遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

→ こちら


「あなたは私が官僚機構や大きなメディアから攻撃を受け、苦しい立場に置かれていた時でも、私の主張を正確かつ公正に伝えてくれた唯一のジャーナリストでした。生前のあなたの教えを胸に思い起こし、全力で闘っていかねばならないと本日決意をいたしました」。

以上

「城山」にはまだ早すぎる   → こちら

不覚にも泣いてしまいました。 わたしもあきらめません。



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あまちゃん 佳境にはいってきました。NHK朝ドラの伝統 女の一生 をしっかり受け継ぎながら クドカンの朝 はなんと奇想天外だったことでしょう。

母娘孫娘 夏 春子 秋 の青春はそのまま 戦後昭和の歌謡史でした。橋幸夫 アイドル (噂によれば松田聖子も出るとか) そしてAKBまで歌謡史への風刺とアイもちりばめられていました。

まず 驚いたのは薬師丸さんと小泉きょんきょんの格の違いでした。戦後最大のアイドルといってもいい松田聖子(好き嫌いは別として歌唱力といい 伝説といいきわめつけでした)を超えられたのは薬師丸ひろ子さんだったのかもしれないな....と朝ドラを観ながら思いました。 なんだかファンになってしまいました。

しかし 小泉今日子さんも演技開眼かな 夏ばっぱとのシーンでは胸にぐっとくることしばしばでしたね。(でも春子のアイドル時代とスナックのママ春子がまったくつながらない あんまりしたたか過ぎて)

夏ばっぱと風来坊のじっち 春子さんとタクシードライバーの夫 太巻さんと鈴鹿ひろ美  .....あたりまえの夫婦像でないさまざまな人生のみちづれのかたちがありました。

水口もよかったね..... あの自然体 おとうさんを超えたかもね..... 松田優作はなにを演じても松田優作だったけれど.....彼は違うね ..... ホンモノになれるかも

潮騒のメモリーはいったいダレが歌うのかな? 個人的にはアキちゃんユイちゃんに歌ってほしいけど

 

.......さて 映画「潮騒のメモリー」の公開は2011年3月5日 .....その6日後に東日本大震災..... 

駅長は 北三陸の駅は 夏ばっぱは 海女さんたちは ..... そして アキは ......

クドカンはなにを見せてくれるでしょうか?

 

 

 



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もったいない....ということですか? 農家を助けるためですか? それとも 内部ヒバクをひろめるためですか?

→ こちら

以下抜粋

@mamansa
今日農家さんに聞いた話。
去年から、放射能検査していない関東の野菜が九州に大量に流れてきている。例えば箱700円の売値に対して実際500円で引き取られたとする。差額200円は国が負担しているそうだ。その野菜は、加工品となり九州産に変身し、売られていく。被曝促進がまかりとおる。

福島の農産物を積極的に使用している企業

@cyclochabumaro
基準値以下でも毒は毒、それでも販売
【福島の農産物使用の東北かけはしプロジェクト】賛同者
■セブン11、セブンネット店、イトーヨーカ堂、ヨークベニ丸、ヨークマート、ザガーデン自由丘店、キューピー、ハウス食品、マルハニチロ、ミツカン、グリコ、東洋水産、キリン、小岩井農場、メルシャン

以上

セブン ヨーカ堂系はよろしくない 行っても買えるものはあまりない でも岡田イオンもよろしくないし 西友は外資ウォルマートだ ハウス 小岩井はあきらめていたが キューピー(応援してたときあるんだけど 株主調べてみようかな...) グリコ ミツカン ガッカリ....

といったところです。



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追いかけてきたのは 水 でした。 水 龍 瀬織津姫 .....

いったい 地下水脈はどこまで汚染されているのだろう? 井戸? たしかコメントが....

ツイッターから(今年2月)

■群馬で自宅の水道水知り合いに頼んで測ってもらったら仰天詳細は言えません、地下五mの井戸水は三十七ベクレル使えません、地下五十メートルは二十ベクレル・・・・・←これ見てお分かりのように、国は「柏の水道水にホルムアルデヒド・・・」「群馬の水道水に寄生虫・・・」全て嘘ですよ!!

昨年4月UPしましたが すでにこのような記事が.....

 → こちら

以下抜粋

福島の原発事故から1年、福島第一原発の状況を見守ってきましたが、「事故収束宣言」などの政府報道は国民騙しの方便であることは、市民団体などの調査による土壌汚染データも出されており、逃れられるものではありません。

日本の関東一円は、広域にわたり放射能汚染されていることは、もはや間違いのない事実であり現実であると受け止めています。私の個人的な友人、知人の関係者から独自の原発事故情報も得ています。

最近、福島の現状について危機的情報が私の耳に入ってきました。情報元は、原発で作業して被ばくした作業員の治療をしています医療施設の責任者よりの重大な情報です。

1. 福島第一原発で作業してくださった作業員が、すでに800人近く死亡しており、重傷患者も続出しているということ。

2. 4号機の燃料が、地下500メートルまで沈降していること。

3. 2号機の核燃料は、すでに地下800メートルにまでに達していること

4.地下水を汚染して、関東一円の地下水が放射能汚染されているということ。

5.勿論、地下水の汚染水は海洋にも流れ込み海洋汚染をしているということ。

以上の重大なことを、政府と東電は国民に隠しているようなのです。



「4号機ゃ、2号機内部の様子はほとんどわかっていない」というのが、政府や、東電の発表ですが、東電や、政府研究機関は核燃料が既に地下800メートルまで沈降していることを確認しているようです。もはや制御不能の状態なのかも知れません。

事故当初は、「メルトスルーした燃料が地下水脈と接触すれば大水蒸気爆発がおきる」とされていましたが、地圧の高い大深度地下で起こることですから、その爆発力が地殻や、断層に連続的に衝撃を与えて、地震を誘発したり、地下水脈を押し出す大圧力となり、地下水脈を逆流させているのです。

みなさん思い出してみてください。福島第一原発の敷地から水蒸気が、やたらと舞い上がるシーンが何度も見られますよね。

地表に近い地下水脈には、灼熱の燃料に接触し、高圧力の水蒸気を地上に噴き上げているのです。また核燃料によって汚染された地下水が、海洋にも流入しており、重大な海洋汚染も引き起こしています。

