遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



    むさぼるように読んだ。河童・天狗・神隠し。 そして銃後 さらに 木霊・蛇・木の精霊・戦争と木.....

    松谷みよ子さんの仕事。後世に誇りうる仕事である。なにより素晴らしいのは脚色なしで ありのまま 庶民の述懐 つぶやきを たくさんたくさん 文明の洪水が押し流してしまう そのきわに掬い上げてくださったこと。

    あらためて 日本という国 木が泣き 語り 蛇が女人へ想いを遂げんとし 河童がほんとうにいたこの国を想う。精霊たちはいったいどこにいってしまったのだろう。

    そして また そこには きれいごとでないいくさがあった。 ひとというものの弱さ醜さけなげさ、たくましさが小川の底に敷き詰められた小石のように光と影を湛えているのだった。わたしはそのなかをさがし求める。8.11につなぐものがたりのひとつぶ ひとつぶを手にとって吟味し 深く味わう。

    それだけでなくて 「妹たちのかがり火」や「朝鮮人特攻隊」のなかからも選ぶ。......わたしの知らない歴史がある。......本のなかに小泉純一郎の父 鮫島純也の消息を見つけてはっとする。亡霊とであったような......歴史に名を残す....にしても、汚れた名であるならそれは子々孫々にいたる恥である。

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




    スリラーで空前の成功を収め、エンターティナーとして頂点を極めたマイケルの下に莫大なお金がころがりこんできました。マイケルはビートルズの版権を投資の対象としました。それは友人ポール・マッカートニーから以前示唆されたようです。しかし この投資が結果的にマイケルを不幸にしました。ポールもこの版権を買おうとしていたのですが、マイケルが買ったことで不仲となりました。そのうえにCBS・ソニーが金のたまごを生む版権に目をつけました。

    それがマイケル・ジャクソン③で書かれていることです。マイケルを経済的に窮地に陥れるために(版権を買い取るため)、予算は削られ、出されても新曲のプロモーションもされぬようになったのです。かといって契約があるために他の会社に移ることもできず いわば買い殺しにされたのです。CBS・ソニーは日本のソニーとはあまり関係ないようですが、少なくともその頃はひどい会社でした。(マイケルの突然の死でどれだけのお金がころがりこんできたことでしょう。)

    もうひとつの悲劇は莫大なお金をめぐって ハイエナのようにひとびとがマイケルのまわりに殺到したことです。使用人たちはマイケルの屋敷からさまざまなものを盗み、またマイケルにまつわるネタをタブロイド紙に売ったりしました。そして年がら年中訴訟が起こされ マイケルは訴えられていました。マイケルはあまりに無防備でした。
 
    あまり知られませんでしたが マイケル・ジャクソンは生涯に500億円ものお金を子どもたちや恵まれぬひとたちに差し出したといいます。お金でもってマイケルはどれだけのひとをしあわせにしたのでしょう。少なくともふたりはそのお金でいのちを助けられ そのひとりが例のギャビン少年(冤罪事件原告)というわけです。富でもって マイケルがひとびとをしあわせにし、富がマイケルを苦しめたことを わたしは....感慨深く思います。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




    

.......きのうのバンドネオンの演奏が忘れられなくて....演奏だけでなく 曲そのものになにかがあるような気がして 調べていたら フィギュアスケート2010年世界選手権でラウラ・レピスト選手が踊ったのがピアソラの”アディオス・ノニーノ”(甘い編曲でしたが).....だったんですね。

   明子さんも ユリア・セベスチェン選手も”リベルタンゴ”をつかっています。浅田真央さんが踊ったら どんなだろう....と想像してしまいました。


三浦くんの演奏も魅力的だったけれど、やはりきのうの輝きはピアソラの曲でした。胸が締め付けられるような旋律.....苦痛と赦し 不安、悔恨、憧れ、悲しみ.....ピアソラは天才でした。タンゴを変えた男、ピアソラの死とともにタンゴは止まった...といいます。

(以下の映像はフィギュアスケートではありません)

アディオス ノニーノは→コチラ 

リベルタンゴは→コチラ

そしてもうひとつ忘却(オブリヴィオン)→コチラ

それとも.....Oblivion→コチラ 

ピアソラのアヴェ・マリアは→コチラ 

3年前の三浦一馬君のオブリヴィオンは→コチラ

オブリヴィオン→コチラ

ピアソラ中毒になりそう。。。

おまけ ジェフリー・バトルのアディオス・ノニーノは→コチラ

ピアソラ研究家 斉藤さんのHPは→コチラ

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




    14:00から粉川ホールで三浦一馬さんのリサイタルがありました。三浦さんは20歳になったばかりのバンドネオンの奏者....バンドネオンはタンゴの演奏につかわれる楽器です。

