ついにくつしたがなくなりました。一昨日までは色違いでもなんでもとりあえず手当てができたのですが、きのうから素足でお仕事、素足デストーリーテリング、スッピンでワークショップ、数年前まで日曜も休日もなく、31日フル稼働 そのうえ夜勤という労働基本法無視が年度末の公共事業の状況でした。往時の盛況にくらべれば….売上半減ではありますが、それでも年度末の忙しさは格別です。
そのなかできのうはビウエラレッスン、わたしのビウエラがなぜポツン、ポツンなのかようやくわかりました。一音弾いては確認、一音弾いては響きを確認していたのです。つまりミ、ファ、レ、ミ、ファ、ソ、と弾いていた…..語りでいえば、む、か、し、む、か、し、。ビウエラの演奏も呼吸、語りと同じ!! それに気づいたとき なにかがひろがりました。息を吐きながら弾く….だからフレーズがある。歌いながら弾くのはとても自然なことなのです。なれないとむつかしいけれど…..演奏も想いやメッセージを声ではなく音にのせて手わたす....語りと同じなんだ…..なぜ気がつかなかったのだろう….
今日はやまもとのりこさんのW.S 風さんと演劇集団ポップコーンのひとたちも参加してくれました。やまもとさんはひとりひとりの疑問に答え、ひとりひとりの発声の注意点を指摘してくれました。ポップコーンのひとたちは日頃体育館で活動しているので口跡はうつくしいし、アクセントも美しい、やまもとさんのおはなしでは体育館でマイクなしがいちばん役者さんの発声に負荷がかかるのだそうです。(..戸外はもっときついかも)カタリカタリは情感に頼りすぎているかもしれない、仲間うちで気心が知れているから足りないものがあっても伝わってしまう….そこに頼りすぎているかもしれないと思いました。もっと発声をきっちりやりたい…..と思いました。
声はのりものです。そこにおのずと乗るものがある、そして乗せたいものがある。やまもとさんは努力でつくれるものがテクニックだといいました。乗せやすくするのがテクニックといってもいいでしょう。呼吸の強さがあります。口腔内の反響があります。横隔膜や骨盤底があります。発声のメカニズムを知り駆使できるようにする、それは身体の鍛え+テクニックです。その他に語りやすい場所や環境というものがあります。ひろさや反響、会場の雰囲気、(語り手が)聴き手をよく知っているかどうか、聴き手の年齢層その他のさまざまなレヴェルというものがあり、その障害を乗り越えるのもテクニック=努力の部分があるでしょう。天性だけではないということ、努力で補えると知るのはいいですね。
それでは、おのずと乗るものはなにか……ワークショップのあとお食事会で、いちばんてぢかに発声を変えるのはなにかと問うたとき「それはあなたの人生」とやまもとさんは笑いにまぎらせて言いました。悲しみや喜びをどれだけ味わってきたか、どうやって人生と戦い、また抱きしめてきたか、他者への想い、夢やのぞみ 純粋さ したたかさ 固さ やはらかさ そうした私たち自身の「今」が声には乗ります。それも素敵なことですね。わたしたちの声は唯一無二のあなただけの、わたしだけのものなのです。その声を磨いてゆきたいと思います。
こんなことを申したあとでなんですが、それでもわたしはコンサートに味方の聞き手がほしい。尾松さんからきてくださるとおてがみをいただきました。どきどきします。尾松さんは素晴らしい語り手であると同時に素晴らしい聴き手です。できたばかりの「わたしのディアドラ」を語ったとき、聴いてくださった尾松さんのお顔を今もありありと覚えています。どんなに力をいただいたことでしょう。
きのう水戸先生が「大それたことを語るのだから….」とおっしゃいました。自分の息子さえ救えないわたしにマグダラのマリアが語れるのか、イエス・キリストが語れるのか、こわくなるときがあります。テキストは日日かわってゆき、練習するいとまもなく、23日はもうすぐそこです。聴き手のみなさまのお力をお借りしてはだかで語るしか、やはりないようです。
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