怒涛の3週間が終わり 公演もひと段落して 今 茨城と福島の県境にいる。
窓の外は こんな景色 津波避けの堤防工事の真っ最中。
温泉ですることといえば 練習 家では練習は一切しない。というかできない。
時間に仕事に追われて もあるけれど 日常のなかではできないのだ。
わたしの語りは 勢いだけ 降ってくるもの そのまんま。
深夜の大浴場 だれもいない。ヒグチルートにより 多くのユダヤ人を救い 北部軍司令官として 無血のキスカ島救援作戦を成功に導き 終戦後 北方領土最北端シュムシュ島に攻撃を仕掛けたソ連と徹底抗戦し 北海道を守る決断をした 樋口中将のものがたり ほうき星とくらげの空と海のものがたり 青い釣鐘のものがたり 聴いたまま 描いたまま ものがたりはよどみなく朗々と響くのだった。
カナダのネイティブの神話 キャシー宮田 直伝の空と海と大地の話 ...... キャシーはどうしているだろう。素晴らしいストーリーテラーだった。英語で語っても 色彩が見え 登場人物の息遣いが感じられた。 キャシーもつながる ひと で さまざまなモノとツナガッテしまうらしく 吐きながら 苦しみながら 講演をつづけていた。 わたしと友人はキャシーの追っかけをした。
昼間は 五浦の岡倉天心美術館へ行った、フェノロサ との出会い 日本美術の擁護 ボストン美術館 美術史で学んだことが リアルに理解できた。
小林恒岳の回顧展が 拾いものだった。抽象から具象へ 環境破壊への警鐘もさりながら 抽象を描けなくなったと言いながら水紋や森の木々 種々に 単なる具象ではないシンボリズムを感じたし それがある種 呪術的というか念になっているような気もする。とくに伝統的な日本の文様である流水紋へのこだわりというか 実験が興味深かった。
五浦は戦争末期 風船爆弾の陸軍本部があったところでもある。風船爆弾は起死回生を願う 日本の最終秘密兵器。和紙とこんにゃくで 日本中の女学生がつくった巨大な風船 世界ではじめての大陸間横断兵器で 冬のジェット気流に乗せれば2、3日でアメリカ大陸に到着自動的に爆発する仕組みになっていた。アメリカはじつはひどく恐れた。
その放球基地が千葉 五浦 勿来 の三ヶ所にあったので 五浦と 勿来の跡地を見に行ったのである。
平和 忘れじの碑
巨大な風船は偏西風にのせてこの空に放たれた。
放球台は山の中にあるという。途中まで行ったが 草に覆われ 到達不可能と言われて引き返す。勿来は 勿来の関の てまえと聞いたが ひとに聞いても 知らないひとが多かった。現在では某会社の社有地になっているという。こうして風船爆弾の痕跡も消えてゆく。
勿来の関の石畳み。勿来とは 来るなかれ 北の蝦夷が 南に来ないようにという呪文のことばだった。
さて きのうは立春 一陽来復のお守りを貼る日だったが 息子に託した。
空が明るくなってきた。今日も今年も みなさまに佳いことが起きるように。
日本陸空軍の司令官で 無能あるいは無謀な作戦をとり 将兵を 飢餓に陥れ 苦しめ 無駄死にさせ 邦人を見殺しにした者たちは多い。良心的な司令官はかぞえるほど。その中で 樋口季一郎の三つの奇跡はなぜ起きたか? インテリジェンス 情報を扱う素地があったこと。情報の評価 決断 実行 が 理性的客観的に 遅滞なく 行えたこと。而して その行動原理 根本に正義感とヒューマニズム があったからではないだろうか。
日本人一人一人が 今 情報の収集 評価 選択 行動 という日々 行なっていることを もう少し 丁寧に 心をこめて してゆくなら そのひと個人の人生も この国の運命もあかるくなって行くのではないだろうか。
今日も 囲りのひとびと この国のためにささやかでも なにかさせていただけるように。