     携帯でとりました。粉川ホール 天井 窓はステンドグラス

    粉川ホールは個人のホールです。個人でホールを持てるなんて素敵!! 芸術のパトロンたらんとするのは最高の贅沢ではないでしょうか? まるでその昔の王侯貴族のようですね。 粉川ホールは4間×7間の縦に長いホールで天井がとても高い。音響はよかったです。靴を脱いで入るので、響きが空気伝導だけでなく 足の裏からも伝わってきます。三浦さんは卓越した技術と熱いハートの持ち主でした。しなやかな身のこなしがうつくしい、全身で弾いています。

    アルゼンチン・タンゴをライブで聴いたのははじめてでした。最前列だったのもあるのでしょうか。身体の深奥まで響きに充たされ からだは熱くなる 涙は流れる......指先がかってに踊りだしてしまうのです。音は光そのものなのでしょうね。きのうのヒーリングのあと 首がおかしかったのが 演奏会のあと 治っていました。一曲一曲について 合間にトークでストーリーが語られます。それがとても(語り部として)勉強になりました。

    たとえばリュートの水戸茂雄先生はリサイタルでは 最小必要限度しか語られません。演奏家の仕事は演奏することだとお決めになったように.......それが先生の矜持なのでしょう。それはそれで潔い....でも曲の背景のストーリーを聴くのもよいものです。

    プログラムについて三浦さんは、こういいます。「バンドネオン=タンゴではなく ひとつの楽器として 可能性を追求したいのです。」そのとおり ラプソディインブルーは圧巻でした。バンドネオンひとつでオーケストラのパーツをうたわせる、トランペットの輝き.....才能を感じました。割れんばかりの拍手。現状の打破 可能性の追求、挑戦し続けることは若者の特権です。

    けれども バンドネオンも有名なピアソラも知らなかったわたしが 感動したのはピアソラの三曲のタンゴでした。こんな幸せ あっていいのだろうかと思うほど 至福そのものでした。ありがとうございました。

       本物はもっとすてきです、ステージではとても背が高く見える。


プログラム

①オブリヴィオン
②アディオス・ノニーノ
③グリス・デ・アウセンシア
④さよならのワイン
⑤名もなき英雄
   休憩
⑥ルーマニア民族舞曲
⑦アヴェ・マリア  カッチーニ
⑧タンディ・アンニ・プリーマ
⑨ラプソディ・イン・ブルー
⑩三つのプレリュード

三浦一馬HPは→コチラ

TV 出演予定
トップランナー 放送日 NHK総合/23:30~23:59
心の都へ-スペシャル-美しき古都…千年の旅人 2010.07.11 日本テレビ/16:30~17:25


........夜 帯津病院に向かいました。驚いたことに顔色がピンク色になっていました。
アイスクリーム5さじ食べられたそうです。くつしたをはいていました。神さま ありがとうございます。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




花の24年組に先立つ漫画家のなかで、少女フレンド系の漫画家は絵柄が地味だったし ストーリーも華やかではなかった。それで生活派ではない? わたしは一歩引いてみていたのだが 講談社漫画賞の受賞者には興味津々だった。


里中真智子  1948年(昭和23年)生

1964年第1回講談社新人漫画賞受賞
デビュー作は銀のたてごと。これは未読だが タイトルからして水野英子とおなじである。マヤには水野英子・セシリア(1964) の影響を感じる。くらい空のはては核戦争?がテーマ。 マリアは知っているはキリスト教徒が受けた迫害をテーマにしたもの。王女エレナはここから派生したような気がする。はじめのうちはストイックで理想を追い求める作風であった。絵はあまりうまくはなかったが 作者の想いがものがたりに輝きをあたえていたように思う。

里中真智子オフィシャルサイトは→コチラ

所有作品

1964年 ピアの肖像 マリアは知っている
1965年 くらい空のはて いとしのレナ マヤ


青池保子 1948年(昭和23年)生

1960年、中学一年生の夏休みに、敬愛する少女漫画家の水野英子宅を訪問。その人柄に感銘し、大きな刺激を受ける。
1963年(昭和38年)りぼん『さよならナネット』15歳でプロデビュー。その後少女フレンドで活躍。第一回講談社新人漫画賞佳作
1976年 「イブの息子たち」で絵柄・作風がガラリと変わる。

