんもいっしょだった。岩崎一樹さんは同人誌の花形だった。.....やおいの走りみたいな作品を同人誌に画いていた....といっても 美少年や美青年の過去はしっかり描かれていたと思う。着物の流れるような線が画けるひとだった。
11月のギムナジウムの声優のオーデションも四谷公会堂で開かれた。一樹さんはナレーション、わたしはエーリクとトーマのママに首尾よくえらばれ(オスカー役の女子大生が実によかった)、それから繰り出したのは新宿の雑踏....70年代の新宿は猥雑なエネルギーに満ち満ちていた。マンモス地下喫茶カトレアは小学校の校庭くらいの広さがあって、そのすみでわたしたちは越し方 ゆくすえを語り合った。
一樹さんは漫画家になるために家を出た、そして画き続けていた。いつも黒い衣装をまとい一歩一歩踏みしめるように歩いていた。.....わたしはまだまどろんでいたけれど 彼女はまっすぐ行く手を見据えていた。それからわたしたちはよく会うようになった。池袋西口の”ケルン”での一夜は忘れることがないだろう。鏡を見詰め合うようにことばを交わす、ひとことひとことが 鋭い刃のよう 陽に煌くオレンジのよう....わたし深い井戸の底に降りていった、、、水底に映っていたのはわたし、わたしの運命だった。一樹さんは言った。「ルカ 生活することよ」.....ルカとは当時のわたしのペンネームである。
それで わたしは 生活をはじめた。眼鏡をかけることにし ぼんやりした薄闇の世界からあかるいそと(下界)に出た。アパートを借りひとりぐらしをはじめた。めくらめっぽう なにか探し始め、もしやと思うものは棘があってもなんでも掴んでみた。手痛い傷を追いながら ......コレが生きること 目くるめく痛みに似た酩酊のなかに実はわたしは居ただけだったのだけれど.....そのころ書いたメモを見つけた......上り電車のつり革につかまって窓の外を眺めていた....とても疲れていた....すると前に座っていた青年が 「どうぞ」と席を譲ってくれた。そのひとはとても痩せていた。「あなたもお疲れでしょう....」というと
そのひとは「あなたはぼくより ずっと 遠くに行くのでしょう、どうぞすわってください」と言ったので 座らせていただいた.....。
二度、死にかけた。ふつうの女(ひと)の三人分くらい生きた.....思い出すだに 修羅場の連続でよくここまできたものと思う。一樹さんはこれもカリスマのアニメーターと結婚し、わたしは時折 鷺宮のアパートの一室をたずねたけれども、次第に疎遠になっていった。.....あの日電話がくるまでは........
つづく.....
おまけ
1972年 漫画大会少女マンガ投票
①アラベスク②空がすき③11月のギムナジウム・風の中のクレオ同数④真由子の日記 ⑤二人は恋人・おれは男だ!同数
1973年
①ベルサイユのバラ ②ポーの一族 ③アラベスク ④空が好き ⑤雨の音がきこえる
1974年
①小鳥の巣 ②ベルサイユのバラ ③エースをねらえ ④ジョカへ・・・⑤つる姫じゃー
1975年
①トーマの心臓 ②ファラオの墓 ③銀河荘なの ④エースをねらえ ⑤海にいるのは
萩尾望都 4回 大島弓子3回 竹宮恵子3回(同作品)山岸涼子2回(同作品)池田理代子2回(同作品)山本鈴美香 (同作品)
木原としえ・津雲むつみ・大和和記・土田よし子・一条ゆかり 他各1回
.....「二人は恋人」以外はほぼ持っている。あれから35年あまり、こうしてみると時代の波にさらされて残る漫画 消えてゆく漫画が見えてくる。異なる作品でファンの支持を得た萩尾望都と大島弓子の力がわかる。
わたしは第一回大会の”11月のギムナジウム”で漫画に内包された豊穣さ、隠されていた可能性...に驚きそれから4年 少女漫画にに嵌っていた。そして”海にいるのは”で、ファンから足を洗うことはなかったが、実人生に帰ったのだと 今、気がついた。海にいるのは....大島弓子作 いつか語りにしてみたいと思っていた。テキストはできているが まだ語ったことはない。
| Trackback ( 0 )
|