また問題をさらに深刻にさせているのが、逆流した汚染地下水が水源地点を通過して、他の地下水脈に流れ込んでいることです。現在、政府の対策チームは地下に潜り込んだ燃料をどうするかよりも、汚染地下水の逆流をどうやって食い止めようかとの対策を講じていますが、汚染水が放射能という厄介なものを含んでいますので、知識もなく右往左往するばかりのようです。実は、昨年の夏頃の段階で関東圏内の地下水は、すでに汚染されていたようです。

水蒸気圧力による地下水脈の広域汚染の可能性を考えたとき、その可能性もあり得ると見なければならない地域は、関東・東北圏、福島、山形、新潟にも広がっていると考えて安全対策を講じなければなりません
関東の方は、水道水を調べてみてください。

間違いなく水道水は、低レベルの放射能に汚染されています。

 

私は、溶け落ちた燃料が、建て屋のコンクリートも破って地下水と接触しているかもしれない、と思っています。もしそうなら、高レベル放射能が地下水に流れ出てしまうので、建て屋の外側に深い壁を作ることを昨年5月から提案し続けています。残念ながら、東電は何もやっていないという状態です。

アーニー・ガンダーセン インタビュー から抜粋   → コチラ

..........地下水です。私は非常に心配しています。地下水の汚染レベルを測定したという話をまったく聞きません。建物の構造に亀裂が生じて、高汚染水が地下水に入り込んでいない保証はどこにもありません。私は日本の人たちにも話をしてきたのですが、原子炉のまわりに堀を巡らせるのがいいと考えています。岩盤に達するまで20mくらいの深さに掘り、幅は1.5m程度。そして堀をゼオライトという物質で満たします。ゼオライトは放射性物質を吸着する能力が高いので、放射線が外部に放出されるのを防いでくれます。なぜまだそうしないのか、理解に苦しみます

小出さんは言った

海を守る壁を東電はつくろうとしない。それは経済性のためだと。

 .........

地下水の汚染は海水の汚染につながる。そして怖いのは 地下水脈がどのように走っているかわからないこと。

構造線にそって河が流れている たぶん地下水脈が流れている それで検索してみたら

原発以前に地下水揚水の問題が あった → こちら

それから → こちら

どうやら そう 間違ってはなさそうだ。 すると気になるのは 福島原発の近くから日本海に抜ける棚倉構造線です。


...... いずれ 時間の問題? なにぶんにも素人考えですが..... 

構造線とつながっていない水源は.....

表流水 については 利根川水系 多摩川水系も汚染されている。

水道については 昨年 JR車内で 水道の水おいしい?キャンペーンがされていた。

けれども.....  → こちら

切羽詰ってまいりました。

 

 



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この方はマクロビオテックの立場から描いているのですが.....TPP 遺伝子組み換え食品とからめて考えると 怖い....です。うちは実は小麦粉は3.11以前の国産のものをいまだにつかっているのですが 放射能とはべつにしてスーパーで売っている クッキー パン パスタ うどん類は食べないほうがいい...ということですね。....たしかに日本は世界第一位の遺伝子組み換え作物輸入大国でした。

→ こちら

最近の小麦粉は品種改良されすぎて、もはや人間に害を及ぼすレベルまで品種破壊をされていることが諸悪の根源なのです。これはアメリカの話なのですが、日本は小麦の全消費量の85%を輸入に頼り、そのうち6割をアメリカが占めている現実を考えると、小麦に対しての認識を正しく知る必要があると思います。

過去に「食生活欧米化の真の原因」という記事を書いていますが、この記事の内容とは別に、今は小麦の「質」が著しく低下してしまって、もう危険ゾーンに入ってしまったという話です。それがアメリカでは色々な症状として現れているので、その小麦を輸入している日本でも該当する事例が多いと予測出来ます。

日本には幸いにしてお米があります。小麦の摂取量が増えて体調を崩す人が多いこの時代に、この本は大いなる参考になると思います。試しに小麦抜きの生活を1ヵ月送ってみましょう。
その次に純粋に国産小麦粉だけに絞り込んでみましょう。話半分ととらえても、ちゃんと答えが出ます。

マクロビオティックではすでに小麦製品は避けた方が良いと結論がでているのですが、それは腸の組織を壊してしまうからなんですね。そして、その体験は多くのむそう塾生もしています。パスタの練習を続けてしたら、皮膚トラブルや口内炎や膨満感や、色々な症状を訴えています。ふっと思うのですが、最近日本人でも欧米型の禿げになる人が多いのは、小麦粉が影響しているのかも知れません。もちろん、肥満は確実に該当しますね。アトピーの人は完全に小麦製品は影響しますしね。

この本で一番問題にしているのは、砂糖が精製されすぎて問題なのと同じように、小麦も品種改良されすぎて問題なのだということです。アメリカではかつて食べていた小麦品種は、今は市場には存在しないそうです。
それが仮に全粒粉であっても、オーガニックであっても、品種そのものが問題なのだそうです。
次の文がすべてを物語っています。

ー訳者あとがきより引用開始ー
つまり、全粒粉の小麦は精製しているわけではないが、同じような人工的なプロセスが品種改良という作業の中で既に起きていたというのが著者の主張である。


品種改良はあちこちで問題になりますね。新潟の現在のBLといわれているコシヒカリも、実はヤバいんじゃないかと思っています。でも、もうほとんどがBLに切り替わっていますね。心ある農家さんは昔ながらのコシヒカリを種もみを取りながら作り続けています。ずっとお世話になっていた農家さんもBLコシ、断腸の思いですが切り替えを検討しています。ありがたいことに野菜もようやく在来種や固定種の種をとっている野菜が手に入るようになってきました。男性の精子の減少は、種取りのできないF1種野菜を食べ続けてきたことが原因じゃないかと思っています。お勧めの本、是非読んでみます。


もとを辿れば、アメリカの日本人壊滅作戦が着々と進んでいるだけなのかも知れません。優秀な人種の日本人を絶やすため、ありとあらゆる手段を使って来たことが、ジワジワとボディブローのように効き始めています。今後TPPでそれはもっと顕著になるでしょう。
在来種も固定種も栽培したら捕まってしまう事態になってしまうかもしれません。種なしぶどうも含めて、F1種は大いに問題です。不自然きわまりないです。マクロビオティックで考えたら大いに間違っていることを、平気で進めてしまう今の時代って本当に怖いですね。

