http://www.mag2.com/p/news/22458
以下転載
東芝の歴代3社長が揃って辞任することになった同社の3年間1,500億円にも及ぶ粉飾決算問題を、ほとんどのマスコミは「企業統治」のあり方を問うとかいう気の抜けた視点でしか論じていない。しかし、これは疑いもなく「原発スキャンダル」である。日本最大の原子炉・関連機器メーカーである同社が政府・経産省と一心同体となって「原子力ルネッサンス」を推進しようとして福島第一事故で挫折、稼ぎ頭だった原子力部門がほとんど頓死状態に陥る中で、海外に活路を求めて悪あがきした挙げ句にその巨大損失を何とか世間の目に触れさせまいとして前代未聞の虚飾に走ったことに根本原因がある。
その視点を早々と提起したのは「週刊金曜日」7月10日号の「東芝不正経理の影に原発事業の不振」で、その後、先週の「週刊朝日」7月31日号「東芝を食い潰した日米の原発利権」、「AERA」8月3日号の山田厚史「大ばくちが招いた無惨/東芝が原発事業で抱える危機的な隠れ損失」などが続いた。
辞任した歴代3社長のうちキーマンは佐々木則夫副会長である。なでしこジャパン監督と同姓同名のこの人物は、原子力事業を東芝の主柱の1つにまで仕立てた功労者で、03年に電力システム社の原子力事業部長に就いて以降、05年に東芝常務、06年に兼電力システム社長となって米ウェスティングハウスの買収=子会社化という大勝負をやってのけ、それをバネに07年に専務、08年に副社長、09年に社長と、1年刻みで階段を駆け上って、東芝の頂点に立った。
リーマン・ショック不況の中、09年3月期の決算では営業損益2,500億円の赤字を出したが、同年6月に社長となった佐々木は「15年度に原発事業の売上げ1兆円」と、得意の原子力を主軸に経営を立て直す大方針を打ち出した。この時が彼の人生の絶頂だったろう。その大方針が成果を上げ始める暇もない2年後、11年3月11日に福島第一原発の爆発事故が起きて地獄の底に落ちることになった。東京電力として最初の原発基地となった福島第一の1号機はGE、2号機と6号機はGE・東芝、3号機と5号機は東芝、4号機は日立が手がけており、ここは言ってみれば東芝・GE連合にとっての「聖地」である。それが吹き飛んだことのダメージは計り知れなかった。
佐々木は、政府・東電の要請を受けて750人もの専門家・技術者のチームを編成して事故処理に当たると共に、メルトダウンを起こして未だに人が立ち入ることが出来ない建屋内に送り込むロボットの開発や、多核種除去装置ALPSの開発と建造にも取り組むが、いずれも失敗の連続で、東芝の技術能力に疑問符が付けられている。ALPSは、毎日300トンずつ増え続ける高濃度汚染水から、現在の技術では除去が困難なトリチウムを除く62種類の放射性物質を吸着・分離させて、一応無害ということになっているトリチウムを含んだ処理済みの水を海に流そうというもの。しかし、これに対しては、トリチウムの生物学的な毒性について全く無害とは言えないという説があり、それを基準値の10倍も含んだ処理水を海に放出することには、専門家から「設計のコンセプトそのものがおかしい」と強い警告がなされており、また実際に放出について漁業関係者などから同意を取り付けられていない。が、それにしても、東芝製のシステムが試運転と故障を繰り返して今以てまともに作動していないのに対して、後から投入された日立製のほうが役に立っていると言われる体たらくである。
さて、石川一郎は、戦時中の化学工業統制会の会長を務めた化学工業界のトップリーダーで、戦後、一万田尚登=日銀総裁の推挙で初代の経団連会長となった。東電の取締役でもあった彼が、熱心に取り組んだのが原子力産業の導入と育成で、経団連会長だった時代に日本原子力研究所理事長となり、55年には米政府が旗を振った「原子力平和利用国際会議」の日本主席代表としてジュネーブに赴いた。56年に経団連の会長を石坂に渡すとすぐに、正力松太郎=科学技術庁初代長官を委員長とする「原子力委員会」が発足し、石川が委員長代理となった。
つまり、日本の原子力体制は、政界では正力、財界では石川を中枢とし、その石川が経団連の会長に東芝の石坂を、経団連の実質的ナンバー2である評議員会議長に東電の菅礼之助会長を、それぞれ据える恰好で始まったのであり、また石坂と土光の20年の後には引き続き新日鉄が2人で10年、その後に東電が4年、経団連会長を務めることになったのである。経団連とは、一皮剥けば原子力ムラそのものなのである。
だから、もし佐々木が次期経団連会長に登り詰めることが出来ていれば、それある意味で順当というか、一皮剥けば原子力ムラという経団連の「本質」に相応しい人事とも言えた。しかし運命は皮肉で、佐々木が「次期経団連会長候補」と言われ出した時にはすでに原子力は、まさに東芝の炉がもたらした福島の大惨事によって、日本ではもちろん全世界的に退潮が始まっていて、それを何とかして食い止めようとすればするほど東芝の赤字は膨らんで巨額粉飾なしには体面も取り繕えないまでに傷が広がってしまい、最後は安倍晋三首相の政治力にすがって切り抜けようとしたのに、今では安倍の政権自身がどうなるか分からなくなってきた。
と言うか、東芝の破滅と佐々木の失脚は、佐々木と組んで原発再稼働と輸出促進を、JR東海の葛西敬之名誉会長と組んでリニア新幹線と新幹線輸出を、「成長戦略」の2本柱にしてきた安倍にとって片足がもげるほどの大打撃であり、だから官邸は「東芝のことは早くなんとかしろ」と焦っている。8月にはいろいろな難題が降りかかってくる安倍の暑い夏になるが(前号参照)、それにさらにもう1つ加わって政権の前途を揺さぶるのがこの件である。
佐々木の夢は見果てぬままに終わり、原子力ムラは壊れていく。そして恐らく、東芝が3人目の経団連会長を握る日は、2度と訪れてこないのだろう。