「死の谷」は好きな作品だった。水野英子のトゥオネラの白鳥(1962)に似ている。

公式HPは→コチラ

所有作品

1964 ローラのほほえみ  ミラ  死の谷
1965 パティばんざい  月まつり  おおキャロル!
1969 青蓮の恋歌

大和和紀  1948年(昭和23年)生

1966年、『少女フレンド』(講談社)掲載の『どろぼう天使』でデビュー  しかしその前に資本漫画で書いていたらしい。デビュー作どろぼう天使はシリーズもの。どろぼうを稼業にしている少年のさまざまな出会いから生まれるドラマ。大和和紀は少女フレンド系の漫画家のなかではセンスを感じる漫画家だった。

所有作品

1966年 どろぼう天使 週刊少女フレンド37号
1967年 星空にこんばんは 増刊少女フレンド4/11号
    星空のエンゼル(扉絵・谷悠紀子) 増刊少女フレンド8/10号
1968年パリのおじょうさん 別冊少女フレンド1月号
  ふたりでお茶を 別冊少女フレンド6月号
1970年真由子の日記
KILLAなど
1976年 薔薇子爵

大和和紀作品リストは→コチラ

谷口ひとみ 1949?1950年生?

1966年、高校2年生で第四回講談社新人まんが賞に入選。受賞作エリノアはとても印象的な作品だった。みにくい少女が主人公の漫画がなかったわけではない。しかしエリノアは並外れていた。仙女の贈り物で一日だけエリノアはカミーリアに変身する。うつくしいカミーリアを愛した王子は 泉に映ったそ真実の姿エリノアを見たとき「君はみにくすぎる」とつぶやく。この瞬間 エリノアは死んだのだと思う。これを描いた作者の心象風景を考えると辛くなるような、自虐的ともいえるものがたりである。エリノアは王子を救うために生命を投げ出す。だがエリノアの死は報われない。

なぜなら王子はエリノアが変身した うつくしいカミーリアを忘れてしまう ふたりのわすれ難いきらめく結晶のような一瞬も忘れてしまうのだから。思い出に残ることもゆるされない、それは全き無である。エリノアは究極の贄をささげたのかもしれないが、だが それは真実 王子のためであったのだろうか。むしろ そのことで自分を救ったのではあるまいか。 逃げたのではあるまいか。今のわたしには エリノアにある種の不遜ささえ感じる。作者とおなじ年頃の頃は若干のわだかまりを感じながらもたいせつに思える作品であったが.....。〆のことば、エリノアは世界で一番幸福な少女だったのではないでしょうか.....それは嘘だと思う。谷口ひとみさんはそのことを知っていたと思う。ひとは傷ついても傷ついても 血を流しも 決して、決して.....。

(追記:この作品で漫画賞を受けた谷口さんは一ヵ月後睡眠薬自殺をなさったそうだ。エリノアには予兆があったのかもしれない。生きて描き続けてほしかったけれど 今はご冥福を祈るのみ。 エリノアは復刻されています。)

所有作品

エリノア (オリジナル)

忠津陽子

マーガレット系であるが 忠津さんはここに置くのがバランスがいい感じがする。初期作品はことの大和和紀に画風が似ていた。デビューは1967年 夏の日のコーラ 
毒がない.....清潔で明るい漫画。

所有作品

1967年 夏の日のコーラ とびだせリタ
1973年 ミリーただいま参上
1968年 ただいま留学中  パパとママは世界一
その他いろいろ

作品リストは→コチラ




コメント ( 9 ) | Trackback ( 0 )




飛鳥幸子の活躍した期間は短かかった。けれども その軌跡はとてもあざやかで 辛口のウィットといい 鮮烈なカットといい 着想のユニークさといい ハチャメチャにもってゆく度胸といい、日本人離れしていた。COMに連載した超短編ホラーの切れ口は血が滴るようだった。漫画界を去ってイラストレーターとして活躍のようだが、わたしたちは飛鳥幸子を忘れない。


    「白いリーヌ」 吸血鬼ものである、白い霧のなかから腕いっぱいの白百合を抱いてあらわれるリーヌのうつくしさ.....愛によって滅びてゆくリーヌ.....

