遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 







   真央さんの演技をはじめて見たのは2005年のことだったと思います。可憐な、妖精のような、花がぱっとひらくようなあどけない笑顔、それでいて確かな技術、ジャンプ力...ひと目で魅せられました。一足早くあらわれた安藤選手とともに、しばらくスター不在だった日本のフィギュア界の今日の隆盛を招いたといっても過言ではないでしょう。天才とは知らずして周囲に影響を及ぼしていくものです。...荒川選手のトリノオリンピック優勝の背中を押した隠れた一石ではなかったかとも思っています。

   わたしもしばらく離れていたフィギュアのテレビ観戦を楽しみに待つようになりました。わたしは語りをしていますが、ある日フィギュアスケートもストーリーテリングだと感じるようになりました。4分間という短い時間に音楽と選手の身体の動きが奏でるものがたり....もちろんなかには体操の一種のようにしか感じない演技もあり、またアクロバティックなパフォーマンスに思えるものもありました。

   それは、その選手がフィギュアスケートについてどう思い、自分の演技でなにを伝えようとしているかの違いによるのだと思います。わたしはどのような演技もたのしみますが、ただたのしいだけではない魂に響く演技があるのです。ショパンのノクターンは美しかった、ピアノと風と光が溶けあってひとつになって煌くようでした。前期の幻想即興曲もラヴェンダーも....うつくしかった....仮面舞踏会の華麗さに目を瞠った.....その影にどれだけの身体訓練がされているのでしょう...これでよしとせず、果敢に前を、高みをめざすその姿....「彼女が目指してるのは単なる勝利ではなく、フィギュアの歴史を変えるような事。 それは苦しく困難な事。」これはさる名選手が語ったことばです。

   一年前、わたしもあるチャレンジをしました。ところが、リサイタルの数日前思いもかけないことが起こり、折れ砕けそうになったのです....絶望と悲しみのなかでものがたりをつくりなおし立てなおし、なんとかやり遂げることができたのは家族や友の支えとともに真央さんの存在があったからです。.....なぜか突然あなたの姿が浮かべびました...17歳の少女が戦っているではないか....微笑さえ浮かべて...半世紀も生きてきて酸いも甘いも知り尽くしたわたしが自分に負けてははならない。


   ただただ氷の上にいることがたのしくてしかたがない...恐れなど知らぬげに意気揚々と走ってきた真央さんの顔がときに憂いをおびるのを、この一年見てきました。世界は花ばかりでできているのではない、善意ばかりでできているのではない、スポーツ界は実は苛烈なビジネスの戦場です。巨額のお金が動きます。白いのや黒いのやオレンジのや多くの思惑が蠢いています。ルールは変えられジャッジも不明朗です。事務所も家族のみなさまも真央さんを護ろうとするでしょうか幾分は耳に入るでしょう。ただ自分を高めるためにトレーニングを続けるだけならどんなにいいでしょうね。

   そればかりか、昨年から真央さんは内外の悪意のある報道にさらされ続けてきました。そして世界選手権直前にも、真央さんという人格が決してしないようなことをしたと言いがかりをつけられました。口には出さなくとも辛かったことと思います。今日、2009年世界選手権で、真央さんはシニア大会に出場以来、はじめて表彰台に上ることができなかった。ブーイングとジャンプの失敗に笑い声もあがったそうですね。白人男性が怒ってそれを止めようとしたそうですね。....わたしはかわいそうで切なくてあなたを抱きしめたい気持ちです。

   でも、そんなことより、真央さんは自分に対して一番悔しかったと思います。落胆し、がっかりもしたでしょう。けれどもすべてのことが、あなたが花ひらくための、ほんのひとにぎりのアスリートしか許されない栄光へ導かれるための試練、だと考えてください。