以上



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⇒ こちら

以下抜粋

慶應義塾大学病院放射線科の近藤誠医師は、抗がん剤の効果について「日本人のがんの9割を占める胃がん、肺がん、大腸がん、乳がんなどの「固形がん」には抗がん剤は効かないと主張する。

「抗がん剤にはがんを治す力もないし、延命効果もない。あるのは過酷な毒性だけ。使えば使うほど寿命が縮まります」(近藤氏)

 さらに近藤氏は抗がん剤の治験データの有効性そのものが疑わしいと言うのだ。

「僕はすべての抗がん剤の治験データを分析したが、生存曲線に人為的操作が介在するなどのインチキがあります。すべてにです。高血圧の薬で京都府立医大グループの治験データが問題になりましたが、抗がん剤の論文を見ると、製薬会社の社員の名前が堂々と著者欄に並んでいるんです」(近藤氏)

 抗がん剤も分子標的薬も、細胞を殺す薬であることに変わりはない。激しい副作用が伴うのもそのためで、

「抗がん剤によってがんが小さくなることもあるかもしれないが、それ以上に正常細胞のほうが薬が効きやすいので、かえって身体を痛めることになる」と近藤氏。とくにがんが“がんもどき”(※転移しないがん)だった場合、辛い抗がん剤治療は「まる損」になる。

 しかし、抗がん剤を使用している医師の実感は異なるようだ。

「末期の卵巣がんで、腹水がたまってお腹がパンパンになっていた患者さんが、抗がん剤治療で治ったこともある。統計的にも、末期(IV期)がんでも5年生存率はゼロではない。治る人がいる以上は治療すべきだと思います」(婦人科がんに詳しい総合病院産婦人科部長)

 また別のベテラン医師も、「臨床経験から、乳がんの抗がん剤の延命効果は証明されている。肺転移で余命いくばくもない患者さんが、抗がん剤治療で腫瘍が劇的に小さくなり、症状も改善され、1年以上も延命しているケースもある」

 と指摘する。ただし、前出の産婦人科部長は、近藤理論に一定の理解も示す。

「大切なのは抗がん剤によってよくなるかどうかを、医師が見極めること。なかには抗がん剤がまったく効かない人もいる。そういう人にまで抗がん剤を投与するのは、近藤先生の言うようにいたずらに患者さんを苦しめることになり、デメリットのほうが大きくなる」

以上

東京在住大病院勤務医の話

「指導部長から 効かないと思われる患者にも抗がんを勧めるよう指導されている。」

わたしの友人は抗がん剤を拒否して 結局乳がんで亡くなりました。自分の場合 家族の場合 万一のとき どのような判断を下せるか.... ..... とりあえず がんにならない食生活 ..... ストレスレス生活......

 



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吉田所長は7月亡くなりました。ほかにみ任務を全うされて人知れず亡くなられた方々がおられましょう。フクシマの50人の英雄たちは存命でしょうか? そしてほかにも 愛する家族 恋人 それから日本のひとたちのために不眠不休の努力を高濃度放射能汚染下で戦ってくださった方々がおられましょう。ありがとう、みなさま あなた方がひととして自分のお力以上のことをしてくださったから わたしはいま セミの声を聴くことができる 麦茶で喉をうるおすことができる あたたかいことばをまわりのひとにかけることができる.....わたしは硫黄島をレイテヲサイパンを沖縄を思います。日本の男たちはいつも果敢だった。水も無く食糧もなく 体力の限界のなかで 本土侵攻を防ごうと懸命に戦ってくださった。.......大本営は戦う対象について戦況について正しい判断をできなかったけれど 現場は実に勇猛だった。

命を永らえたわたしたち とりあえず地獄を間一髪で逃れたわたしたちもまた このままでは終わりません。懸命に生きてまいります。声をあげてまいります。つとめを果たされたみなさま どうかやすらかにお眠りください。

2013年08月19日(月) 週刊現代⇒ こちら

複数の原子炉が暴走する史上最悪の原発事故。その最前線で闘った男が静かに逝った。彼はそこで何を見たのか。そして日本人は、彼の遺志をどう受け止めるべきか―男が果たした「使命」を顧みる。

■もしこの人がいなかったら
2013年7月9日午前11時32分、東京・信濃町の慶応義塾大学病院で福島第1原発の元所長、吉田昌郎氏が息を引き取った。享年58だった。あの大震災が起こった2011年3月11日から数えて851日目のことである。あまりに早すぎる「死」だった。私は、吉田さんの訃報に接し、「ああ、吉田さんは、天から与えられた使命を全うし、私たちの前から去っていったのだ」と思った。

拙著『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)の取材で私が吉田さんとお会いしたのは、昨年7月のことだ。全電源喪失、線量増加、注水不能……考えうる最悪のあの絶望的な状況で闘いつづけた吉田さんへの単独インタビューは当時、すべてのメディアが目指した案件だった。私のようなフリーの人間は、軍団で攻めていく大メディアによる正攻法ではなく「周囲」から攻めていくしかない。吉田さんの親友、恩師、先輩、上司……あらゆるルートを辿って、私は吉田さんにアプローチした。やがて、あるルートが吉田さんに繋がり、病床で私の手紙と著作を吉田さんは読んでくれることになった。

吉田さんは、私の戦争関係の著作を読んで、「会うこと」を決断してくれた。おそらく太平洋戦争の最前線で戦う兵士たちの思いを綴ったインタビューとドキュメントに福島第1原発での自分たちを重ね合わせたのではないかと思う。やっと私が吉田さんに会えたのは、アプローチを始めて1年4ヵ月後のことだった。食道癌の手術と抗癌剤の治療を終え、外出を許されるようになった2012年7月、吉田さんは、西新宿にある私の事務所を訪ねてきてくれた。184センチの長身で、やや猫背気味の吉田さんは、ニュース映像とはまったく面相が変わっていた。頭髪は坊主のように短くなり、頬はこけている。食道癌の手術とその後の抗癌剤治療の過酷さが窺えた。