    「フレデリカの朝」 英国人少女 フレデリカの前にあらわれたのは憎きドイツ兵だった。人質にされたフレデリカはなんとかして逃げようとするが、折も折 幼い弟が高熱をだして倒れる。ドイツ兵がとったのは意外な行動だった......フレデリカは撃たれて瀕死の傷を負ったドイツ兵にすがりつく.....→あすなひろし参照

所有作品

連載
1967白いリーヌ フレデリカの朝
1968 恋は銀色 ほほえみをあなたに 恋のメロディ
MissイブとMr.アダム 紳士は甘いのがお好き ハレンチIQ大作戦
1969 ブラボー5人娘 Dr.アシモフの華麗な冒険
短編
いま見ちゃいけない 狂い咲き そして…夜に …赤はお好き?

すべて掲載誌からはずしたもの

飛鳥幸子HPは→コチラ

作品リストは→コチラ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




    樹村 みのり(きむら みのり、1949年11月11日 - )矢代まさこから影響を受けたという。

    1964年、14歳にて『ピクニック』(集英社『りぼん』春の増刊)でデビュー。
    樹村 みのりの登場は岡田史子の登場とは違った意味で衝撃だった。ひとはどういうときに 嫉妬するのだろう。圧倒的な超え難い仕事や作風ににたいしてはひれ伏し 憧憬するばかりである。もしかしたらがんばって届くかもしれない才能、届かないにしても ある種の注意深ささえあれば 自分でも気づけたかもしれない視点 あるいは描きたかったものがたりの先を越されたとき、嫉妬するのではないだろうか.....。 今思えば わたしは樹村 みのりにすこしばかり 嫉妬していたのかもしれない。といっても近くに見える山が実ははるかに遠いのである。

    樹村みのりや矢代まさこにたいして わたしの中には屈折した想いがある。それでいい.....だけどそればかりではない....という感情。卑近なささやかなものの細部に神は宿るのかもしれないが、天翔ける翼が....臈たけた美しさが.....地に囚われた人間の営みから矢のように放たれた憧れが.....少なくとも地上と天井と二つの秤のバランスがほしかった.....それはもう好みの問題に過ぎないのだけれど......

    ピクニックはそれまでのまんがとは一線を画したまんがだった。ものがたりは事件があってはじまる。しかし 樹村 みのりのまんがにはそれほどだいそれた事件は起きない、日常のなかに淡々とはじまり 多くはひそやかに終わる。もちろん登場人物のこころのなかでドラマが起こる........樹村 みのりの作品のなかではなにが起こり なにが語られるのか?

.......幸福....こうふく....とはなにかが語られるのだ。そして読むわたしたちはリアルにものがたりを生き こうふくとはなにかを味わい あるときは研ぎ澄まされた刃のようにつきつけられるのだ。樹村 みのりほどこうふく ということばにふさわしい漫画家はそうはいない。

    樹村 みのりは短編作家である。唯一 長編といえるものは ”あした輝く星”。この作品は出版社の要請でテーマが決まったのだろうか? 田舎から出てきた少女が悩みながら女優になるまでのものがたり...樹村みのりにしては異質である。同じテーマを扱った水野英子の”ブロードウェイの星”(私的少女まんが史②)は週刊マーガレット 1967年38号~1968年18号に掲載された。月に4.5冊出るとして38号というと9月頃か? ”あした輝く星”はそれに先立つりぼんの4月号...3月発売 ......水野英子がインスパイヤされた可能性が高い。(ガラスの仮面..美内すずえ....は1976年1月から)

    この作品が画期的だったのは主人公の容姿....と演技についての考え方....この項はあとで書きたいと思う.....さて 会合にでかけるので 強引にまとめる。

    樹村みのりのソースはほんのちょっとした断片 幼い日の記憶 日々の暮らしのヒトコマ 新聞や雑誌の一行....ではないかとわたしは想像する。(姉弟のはなしが多い)樹村みのりはそのちいさなかけらをあたため 心のなかで結晶化させ 作品にする。病気の日の冒頭....