   真の栄光とは名誉だけでなく金銭や地位ではない、人を蹴落とすことではない。力の限りを尽くして自分を超えてゆくことです、ときに傷つき血みどろになりながら。....その姿は見るものに勇気と力を与えてくれます。それこそがほんものの栄光です。汚れない透明なままで、がんばってください。それが奇跡にひとしいとしてもあなたにはできるはず。たのしんでチャレンジしてください。金メダルなんていい、真央さんが元気で前に進んでいけるなら。キャンデロロが言ったように実力からいったらあなたがNo1なのだから、結果はきっとついてくる。

   わたしは自分の目、耳、感覚を信じています。水戸茂雄先生のビウエラを聴くと涙がでる....ほんものだからです。真央さんの演技を見るとなぜかいつも涙がでる....ほんものだからです。....わたしもほんものになる努力をたのしむようになりました。どこまで行けるかわからないけれど自分を超えてゆきたい。ありがとう、心からありがとう。 教えてくれたのは浅田真央さん、あなたです。


浅田真央進化へ



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   代々木の青年座に行きました。”運転免許わたしの場合”の主役を友人のjunさんが演じていたからです。100人くらいの劇場でしたが満席でした。そして締まった、いい舞台でした。

   演劇的な実験がたくさん織り込まれていました。役者は5名、少女とベック叔父さん役のふたりをのぞいた3人はコロスとして複数の役を演じます。少女の母そして叔母、レストランの客、13歳の女学生etc,あるいは、祖父、少年、レストランのボーイ、学生...幕間はなく時代と場面はめまぐるしく前後し、五脚の椅子、二台のテーブルが車の居間、台所、学校、宿舎、レストラン、バス、ホテル、地下室などのさまざまな舞台設定となります。(これからお芝居をご覧になる方はこの先を読まないでくださいね)過去・現在めまぐるしく移り変わるシーンがコラージュのようにひとつのものがたりを浮かび上がらせてゆくのです。

   junさんは13歳から40くらいまで、そしてものがたりの進行役も兼ねていました。junさんにはふわふわしてそれでいて鋭く繊細なイメージがあったのですが、すこしふっくらして地面にしっかり足がついていました。舞台がはじまって、進行役から顔を俯いたとたんに17歳の少女になったのは驚きました。笑いもあり歌ありダンスあり息をつかせぬ2時間でした。ひとことで語るのはむつかしいです。....チラシなどによれば、男女の性差...がテーマのようでした。

   けれども、わたしは性差による誤解であるとか、”林檎の木”のように階級的な障害とか”蜘蛛女のキス”のように同性であるとか、あるいは年齢差、国籍とか、極端にいえばそこに性が介在するかいないかでさえ二の次であるように思うのです。障害が問題なのではなく、自分から他者へ梯子をかけよう、橋をかけようとして、その梯子がはずれてしまった、それがなんであれ、胸をうつのはその闇雲な想い、愛というのでしょうか、熱望というのでしょうか、渇望といいましょうか。自分のなかの欠けたものを埋めようとする、その必死の試みこそが胸を打つような気がします。

   やさしいベック叔父さんは、戦争帰還兵でした。どうやら深い精神的傷を負っていた...彼は姪というあたらしい生命の誕生に希望を持ち、戦争によって受けた傷が幼い姪によって癒されてゆくのを感じ、もっと癒されたいと願いました...それは見方を換えればおぞましい児童虐待ともとれるのです。叔父さんが教えてくれたのは自動車の運転だけではなかった。けれども少女は本能的に叔父を救おうとするかのように見えます。叔父の禁酒と引き換えにある取引を持ちかけます。そのとき少女は母のように聖女のように見えます。。(わたしにとってはここがハイライトです...なぜ少女はそれをしたのか)少女は周到に一線を画し身を守りながら、週に一度、叔父とドライブをつづけます。やがて少女は18歳になり家を出て大学の寮に入ります。それは少女にとって、清算すること、あたらしい旅だちも意味していました。しかしベック叔父さんが望んだのは全く別のことでした。わたしは終盤、ベック叔父さんの絶望に泣きました。そして最後にいままでのこと、叔父さんの死をも受け入れて再生するおとなになった少女を見て泣きました。