挨拶を終えたあと、私は吉田さんにこう伝えた。「今回の事故は、日本史の年表に今後、太字で書かれるような歴史的なものです。私は、あの過酷な事故の中で何度も原子炉建屋に突入していった人たちの真実を伝えたい。東電バッシングが続いている中で、今の人たちにたとえ読まれなくても、私や吉田さんが死んだあとの孫やひ孫の世代に向かってこの本を書きます。だから吉田さんは私に対してというより、"歴史"に向かって証言してください」

吉田さんは、特徴である人なつっこい顔でにっこりして、「門田さん、私は何も隠すことはありません。門田さんが聞きたいことはすべて答えますから、なんでも聞いてください」そう言ってくれた。こうして吉田さんへの取材は始まった。

■「チェルノブイリの10倍です」
ここで食い止めなければ事故の規模はどのくらいになったのか、と私が最初に質問すると、吉田さんは、そう答えた。あまりに当然のような顔をして吉田さんがそう言うので、却って拍子抜けしたほどだ。その時、頭に浮かんだのは、"悪魔の連鎖"という言葉である。事故が起こっても、石油などの化石燃料はいつかは燃え尽きるが、原子力はそうはいかない。

ひとたび原子炉が暴走を始めれば、原子炉を制御する人が近づくこともできなくなり、次々と原子炉が"暴発"し、燃え尽きることもなくエネルギーを出し続ける。放射能汚染は限りなく広がっていくのである。それが悪魔の連鎖だ。吉田さんは、そのことをわかりやすく私に「チェルノブイリの10倍」と語ったのである。

「福島第1には、6基の原子炉があります。ひとつの原子炉が暴走を始めたら、もうこれを制御する人間が近づくことはできません。そのために次々と原子炉がやられて、当然、(10キロ南にある)福島第2原発にもいられなくなります。ここにも4基の原子炉がありますから、これもやられて10基の原子炉がすべて暴走を始めたでしょう」10基の原子炉がすべて暴走する―吉田さんは、それを「チェルノブイリの10倍」という言葉で表現してくれたのである。もちろん、黒鉛炉であるチェルノブイリと沸騰水型軽水炉である福島原発とは、そもそも原子炉の型が違うので、簡単に比較できるものではない。だが、吉田さんのその言葉で、吉田さんたち現場の人間がどういう被害規模を想定して闘ったのかが、私にはわかった。

生命をかけてくれた
のちに原子力安全委員会の班目春樹委員長(当時)は、私にこう答えた。「あの時、もしあそこで止められなかったら、福島第1と第2だけでなく、茨城にある東海第2発電所もやられますから、(被害規模は)吉田さんの言う、"チェルノブイリの10倍"よりもっと大きくなったと思います。私は、日本は無事な北海道と西日本、そして汚染によって住めなくなった東日本の3つに"分割"されていた、と思います」

吉田さんたち現場の人間が立っていたのは、自分だけの「死の淵」ではなく、日本という国の「死の淵」だったのである。私が注目したのは、その国家の命運を左右する決定的な作業が、大津波に襲われてから数時間の内におこなわれていたことである。

吉田さんは、全電源喪失の中で暴走しようとする原子炉を冷却するには、「海を使うしかない」と、すぐに決断している。海、すなわち太平洋の「水」である。

「消防車というのは、防火水槽からホースで水をとってタンクに貯め、それを燃えているところにホースでかけるもんだろう? それなら何台か消防車を繋げば、海の水を持って来られるはずだ」吉田さんの発想は、奇抜だった。すぐに所内にある3台の消防車の状態が報告される。だが、3台のうち2台は、地震と津波で使用不能になっており、生きているのは、「1台」だけだった。1台では、「繋ぐ」ことができない。吉田さんはただちに自衛隊に消防車の要請を出している。この要請はすぐに郡山と福島の陸上自衛隊に伝えられ、消防車が福島第1原発に向かっている。

それと共に、現場では、これまた「決定的な作業」が始まっていた。全電源喪失の下、冷却手段は「水」しかない。しかし、その水を原子炉に直接入れる「ライン」がなければ、すべては無駄になる。現場のプラントエンジニアたちは、ほとんどが地元・福島の工業高校を出て東電に現地採用され、鍛えられて成長してきたプロたちである。彼らは、吉田所長の指示が出た時は、すでに原子炉への水の注入ラインの構築に着手していた。

■「消火ラインを使おう」
建物には、火災になった時のためにスプリンクラーなどに水を流す消火ラインがある。そのラインを組み直し、原子炉に直接ぶち込めばいい―そんな発想から作業は始まった。しかし、そのためには、線量が上がり始めた原子炉建屋に入り、あるバルブは開け、また別のバルブは閉めるなどの「ライン構築」の作業をしなければならない。彼らは、放射能を遮断する全面マスクをつけて原子炉建屋に何度も突入し、この作業を展開している。

線量の増加によって、建屋内への立ち入りが禁止されるまでの「数時間」の間に、この決定的な作業を終えていたことは、奇跡と言っていいだろう。それからもさまざまな作業がおこなわれるが、このライン構築ができていなかったら、その後の作業は意味を持たなかったとも言える。いち早く消防車を手配した吉田所長と、彼からライン構築の指示が出る前にすでに動き始めていたプラントエンジニアたち―彼らの見事な現場力は、日本を最悪の状態に陥ることから「救った」のである。


3月12日朝7時過ぎ。吉田さんは、ヘリコプターで東京から乗り込んできた菅直人首相一行を迎えた。「なぜベントをやらないんだ」そう詰め寄る菅首相に吉田さんは冷静にその時の状況を伝えている。

「それはこういうことです」菅首相の前に図面を広げ、ベントに入ろうとしている現状を説明し、菅首相はやっと落ち着きを取り戻した。

この前に首相一行を迎えるにあたって吉田さんは東電本店と大喧嘩をしている。それは、防護マスクなどの装備についてである。汚染された福島第1原発に来るには、それなりの装備と覚悟が必要だ。しかし、現場の防護マスクは数が限られている。しかも、一度使用して汚染されたものは二度と使用できない。決死の作業に必要な防護マスクは、現場に余分がない。「首相一行が来るなら、防護マスクはそっちで用意してくれ」。テレビ会議を通じて吉田さんがそう言うと、本店からは、「いや、現場で用意してください」という返事が来た。その瞬間、吉田さんが叫んだ。「ふざけんじゃねえ! こっちには、そんな(数の)余裕はねえんだ!」歯に衣着せぬ物言いと、上司にでも食ってかかる豪快さは、吉田さんの真骨頂だ。だが、首相一行はそのまま何も持たずにヘリコプターで一気にやって来た。