........病気の日ってステキなの......だってね 好きな時間まで眠っていられるでしょ

........病気の日ってステキな日 だって おとうさんとおかあさんがとってもなかよしに見えるんだもの......そしてラスト

........だけどきょうは病気の日.....きょうは魔法がつかえる日

.......これは幼稚園から小学校時代の「病気でやすんだ日」のわたしの気持ちそのものだった。

そして もうひとつの視点 一見善なる平凡なひとのなかに棲むひとりよがり 心の弱さ 他者を不幸にしてしまうかもしれない種子を 樹村みのりは過酷なまでに わたしたちの目につきつける。”まもる君が死んだ!” ”開放の最初の日” それだから わたしは樹村みのりの作品を前に 目を瞑ってしまうのかもしれない。

  


今 所有している作品

1967(昭和42)年 あした輝く星 りぼん4~6月号

1969(昭和44)年 おとうと COM 9月号
1970(昭和45)年 まもる君が死んだ りぼんコミック5月号
        解放の最初の日 COM 5・6月合併号
病気の日 りぼんコミック8月号
海へ・ ・ ・ りぼんコミック9月号
1971(昭和46)年 冬の花火 りぼんコミック2月号
跳べないとび箱 りぼん5月号
おねえさんの結婚 COM 9月号
こうふくな話 COM 12月号
1976(昭和51年 姉さん 別冊少女コミック6月号

        翼のない鳥 
        贈り物
        雪どけ
  

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




① アブラハム

紀元前19世紀、西アジアからアフリカ東北部に居住していた遊牧民セム族のアブラハムの前に神が現れた。神はアブラハムとその子孫に、カナンの土地を永久に与えるから、その地へ向かうように命じた。

② 十二(十三)氏族

このカナンの地こそ、現代のイスラエルである。カナンの地へ移ったアブラハムの孫ヤコブから、12の氏族が生まれた。しかし、飢饉が起き、諸部族はエジプトへ逃れる。その子孫は400年にわたって奴隷とされ、ピラミッド建築などの使役を担わされていた。

③ モーゼ、エジプト脱出

モーゼは、神の言葉に従い、全部族を率いてエジプトを脱出、彼らは再びカナンの地へ帰ることができた。

④ 北イスラエル王国と南ユダ王国

紀元10世紀は、ダビデ王、ソロモン王によって、イスラエル王国は栄華を極めた。しかしソロモンが死ぬと部族間抗争が起こり、10氏族が属する北イスラエル王国と2支族による南ユダ王国に分かれた。北イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされ、10氏族は世界に散らばっていった。これを失われた10支族という。

⑤ ユダヤ人への迫害

南ユダ国の2氏族はキリストを売ったユダのことから様々な国で「ユダヤ人追放」という迫害をうけた。(ユダヤ教がキリスト教の母体であるため かえって迫害されたという説もある。)ユダヤ人達は、地中海各地や北アフリカに離散した。つまり、彼らを祖とする人々が、スファラディ系ユダヤ人、セム族の末裔である。

⑥アシュケナージ系ユダヤ人

6世紀から11世紀にかけてカスピ海と黒海にまたがる広大な地域にカザール帝国が栄えていた。7世紀、カザール帝国はキリスト教・ビザンチンから圧迫を受け、他方ではイスラム教・アラブの圧迫を受けた。普通ならどちらか一方につくのだが、彼らはそうしなかった。その二つの勢力の根本はユダヤ教である。カザール人は国家を挙げてユダヤ教に集団改宗したのである。カザール帝国は、その後、北方のルス人(後のロシア人)に侵略され滅亡する。ユダヤ教を信奉するカザール帝国のひとびとも流浪の民となる。これを、アシュケナージ系ユダヤ人といいセム族のユダヤ人とは人種的に異なる。つまり ユダヤ人はひとつの種族ではない。

⑦二種類のユダヤ人

A アブラハムの末裔であるスファラディ(旧約聖書のユダヤ人)イスラム系 東洋人 下層の暮らし ブルーカラー 一度もイスラエル首相になったことがない。50万人
B カザール帝国の末裔アシュケナージ ヨーロッパ系 白人 エリート層 政治家 医師 マスコミ 1100万人

⑧  イスラエル建国

  アシュケナージによって建国運動(シオニズム)が起こった。1948年に、パレスチナ(アラブ)人の知らない間に「パレスチナの土地は、ユダヤ・イスラエル人の所有地だ!」と数千年前の所有権を主張し、住んでいたパレスチナ(アラブ)人を武力で強制排除して建国した。第二次大戦中に戦費をユダヤ人協会から得ていて建国を約束していたアメリカはイスラエルの主張を支持し支援した。