   junさんと別れてからカフェに入り、ボーッとしていたので電車を間違えました。わたしはなぜもっと心を揺さぶられないのだろうと考えていました。演出について設定について違和感がすこしあった....わたしは父のことを思い出していたのです。父は決してつよいひとではありませんでした。わたしはものごころついたころから父をかばい、たとえ母に理があり父に非があったにしても味方となって、母がしないこまごましたことを父にしてあげようとしていました。父の靴を磨くことは喜びだったし役所に行く父にハンケチも用意しました。わたしは父を深く愛していました。.....変わったのは12.3の頃...父を客観的に批判的に見るようになりました、愛していながら父の愛の暑苦しさ、陋習がいやだった。父を熱愛していた妹はもっと極端でした。やはり12.3の頃、父の触れたものに触れるのさえ嫌がるようになりました。わたしが、なにかといえば相談にのってくれた若い叔父を拒絶したのは15の時だったと思います。それは少女からなにかに向かう通過儀礼のようなものだったのでしょう。これから起きることを予期しているのかもしれない。だから身にまとわりつくようなものを好まない、潔癖であり残酷です。

   ふつうにいけば、女は幼女→少女という花のような存在→不可思議な曖昧な中間地点→女→母→おばさん→おばあさんになります...変態を繰り返し殻を脱ぎ捨てるように。わたしもいずれおばあさんになります。けれどもその疲れた骨のすみっこに少女を残しておきたいと願うのです。それは今流行りのガーリィなというようなつくられたものではありません。男が少年性を保つのよりそれはずっと困難な希少のことのように思われます。変わることで女は力をつけ世間と渡り合っていけるようになるのですから。

   ....ゴールズワージーの林檎の木のミーガンの台詞は難しい....少女になるのはむつかしい.....でも希望をいうなら、junさんのなかのあふれるばかりの少女が見たかった。素晴らしい演技だった。けれど首をかしげるとかみつめるとかじゃなくて、あなたの深奥に残っている少女をもっと見たい、存在を感じたい ともに生きたい。そのとき わたしはきっと慟哭することでしょう。


.....別れ際junさんは「なにもかもむだじゃないことがわかったの」...と言いました。ほんとうにそうだと思います。三人の子の母となってあなたはいい役者になった!!これからだね、junさん。わたしうれしかったよ。この芝居を観られて今のあなたを見られてほんとうによかった。

   橋をかけること、梯子をかけること....個から個へ....個から時代へ...ひとびとへ。わたしもまたやりたいことがたくさんあります。実は今日歯医者さんにも行きました。グレーのシルクのチュニックを買いました。自分の未来に橋をかけること、子どもたちの梯子 夫の橋 さまざまさまざま考えました。


   最後にこちらも少女の透明さを持ち続ける浅田真央さん、きのう書いた軸について、写真をごらんください。浅田真央さんの身体の軸がまっすぐなこと、股関節を意のままにできることが理解できますね。今年はもっと進化しています。



右の二枚が浅田真央さんです。左はキムヨナさんです。



こちらも右が真央さんです。

    語り手にとって、身体をゆるませることと同時にグランディングならびに身体の軸を意識することはたいせつですが、単に姿勢のうつくしさだけの問題ではないように感じています。それはおそらく受信する身体になる、それと同時に不要なものをシャットアウトすることができる身体になるということなのです。

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   トップアスリートの身体についてなかなかおもしろい対談がありました。

   天才イチロウの身体の軸について、そしてフィギュアの浅田真央ちゃんの身体の軸がイチロウに匹敵するという指摘は興味深かったです。真央ちゃんの身体がどんなにゆるんでいるかも同様でした。