菅首相は、免震重要棟の入口で放射能の汚染検査も拒否して、靴だけを履きかえて吉田さんのいる2階に上がっていった。「ヘリコプターから降りて汚染したところを来るわけですから、菅さんたちは、その時点で自分たちが"線源"(注=放射能の汚染源)になっているという意識がなかったですね」吉田さんはあの首相一行の訪問をそう振り返った。その後、空気ボンベを背負ってエアマスクをつけ、炎の中に飛び込む耐火服まで身につけての決死の「ベント作業」の指揮を吉田さんは執った。

使命を果たした男
吉田さんらしさが最も出たのは、なんといっても官邸に詰めていた東電の武黒一郎フェローから、官邸の意向として海水注入の中止命令が来た時だろう。「官邸がグジグジ言ってんだよ! いますぐ止めろ」武黒フェローの命令に吉田さんはこう反発した。

「なに言ってるんですか! 止められません!」海水注入の中止命令を敢然と拒否した吉田さんは、今度は東電本店からも中止命令が来ることを予想し、あらかじめ担当の班長のところに行って、

「いいか、これから海水注入の中止命令が本店から来るかもしれない。俺がお前にテレビ会議の中では海水注入中止を言うが、その命令は聞く必要はない。そのまま注入を続けろ。いいな」そう耳打ちしている。案の定、本店から直後に海水注入の中止命令が来る。だが、この吉田さんの機転によって、原子炉の唯一の冷却手段だった海水注入は続行されたのである。多くの原子力専門家がいる東電の中で吉田さんだけは、原子力に携わる技術者としての「本義」を失わなかったことになる。

その後の荒れ狂わんとする原子炉との苛烈な格闘は、拙著を参照いただきたい。特に3月15日早朝、2号機の格納容器爆発が迫った時、一緒に死んでくれる人間の顔を一人一人思い浮かべて「選ぶ」場面は壮絶だった。福島に多大な被害をもたらしながらも、格納容器爆発という最悪の事態はぎりぎりで回避された。そして、天から与えられた使命を果たして、吉田さんは旅立っていった。吉田さんが亡くなった翌日、私は、東電に同じ技術者として同期入社した吉田さんの親友から、こんなメールを頂戴した。

〈門田さんの吉田さんへの取材があと半月遅れていたら、世に「あの戦争」で闘った"本義を忘れない"男たちのことは迷宮入りしたかもしれません。それを思うと、門田さんと吉田さんの出会いは「神様が与えて下さった」おみやげだったのかもしれません。吉田さんもきっと微笑んで彼岸をわたっていると思います〉奇跡のように「日本」を救い、風のように去っていった男・吉田昌郎―今も事故前と同じく東京に住み続けている一人として、吉田さんに「お疲れさまでした」、そして「本当にありがとうございました」という心からの言葉をお伝えしたいと思う。

以上



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⇒ こちら

以下転載

一昨日(15日)の終戦記念日に、自民党などの国会議員102人が靖国神社を参拝した。黒塗りのクルマから本殿に向かった閣僚を見て、「おやっ?」と思った人もいるだろう。2人の男の“先祖”が気になるのだ。まずは新藤義孝・総務大臣(55)。この人の母方の祖父が太平洋戦争の指揮官、栗林忠道中将(死後大将に昇進)であることは有名だ。栗林は1944年に硫黄島に着任し、翌45年3月、同島に上陸した米軍と激しい戦闘を交えて戦死した。米映画「硫黄島からの手紙」で渡辺謙が演じた将校といえばピンとくるだろう。

映画では物分かりのいい親分肌だったが、実際は大本営に玉砕する旨を打電。2万人余りの将兵を戦死させたのだから責任は軽くない。

古屋圭司・国家公安委員長(60)は自治大臣兼国家公安委員長を務めた古屋亨を父に持つ。亨は東京帝国大学を出て戦前の内務省に入省したが、見逃せないのが岩手県で特高課長を務めていたことだ。特高は正式名称を「特別高等警察」といい、治安維持法のもと、政府や軍部に批判的な人たちを弾圧した。亨が特高課長を務めたのは39年5月~同年12月。岩手県の資料によると、この年、同県で「公安を害する者」として検挙された人は4786人に上る。「告発 戦後の特高官僚―反動潮流の源泉」の著者の柳河瀬精氏はこう言う。「特高は日本の侵略戦争に反対し、国民主権を主張した人たち7万5681人を検挙し、拷問しました。東京・築地署でなぶり殺しにされた作家の小林多喜二が有名です」

そもそも安倍晋三首相(58)の祖父、岸信介がいわくつきの人物だ。満州国の経営に関与し、開戦時は商工大臣として物資動員を担当。敗戦直後にA級戦犯として逮捕されたが、なぜか不起訴となり、57年に総理大臣に就任した。

玉砕軍人と特高警察、そしてA級戦犯――。この内閣は戦前と因縁が深い。安倍政権が右傾化するのと無関係ではないのかもしれない。

以上

古谷亨特高課長 岸信介満州開拓はそのとおりとしても 栗林忠道中将はちょっと違います。

栗林中将はフランス・ドイツ志向の多い当時の陸軍内では少数派の「知米派」であり、国際事情にも明るく対米開戦にも批判的であった。

1944年5月、小笠原方面最高指揮官として栗林忠道陸軍中将は父島へ赴任した。当初は要塞のある父島に司令部を置くことになっていたが、情勢を調査した結果、アメリカ軍は飛行場適地がある硫黄島へ進攻すると判断。師団司令部も硫黄島に移動した。制空権と制海権を持つアメリカ軍に対して、硫黄島が長く持ちこたえることができないことは明白であったが、栗林中将は上陸部隊にできるだけ大きな対価を支払わせ、日本本土への進攻を1日でも遅らせる決意をしていた。、

栗林中将着任前は、一般的な水際防御+万歳突撃のための陣地構築が進められていたが、中将は島中を歩き それを無意味かつ貴重な資材や時間の無駄な浪費として撤回させ、内陸部に誘い込んでの持久戦やゲリラ戦を基本方針とし 天然の洞窟と人工の坑道からなる全長28キロに及ぶ地下坑道が計画され 18キロが建設された。