⑨ 現代のイスラエル

現在、イスラエルでエリートとして活躍しているのは、そのほとんどがアシュケナージであり、スファラディはブルーカラーとしての仕事に従事していることが多い。経済界や最先端科学で活躍する人々もやはり、主にヨーロッパからアメリカに移住したアシュケナージである。
イスラエルは1948年以来 パレスチナの人々から土地を奪い 着実に領土を拡大している。
イスラエルのガザ地区封鎖の狙いはガザ地区の豊富な水と沖合いのガス田と言われる。
近年 イスラエルの学者がパレスチナの人々こそ ほんもののユダヤ人であると発表した。

⑩ イスラエルとアメリカ

アメリカの経済を牛耳っているのはアシュケナージである。彼等はあたまがよい、アシュケナージの有名人 政治家キッシンジャー、俳優チャップリン、科学者アインシュタイン、ハイネ、マルクス、フロイト.....

アシュケナージ系企業 化粧品では、20世紀中頃に全米の三大化粧品メーカーの地位にあった「ヘレナ・ルビンシュタイン」(1928年設立)、「マックス・ファクター」(1929年設立)、「レブロン」(1932年設立)、全米最大の不動産王であるティッシュ兄弟 

映画界ではMGM、二十世紀フォックス、ワーナーブラザース、パラマウント ディズニー社 スピルバーグ、キューブリック、ウディ・アレン、カーク・ダグラス、エリザベス・テーラー、ナタリー・ウッド 山のようにいます 

テレビ出版などメディアは総なめ....ニューヨークタイムズ フォーブズ ウォール・ストリート・ジャーナル ネット関連 インテル デル マッキントッシュ セガ 衣料ではリーヴァイス ギャップ ラルフ・ローレン カルバン・クラインも

.....金融ももちろん.....ゴールドマンサックスとか....ロスチャイルド P.C.モルガン チェイス 軍産複合体も....

つまりアメリカ=アシュケナージ アメリカはアシュケナージの道具 世界から見ると......イスラエル=アメリカ=イギリス=日本.....日本はお金のために戦争を仕掛けるアメリカと同じ仲間とみなされている 恥ずかしい国なのだ。

⑪日本とアシュケナージ

日露戦争の戦費を貸してくれたのはアシュケナージである。名前はわすれた....理由はロシアのユダヤ人が迫害されていたため.....→戦争で疲弊したロシアに革命が起きた。

⑫日本と十氏族

日本の歴史に大きな足跡を残した秦氏はユダヤ人であった。秦氏がつくった平安京はエルサレム(平安の都)を模したもの。葵祭はノア(箱舟)が陸地を見つけた日。
秦氏は日本中に神社を建てた。八幡神社など....石神が祀られた元からのパワースポットに建てたのである。(神道のもとはユダヤ? 古神道は物部まで....といわれるが わたしが感応するのは天津神の社より国津神の社 それより石神や木そのもの。これはどう考えればいいのだろう)
天皇家のルーツはヘブライにあるという説がある。→物部? 元伊勢神宮 籠...この...神社(真名井神社)の神宝は真名のつぼ 裏紋はダビデの六芒星、京都市の紋も六芒星ににた六弁の花。

.......イスラエル建国のとき 首相は世界に向けて「すべてのイスラエル人よ 約束の地に帰れ」と呼びかけ、世界中から勇んでひとびとが集まった。ところが唯一 呼び声にこたえなかった国があった。それが日本といわれる。日本にはユダヤ人、それも12支族とは別の祭祀をつかさどるレビ族もわたってきていたのだが、日の本のひとたちとすっかり混ざり合い ひとつになって ユダヤ人という自覚を持たなかった。

   イスラエルは日本に親近感を抱いているようだ。日ユ同祖論はイスラエル側から出た。かって駐日イスラエル大使 エリ・コーヘンは日本中を視察した、四国の剣山、諏訪神社など日本にユダヤのひとびとが渡ってきた形跡があるためである。しかし仮に同祖としてもそれはスファラディ・ユダヤ人であって アシュケナージではないと思う。日本人のルーツを考えるとき日本はイスラエルに対して 世界の平和にたいしてできることがあるのではないか。失われた歴史を探ることと、ありうべき未来を夢見ることはつながっている。


アメリカビジネス界のユダヤ人の実態は→コチラ

ユダヤ人とは→コチラ

栄華を極める地上最大のロスチャイルドは→コチラ

世界の金融を支配しているロックフェラーとロスチャイルドは→コチラ

アメリカを食い物にする軍産複合体は→コチ

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )




   この方については競技者としての功績よりも

① 日本のマスコミの偏向 恣意的な報道 電通の存在を世に知らしめた。
② フィギュア競技の採点の問題点をあらわにし、ジャッジ買収が可能であることを知らしめた。
③ ダブルアクセルで点数を稼ぎ、トリプルアクセルを二回跳ぶ浅田真央さんの点数を軽く超えるどころか、なお且つ四回転の天才それも男性のプルシェンコの点数さえしのぐことが可能であることを知らしめた。

という功績があるという印象があります。”あげひばり”は儚い夢でした。

バンクーバー五輪のあと 現役引退プロ転向を表明しましたが、このたび撤回の模様です。本人も言っているように「ほんとうは競技は好きじゃない」......フィギュアスケートが好き....挑戦し続けたい というアスリートとしての軸があるのではなく フィギュアがもたらす栄光や賞賛....そして富が好きなのかもしれません。練習して勝てそうな見込みがあれば復帰するつもりのようですね。競技者として正々堂々と戦い 他の選手を愚弄することをせず 謙虚に技と心を磨き その演技で感動させていただきたいと切に望みます。

現役続行か!?ニュースは→コチラ
ルール改正に理解できないと不満は→コチラ

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




矢代まさこは昭和22年、花の24年組にほんのすこしさきがけて生まれ 15歳で貸本漫画でデビューしました。貸本漫画の終わりのころの花形であり 商業誌とふたつの媒体を生きた漫画家です。貸本漫画では26冊つづいたようこシリーズ(さまざまな「ようこ」を主人公にした連作漫画)が有名です。わたしのなまえがようこであったこともあってようこシリーズをほぼ全巻持っていました。かさばるので7冊を残して処分してしまったのが今となっては残念です。(一時は1冊4000円から9000円という高値がつきました)ようこシリーズでは”見えないながれ”と”ピーナツをひとつぶ””笑ってごらん”が好きです。

見えない流れは幼い少女が家族の復讐をするものがたり、笑ってごらんは少女の再生のものがたり.....とても鮮烈でした。

   その後別冊マーガレットに登場、COM ジャンプ、キング、チャンピオンなどの少年誌、青年誌で矢代まさこは果敢な挑戦をつづけました。女性が男性誌に書いた草分けではなかったかと思います。西谷祥子が高橋留美子について 男女の垣根を越えた漫画家があらわれた(それが望みだったが先を越された)感慨を書いていましたが、少年誌に掲載されることは女性漫画家にとってひとつの夢であったのではないか、それを最初にしてしまったのが矢代まさこではないかと思います。

   貸本まんがで活躍した新城さちこさんが夫君山本まさはるさんの姉であると知ったのは 近年のことです。新城さんは生活に根ざしたテーマを鋭く描く漫画家で社会派でもありました。矢代まさこは新城さちこにから影響をうけたようです。新城さちこの漫画にはキラリ光るものがありましたが、絵柄が地味だったので捨ててしまったのがこれも残念です。

    生活に根ざした明るいコメディー、家族や動物がある苦難を乗り越えてふたたび歩き出すというテーマが印象に残っています。またそれとうらはらに ひとの心に潜むトワイライトゾーン.......自分でもわからない薄青い闇を描くことのできる漫画家でした。後半の作品から感じるのは、たとえばヤツデの木の下 薄暗がりにひっそり咲く白い花のイメージです。日本固有のものといわれる私小説に似たこまやかなひそやかな湿った匂い.....それは独特のものでした。いつのまにか指をすり抜けていったしあわせ....のようなテーマ....商業誌では書けないものがたりをファニィ などで書いたのでしょうか。すこし昔の日本の少女の揺れ動く思春期....清潔な首筋 かすかなせっけんの匂い うちに秘めた秘密....がこれほど似合うひとを知りません。

    作品はほとんどが自分のなかから生み出されたもの...創作のひとでした。再話というとジェイン・エアしか思い浮かびませんが、力のこもったものでした。この作品ばかりではありませんが、畳み掛けるような緊迫感 主人公が心理的に追い詰められるシーンが秀逸 のちの漫画家が参考にしたのではないかと思います。男性の描き方は類型的でした。のちに睦月とみの名で書きましたが それらの作品はとってありません。......名前を変えれば中身も変わるような気がした.....という後年のコメントが心に響きます。

    樹村みのりは矢代まさこの影響をもっとも受けたひとです。もっと光をいれて明るくして影と光のコントラストをつけ ひとの闇をより社会にひろげたひとでした。矢代まさこは萩尾望都が 横山光輝 水野英子 とおなじように模写し 初期に強く影響を受けた漫画家でもありました。