   わたしがこの一年穂積さんから自力整体をとおして学んできたのは、身体をゆるませることだったし、骨導音の日原先生から学んだのは軸を意識することでした。からだをゆるませると声が響くようになります。共鳴するからでしょうか。軸を意識しただけで声が変わります。人間の身体は精妙な楽器です。


   わたしの場合は腹直筋、大殿筋 、腰部深層筋肉....梨状筋など..が固まってゆるみがない状態でした。大腰筋、腸骨筋は言わずもがな。それで坐骨神経痛気味だったし、筋肉はつながっていますから、大腿四頭筋や内側広筋もコリコリで膝が伸びなかった。すこしずつすきまをつくって、緩ませることで右ひざも左ひざどうように伸ばすことができるようになりました。以前、夜中に曲げれば痛いし伸ばせば痛いしで何度か痛みで目覚めたのが夢のようです。

   まだ坐骨神経も膝もすこし痛みがありますが、わたしは夢を持っています。それは全速力で走る夢です。そのために毎日筋肉の揉み解しをしています。感情、そしてトラウマは筋肉に記憶される...と以前におはなししましたね。これはインテグラルな療法の先生からうかがったのですが、筋肉がゆるむと感情もコントロールしやすくなるような気が自分でもしています。

   最初に書いたリンクの真央さんのところにリバース..、声援を力に変える働きについて書いてありましたが、筋肉をコントロールするものは精神も制するのでしょうか。真のアスリートは人間的にも魅力的です。身体とこころはつながっているんですね。.....この年になってどこまでゆけるかわかりませんが、せめて最後まで自分の足で歩けるよう身体とつきあっていきたいと思います。そして語り手としても、天地のあいだにすっくり立って 身体を弦にして語ってゆけたらと思います。それは柔軟体操のような苦行ではありません、日々のなかで身体にたずね身体と語り合うのはじっさい愉しいことですもの。

   さて、ひとつ おつたえしようと思います。わたしは今月でものごころ着いて以来読み続けた○○ニチ新聞の購読をやめることにしました。信じられなくなったからです。 テレビもWBCなどの中継を除くと、6.8.10チャンネルは観るのをやめました。二重三重にフィルターがかかっているように感じます。朝の新聞の匂い、読むたのしみがなくなるのは悲しいですが、知らず知らずのうちに操作され踊らされるのはごめんです。いよいよ 真実を見通す目、人間力が必要なときがきました。

   ネットの存在は大きいですね。玉石混交ですが信頼できるソースがあります。世界中から届けられるニュースを自分の目で見比べて確認し、考えることがすくなくともできます。あたりを見回し話を聞くと大きなメディアは信用できないというひとは確実にふえています。アンテナをフルにつかって、必要な声に、つながりに真実にたどりつきたいと思います。みなさまもお気をつけておいでください。

   林檎の木は語るのに32分かかりました。とてもむつかしい....深く清らかで誠実な少女ミーガンがむつかしい...素朴でやさしいジム爺がむつかしい.....シンプルでうつくしいひとがむつかしいのは、わたしがまだまだ捨て去るべきものが多い証拠かもしれません。





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    壌さんの「50代からのシェークスピア」のワークショップの発表会を観に行った。小雨と時折吹くつよい風から華奢なピンクの折り畳み傘で、身を護るようにして、青いガラスの草月ホールについた。15分前というのにほぼ満席の盛況で、第一期生の仲間たちが同窓会のように集まっていた。

    私たちの演目は「真夏の夜の夢」だったが、今日は「じゃじゃ馬ならし」壌さんの深々と心地よい響きの挨拶(この声を聴くとつくづくプロはすごいなぁ)と思う。ご存知のようにじゃじゃ馬ならしはカタリーナという乱暴なじゃじゃ馬娘とその妹しとやかで美しいビアンカの姉妹の結婚にまつわる喜劇である。

    坪内逍遥訳を元にしているので、台詞は高い格を持つがすこし難解で、最初、台詞が単語ごとに切れてしまったり、口跡がはっきりしないこともあってスジと人間関係を追うことでいっぱいだった。聴き手にストレスを与えないことはとても大切なことなのだと観客の立場から思った。そのうち安心して聴いていられる台詞がみえてきた。語頭をはっきり大きく、役者さんの体内リズムに乗っているもの、そして適切な間である。衣裳は明治を模しているのか和装でまことに目に楽しくうつくしかった。

    途中からカタリーナのことを考えていた。わたしがカタリーナを演じるとしたらどうするだろう...なぜカタリーナは男のなりをしてこれほど粗暴なことばや態度をとるのか、妹への敵愾心はどこからくるのか、怒りはどこからくるのか......カタリーナ自身知ってか知らずか別として、それには理由があるに違いない。もしかしたら、父親が嫡子としての男子を望んでいたことを漏れ聞いたとか...それで父親の希望に添わせようと子ども時分からつとめているうちにいつからか性格になってしまった....女である自分を受け入れられない....あるいはうつくしい妹と比較されるのであえて独自性を出して目をひこうとした....さみしいカタリーナ....

    休憩のあと、ガラリと芝居が変わった。わたしたちのときのように幕間に壌さんの"鶴の一声"があったのかもしれない。わたしが二階席に移動し、舞台が見渡せるようになったことも関係しているかもしれない。台詞が朗々と響き...時折プロンプの声も聴こえたがそれはご愛嬌で.....なにより役者さんたちが生き生きと愉しそうで、芝居にリズムが生まれ客席と呼応しはじめ、客席から笑い声が起きるようになった....終幕のすっかり回心..したカタリーナの台詞が秀逸で心に切々と響いた。あるやさしさ...寛容さ...お互いのいのちを受け止め祝福する...あたたかい感情がステージにも客席にも一瞬馥郁と満ちたような気がする。

    このたび発表会の報せをくださったのはカタリーナを演じたMさんだった。ホールの雑踏でわたしたちは抱き合った。MさんはわたしのHPの読者で、その記事から壌さんのワークショップに参加なさったのである。不器用なほどの体当たり演技だった。そのストイックな熱情が芝居の勢いをひっぱっていた、そして最後の台詞が実によかった。全体として、登場人物は切り取られたように原色に近かった。陰影がもうすこしあってもと思わないでもない。カタリーナの夫の攻略でない愛、その愛からにじみ出る信頼が中盤ほんのすこしあればと思う。

    けれども、だれか画家が言っていたように美醜ではなく(うまい下手ではなく)生きているか死んでいるか、そこが勝負どころである。この芝居は生きていたし観るものをしあわせにした。わたしは自分に足りないものを察知した。登場人物の数もあろうが壌さんが四大悲劇を選ばないで喜劇をいつも選ぶのがわかったような気がした。壌さんは雑踏のなかに超然とたってそこだけ空気感が違っていた。わたしは深々と頭を下げ、挨拶をかわし、ひとつ願いごとをした。

    そのまま帰るのが勿体無くてル・コントでひとりコーヒーを飲む。五年つづけている仲間が数人残っていて、さすがに彼女たちの台詞はキレがよかったが、なにより目が顔がしあわせでならない...というふうに耀いていたのをもう一度味わいたかった。家に帰ると、やはりHPで出あったJさんから手紙が届いていた。3/25から青年座で主役を務めるという。子育てという豊かな時間を過ごしたJさんの芝居はどう変わっただろう、これからTELをかける、そして観にゆく。

    ひとはつながってつながって、手渡しては受けとり、そしてまた手渡してゆくのだ....どうかときにわたしに便りをください。そしてもしなにかに逡巡している方がいたらつながること、一歩を踏み出すことを怖れないでください。そこから扉がひらく、回帰と新生の旅がはじまる....。



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