 坑道は深いところでは地下12mから15m、長さは摺鉢山の北斜面だけでも数kmに上った。地下室の大きさは、少人数用の小洞穴から、300人から400人を収容可能な複数の部屋を備えたものまで多種多様であった。出入口は近くで爆発する砲弾や爆弾の影響を最小限にするための精巧な構造を持ち、兵力がどこか1つの穴に閉じ込められるのを防ぐために複数の出入口と相互の連絡通路を備えた地下要塞だった。また、地下室の大部分に硫黄ガスが発生したため、換気には細心の注意が払われた。戦闘が始まると地下陣地は所期の役割を十二分に果たすことになる。

硫黄島は大本営から見捨てられ 補給もなく 飲料水は雨水だけそれも乏しく 食料もなくわかちあった。兵士たちは銀行員や大工など中年の者と学徒出陣の若者が多かった。彼らはやせ衰えた身体にもかかわらず驚くほどの気骨で アメリカ海兵隊を震え上がらせた。

 1945年(昭和20年)2月16日、アメリカ軍艦艇・航空機は硫黄島に対し猛烈な上陸準備砲爆撃を行い、同月19日9時、海兵隊第1波が上陸を開始)。上陸準備砲爆撃時に栗林の命令を無視し、応戦砲撃を行った(日本)海軍の海岸砲により擂鉢山火砲陣地が露呈し全滅するなど誤算もあったものの、十分にアメリカ軍上陸部隊を内陸部に引き込んだ日本軍守備隊は10時過ぎに一斉攻撃を開始する。圧倒的な劣勢の中、アメリカ軍の予想を遥かに上回り粘り強く戦闘を続け多大な損害をアメリカに与えるものの、3月7日、栗林は最後の戦訓電報を大本営陸軍部と陸大時代の兵学教官であった蓮沼蕃陸軍大将に対し打電(のちの作戦立案などに生かすため参謀本部に送る戦訓電報を、大本営参謀だけでなく畑違いである蓮沼侍従武官長に宛てた理由としては、栗林が強く訴えている陸海軍統帥一元化と海軍批判が黙殺されることを危惧したため)。さらに組織的戦闘の最末期となった16日16時には、玉砕を意味する訣別電報を大本営に対し打電最後の総攻撃を企図した栗林は残存部隊に対し以下の指令を送った。

  • 一、戦局ハ最後ノ関頭ニ直面セリ
  • 二、兵団ハ本十七日夜、総攻撃ヲ決行シ敵ヲ撃摧セントス
  • 三、各部隊ハ本夜正子ヲ期シ各方面ノ敵ヲ攻撃、最後ノ一兵トナルモ飽ク迄決死敢闘スベシ 大君{注:3語不明}テ顧ミルヲ許サズ
  • 四、予ハ常ニ諸子ノ先頭ニ在リ

 1945年1月に発令された最終作戦は、陣地死守と強力な相互支援を要求したもので、従来の攻撃偏重の日本軍の戦術を転換するものであった。兵力の大幅な損耗に繋がる、防護された敵陣地への肉弾突撃・万歳突撃は厳禁された。また、栗林は自ら起草した『敢闘ノ誓』を硫黄島守備隊全員に配布し、戦闘方針を徹底するとともに士気の維持にも努めている。

   ・一 我等ハ全力ヲ奮テ本島ヲ守リ抜カン

  • 一 我等ハ爆薬ヲ抱イテ敵戦車ニブツカリ之ヲ粉砕セン
  • 一 我等ハ挺進敵中ニ斬込ミ敵ヲ皆殺シニセン
  • 一 我等ハ一發必中ノ射撃ニ依ツテ敵ヲ打仆サン
  • 一 我等ハ敵十人ヲ斃サザレバ死ストモ死セズ
  • 一 我等ハ最後ノ一人トナルモ「ゲリラ」ニ依ツテ敵ヲ悩マサン

特に最後の「一 我等ハ敵十人ヲ斃サザレバ死ストモ死セズ」と「一 我等ハ最後ノ一人トナルモゲリラニ依ツテ敵ヲ悩マサン」は、長期持久戦を隷下将兵に徹底させる旨の一文であり、この誓いは実際の戦闘で生かされることとなる。レイテサイパングアムと違って硫黄島は日本の領土 ここを奪われると日本は中継基地を失い 逆にアメリカはまたとない避難場所 基地を得ることになるのだった。

26日、17日以来総攻撃の時機を待っていた栗林大将は最後の反攻を敢行。栗林大将以下、約400名の将兵がアメリカ軍陣地へ攻撃をかけた。この最後の攻撃は栗林が戦闘前から戒めていた決死の万歳突撃ではなく必至の夜襲であり、また攻撃を受けたアメリカ陸軍航空軍の野営地には整備員など戦闘の訓練を受けていない者が多く、当地は混乱に陥った。アメリカ側では53名が戦死、119名が重傷を負ったとされる。これをもって、日本軍の組織的戦闘は終結した。しかし、残存兵力によって局地的戦闘やゲリラによる遊撃戦が終戦まで続いている。

栗林中将は妻や子を愛し こまごました手紙を内地に送っている。その文面を見ると 戦況の先まで見通し 本土の爆撃も予期していたようで 空襲や中将の死後ついてなどことこまかな指示もある。空襲があるとしたらそのときに父はこの世にいないでしょうと書かれていた。実際は最後の攻撃のまえに東京への空襲は行われているのだが 中将が全軍を掌握し 死を賭して硫黄島を守ろうとしたのは 国土だけでなく愛する家族をなんとか守りたいという家族への想いがあったような気がしてならない。ゆえに 新藤義孝・総務大臣の靖国参拝を喜んでおられるかどうか わたしにははなはだ疑問である。

 

以上



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福島原発の事故以前は、放射能汚染食品の輸入基準が厳しかったタイが、原発事故の翌月に基準を緩和し(6ベクレル/kg → 500ベクレル/kg)日本からの輸入量を大幅に増やした。そして、「タイの日本向け輸出缶詰は、日本産が95%」となっている



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きのう 17歳の硫黄島を読んだ。

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作者秋月鶴次さんは群馬県出身(現在は栃木県)15歳のとき 志願しました。配属されたのは 硫黄島 地獄と呼ばれた硫黄島で 地下壕の猛暑と異臭のなかで6時間片時もレシーバーを放さず 通信兵としての勤めを果たし つぶさに圧倒的な米軍の物量の前に 日本軍が制空権も制海権もなくしてゆくさまや激戦地すり鉢山の死闘を目にしたのでした。 壕が破壊されたあとは負傷した身体をひきずりながら 自らは死ぬまい 生きられるだけは生きようとジャングルをさまよい 人事不省のまま 米軍の捕虜となったのです。翌年1月 日本に帰ってからも秋月さんは死んでいった戦友たちのことを片時も忘れず 書き溜めたものを17歳の硫黄島として出版しました。

 「....昼も夜も変わらぬ暑さだ。まるでオンドルが全開しているようだ。汗が糊となって身体中の布を吸いつける頭から煙が上るように湯気が立ちレシーバの押さえる耳の感覚が薄れ腎部が痺れてくる、通信科の隅にはバケツの水が用意されていた。常時、水番が見張っている、一度に小さな茶碗に一杯だけ飲めることになっている、水を飲むと汗が倍加するので控えたいがやはりなによりも水が飲みたい。一度でいいから思い切り飲みたい。バケツの水は、水と言っても名ばかりでしょせん雨水だし、硫黄ガスの独特な臭気と室温を溶かしこんでいる、ゴミや微生物も見え隠れしていた、食事も握り飯がひとつきりだった。」

とうとう米軍上陸 侵攻がはじまる。

「前線陣地からの状況連絡員がきた。彼は米軍上陸以来何ひとつ口にしていないという。食べ物が欲しい、死傷者が続出しているから増援がほしい。弾薬がない。素人の手も借りたい。悲痛な訴えであった。その連絡員を見れば、両手首から先がない。足のある者は弾薬運びを、片手の者はその片腕を使って、兵器を修理しながら奮闘しているのだという。.........増援を頼みます、とその手の無い連絡員は懇願した。さっそく 本部に連絡した。 増援はない。突撃は好ましくない。夜間切り込み作戦により被害を増すより、地下陣地にて持久戦を択び、各自 陣地を死守せよ、との返事だった。わかりました、とにかくそこを墓場として死ねということか.....仲間が今かまだかと待っているので帰ります。....男はちいさく細い病人のような、今にも倒れそうな足取りで戻っていった。」

「一分経過するごとに三人が死に、一メートル進むたびに一人が死ぬ。日本軍の防衛拠点となったのが、島一帯に無数に築かれた全長18キロの地下壕。内部の気温は昼夜問わず40度近くあり、排せつ物や死体の腐乱臭で満ちた。硫黄島の戦いは、敵に接近された時に応戦する持久戦で、本土への攻撃を一日でも遅らせるためのものだった。敵弾が命中すると辺りに肉片が降り注ぎ、「おっかさん」との叫び声が上がった。投降するよりはと死を択ぶものも多かった。銃声一発でひとり死んだと思った。」

「耐久試験だ、これは 人間の......。でも頑張るんだ、このことをだれかに言うんだ、と思った。だから俺は生きなくちゃなんない。......」

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2006年NHKスペシャル 硫黄島玉砕で...

「死んでね 意味があるんでしょうかねえ。どうでしょうねえ。だけど無意味にしたんじゃかわいそうですよね。それはできないでしょう。”おめえ 死んで意味なかったなぁ.......”っていうのでは、酷いですよね。家族に対してもね。そして、どんな意味があったかというと.........これは難しいんじゃないですか? まあ、(死んだ戦友たちに対しては)俺はこういう生き方しかできなかったんだ。勘弁してくれって言うだけです。これで許してくれ、 これで精一杯なんだ、と」

オンエアされなかった秋月さんのことば

どんな意味があったか それは難しい。でも あの 戦争からこちら六十年、この国は戦争をしないですんだのだから、おめえの死は無意味じゃねぇ、と言ってやりたい。」

 

 

 日本軍二万二千人のうち 生き残ったのは千名あまりだったという。硫黄島で硫黄島は自衛隊の管理下におかれ 一般人は入ることができない。まだ一万人以上の遺骨がジャングルのなかに眠っている。



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年々、利用者数が増加しているスマホとタブレット、もはや仕事には欠かすことができないパソコン。こうしたIT機器を駆使している人も少なくない。だが、これらはあなたが気づかないうちに、肩こりや腰痛はもちろん、最悪の場合、心までも蝕(むしば)んでいくのだ。

■体に不調をもたらす『スマホ症候群』
 ここ数年で爆発的に普及したスマホ。....スマホの画面に集中しすぎることで姿勢が悪くなり、体にさまざまな不具合をもたらす。そう警鐘を鳴らすのが、KIZUカイロプラクティックグループ代表院長の木津直昭氏である。

 「私はスマホ操作が原因でもたらされる一連の症状を『スマホ症候群』とよんでいます。その代表的な症状のひとつが『スマホ肩』。これは、スマホを使用するときの持ち方が悪いせいで激しい肩こりや痛みが生じてしまうもの。ひどくなると一般に四十肩などといわれる、腕が上げられなくなる状態にまで症状が悪化することもあります」

 木津氏によれば、多くの人はスマホを持つときに「持ち上げる」動作ではなく、「落とさないように支える」動作をしているという。すると、腕の外側に位置する上腕三頭筋や胸部の小胸筋(しょうきょうきん)、首から背中にかけて広がる僧帽筋(そうぼうきん)をおもに使っている状態になるのだ。

 これらの筋肉は肩甲骨につながっているため、酷使し続けると肩に力が入った状態が続く。その結果、次第に筋肉と筋膜(きんまく)<筋肉を包む膜>の癒着(ゆちゃく)がはじまり、肩から腕にかけて稼働しづらい状態におちいるという

■ストレートネックが抑うつ状態の原因にも
 「また、テニス肘(ひじ)やゴルフ肘とよばれる手首や肘を痛める症状がありますが、同様にスマホを使いすぎることでこれらの部位が過度に酷使される『スマホ肘』も存在します」(木津氏)

 これはスマホ使用時に肘や手首が不自然な位置で固定されることで生じる症状。スマホ使用時に手首のしびれや肘の痛みを感じるのであれば、すでにスマホ肘になっている可能性が高い。

 「そして最後が『ストレートネック』。これは、首を前に突き出す猫背の姿勢を続けることで、本来はカーブを描く首の骨が変形してまっすぐになること。ストレートネックになると、頭を首や肩の筋肉だけで支えなければならなくなりますから、首こりや肩こりを引き起こします」(木津氏)

 もちろん、首や肩の緊張が続くと頭への血流が悪くなり、頭痛の原因となる。それだけではない。首を通る自律神経が筋肉に圧迫され、抑うつ状態やパニック障害になる人もいるのだ。

■スマホ画面の凝視で顔もたるんでくる
 スマホ操作時の間違った姿勢がもたらすのは健康被害だけではない。二重あごなど“顔のたるみ”も、スマホによって引き起こされる。

もしかしたらと思ったら どうぞ 記事のつづきをごらんくださいね....わたし?

スマフォは電磁波がつよいし どこにいるかすぐわかっちゃうので つかいません。.....警察は普通の携帯でもかけると場所を特できるようですね。

 



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いい記事です。

⇒ こちら

以下抜粋

巷ではマスコミが「サバ缶を食べるとやせるホルモンが大量に出る可能性がある」と報道したのがキッカケで「サバ缶ブーム」が起きているようですが、これはサバのステマ(ステルスマーケティング)の可能性が高いと私は見ています。サバ缶に使用されているサバの多くは日本近海の物で、放射能汚染されている可能性が高いです。

実際、色々な放射能汚染測定情報を見ていると、日本近海のサバからは放射性セシウムが相次いで検出されています。そのため、福島原発事故で売れなくなったサバを売りさばくために、マスコミにこのような報道をしてもらうように頼んだのでは?と考えられるのです。

未だに多くの方が、マスコミのこのような情報を鵜呑みにしている現実にため息が出てしまいますね。彼らが賢くならない限りは、日本の現状が大きく変化することはないのかもしれません。

以上

 



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8月4日朝 メビウス気流法夏季合宿 三日目 宿舎の山荘を 朝6:30車五台に分乗して 出発、141号線 野辺山駅の角を右折 JR最高地点の看板を右に見てグレースホテルを左に見て進む。獅子岩は平沢峠にあります。この峠を境に、南に降った雨は太平洋へ、北に降った雨は日本海に流れるのだそうです。つまり 日本の分水嶺が平沢峠・・・最近では火野正平さんがBSんお自転車番組で獅子岩をおとずれました。

また ハインリッヒ・エドムント・ナウマン博士はこの峠で 中央構造線を思いついたそうです。フォッサマグナを考えたそうです。フォッサマグナは新潟の糸魚川から静岡まで日本を縦断する地溝帯。

フォッサマグナ ⇒ こちら

西縁は糸魚川静岡構造線(糸静線)、東縁は新発田小出構造線及び柏崎千葉構造線とされる。糸静線はフォッサマグナの西端であって、「フォッサマグナ=糸静線」とするのは誤りである。つまり、地図上においては、糸静線は「線」であるが、フォッサマグナは「面」である

中央構造線 ⇒ こちら

関東から九州へ、西南日本を縦断する大断層系で、1885年(明治18年)にナウマンにより命名される。中央構造線を境に北側を西南日本内帯、南側を西南日本外帯と呼んで区別している。一部は活断層である。

赤い線が中央構造線 ピンクの部分がフォッサマグナ

ランドサットから見た中央構造線 ⇒ こちら

フォッサマグナ 中央構造線上に龍のつく地名 神社が多いのだそうです。

⇒ こちら

地上700km上空から写した人工衛星画像には、西南日本を縦断する、まっすぐな谷が写っています。延長1000kmにおよぶ、日本列島最長の谷です。

 

この谷は、大断層「中央構造線」の破砕帯を、川が侵食してできたものです。 天竜川はすこしずれていますが 紀ノ川 吉野川は 川のながれそのままです。・・・・とすると 龍の地名がついているのもうなづけますね。

中央構造線と糸魚川(いといがわ)-静岡線が、諏訪(すわ)湖で交差 しています。

九州中央部では、阿蘇山の下にかくれています。

中央構造線は、静岡県水窪から青崩(あおくずれ)峠を越えて長野県に入り、伊那山地と赤石山脈の間を、遠山~大鹿~長谷村へ北上し、高遠(たかとお)町の東方から杖突峠を通り、茅野市の諏訪大社前宮付近へ続きます。

関東平野の中央部では、地下3000メートルに、平野の底になっている中生代の岩盤があります。地下3500メートルまでたっしたボーリングにより、埼玉県さいたま市岩槻の南方を中央構造線が通っていることが確かめられました。茨城県では、鹿島か大洗のどちらかの地下へ延びていると考えられています。

鹿島灘の下では、中央構造線は棚倉構造線に切られているとされます。しかし、中央構造線ができ始めたころは、棚倉構造線とつながっていたと考えられています。

棚倉構造線は東北日本と西南日本の境界

古生代~中生代~古第三紀の古い岩石を、日本列島の骨組み(基盤)とみなします。

山形県酒田~福島県棚倉~茨城県水戸北方を通る「棚倉構造線」を境に、日本列島の基盤岩の並び方は、大きく食いちがっています。そこで、棚倉構造線を境に、東北日本と西南日本に分けられています。

 

このブログをごらんになっていた方はおわかりと思いますが わたしは知らず知らず 龍神を追っていました。前宮は地図上では元宮と同位置になります。昨年の三回にわたる和歌山の旅では 大三輪山からはじまって天河神社をめぐり 熊野三社 玉置山 花の窟神社 神倉山・・・ 長野戸隠奥社九頭龍大神 今年6月 瀧原宮 伊雑宮 伊勢外宮 内宮・・・・ 

そして 今回の旅が 示してくれたものも 大きな贈り物でした。

・・・・・

ひろびろした駐車場 けれども 八ヶ岳は細長い雲のかたまりに阻まれ見えません。獅子岩にのぼり(花の窟神社近く 七里美浜にも獅子岩があります) 風に吹かれることしばし やがて雲の切れmから赤岳 横岳が雄雄しい姿をあらわしました。・・・・ 写真はあとで・・・・・・

・・・・・ところで

断層に沿って川ができる・・・・素人考えですが 地下水脈も 構造線に沿ってはいないでしょうか? フクシマでは地下のどこまで 汚染水は到達したのでしょう?



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