画像はあとでUPします。

所有作品

1965年 
しあわせの後姿 (単行本) ようこシリーズ 4  
見えない流れ (単行本) ようこシリーズ 5  
ジョオの青い星 (単行本) ようこシリーズ 14  
歌うこがらし (単行本) ようこシリーズ 17  
1966年
ちびっこ聖者 『別冊マーガレット』 10月号 24
ミミー,みっつ 『別冊マーガレット』 12月号 31
ピーナッツを一粒 (単行本) ようこシリーズ 20  
よっこヒヨッコ逃亡記 (単行本) ようこシリーズ 21  
ママに乾杯 (単行本) ようこシリーズ 22  
笑ってごらん (単行本) ようこシリーズ 23  
おはぎのお嫁いり (単行本) ようこシリーズ 26  

1967年
ゲンの吹雪 『別冊マーガレット』 1月号 24
子象のデイト 『別冊マーガレット』 2月号 31
ジーン・ブルース 『別冊マーガレット』 4月号 16
こねこのピアノ 『週間マーガレット』 24号 29
えくぼがお似合い 『別冊マーガレット』 6月号 30
虹どろぼう 『別冊マーガレット』 8月号 48
ミセス・モンローのお嬢さん 『別冊マーガレット』 9月号 31
水晶のフェアリィ 絵物語『別冊マーガレット』 10月号
トルウラブ ひとりぼっち 『週間マーガレット』 39号 29
サチのポプラレター 『週間マーガレット』 43号 ~48号
イブのらくがき 『別冊マーガレット』 12月号 24
赤い風船 『マーガレット増刊』 12/14増刊 7
キキの新しい歌 『別冊マーガレット』 1月号 24
水晶の山 『別冊マーガレット』 2月号 6
石の花 絵物語『別冊マーガレット』 3月号 6
短編シリーズ 1 蝶々の泣いた夜 『COM』 6月号 16
短編シリーズ 2 笑いかわせみにいえない話 『COM』 7月号 20
短編シリーズ 3 歌うたう里子 『COM』 8月号 20
短編シリーズ 4 わが名はボケ猫 『COM』 9月号 20
短編シリーズ 5 クモの糸 3話 『COM』 10月号 22
短編シリーズ 6 ここちゃん 『COM』 11月号 16
短編シリーズ 7 5匹と2人の物語 『COM』 12月号 24
ほおずきの歌 少女コミック 6月号 31
パパと7人の仲間 少女コミック 8月号 53
おんぼろデュエット 少女コミック 10月号 31
1969年
短編シリーズ 8 シャボン玉 『COM』 1月号~3月号 71
短編シリーズ No.9 影を落とした・・・・・・ 『COM』 4月号 20
短編シリーズ No.11 熱・すすき・白い闇 『COM』 6月号 20
短編シリーズ 最終回 まり子の涙 『COM』 7月号 20
ノアをさがして 『COM』11月号 48
愛と感動のシリーズ 4 白神 週刊少年マガジン12号 30
純愛シリーズ① ひとときだけ・・・ ファニー 創刊号 16
純愛シリーズ② 6月は、もの想う ファニー 6月号 16
純愛シリーズ③ 永久花の死 ファニー 7月号 16
純愛シリーズ④ ひぐらしの季節 ファニー 9月号 16
純愛シリーズ⑤ 風が通りすぎる・・・ ファニー 10月号 16
純愛シリーズ<最終回> 何処の波に・・・ ファニー 11月号 16
ジェーンエア ジュニアコミックス 5月号(通巻9号) 163
イルカのくる島 りぼんコミック 9月特大号 31
1970年
トムピリビに会った? 『デラックス・マーガレット』 春の号 30
シークレット・ラブ 『デラックス・マーガレット』 冬の号 31
風のある絵 『COM』昭和45年 3月号 24
イルカのくる島 別冊ファニー 7月号 31
ひいらぎ 『COM』 1月号 24
エミのストールのこと 『COM』 4月号 24
うそつき鏡 『COM』 10月号 24
1974年
雪の夜に聞かせて 月刊ファニー 5月号 32
矢代まさこよみきり劇場(1) 赤い実たべた!? 週刊少女コミック 8月19日号 40
1975年
かわいそうなイヴォンヌ! 週刊少女コミック 10月12日号 40



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )