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明の楊慎の酒2

2017-01-14 15:57:38 | Weblog
写真は昆明にほど近い安寧温泉の入り口の摩崖石刻群。
明清、二つの時代の文人墨客がこの温泉に来ては、開放的な気分に浸り、文字や詩を残していった。全部で160余幅、刻まれてる。 明の時代より、有名な温泉地となっていて、近くには寺もあり、昆明からもほど近く、雲南の文人のあこがれの遊湯地だった。
流人として雲南になってきてほどなく、この場所に移れたなら、どんなにほがらかな気分になったことだろう。

【雲南を愛し、愛された楊慎】
まだまだ雲南で学問をするのに書物も限られ、先生も限られていたときに、流人としてスーパーエリートが雲南にやってきました。ミャンマーにも近く、まだまだ治安も不安定な永昌の地ではたいへんだと、雲南の人士は、すぐに対応します。

流された翌年の1525年春に温泉地として今でも有名な安寧の地に彼を招いて、自由度の高い生活環境を整えました。

ここで楊慎は温泉つきの家を持ち、人々の尊敬のまなざしを受け、それなりに快適な生活を送りました。

栄達の望みは絶えたものの、雲南で彼が記した本などを読むと、じつにほがらかで、人生を楽しみ、雲南でできた友人らを大切にしていた様子が見て取れます。

そればかりか当時、雲南の地位の高い人でも、知ろうとはしない少数民族の言葉も自ら学んで、彼らとも挨拶を交わすなど、心の奥底はともかくとして、伸びやかな雲南ライフを送りました。

有り余った時間を使い、その境涯の中で記した著作は3000巻。どれだけ執筆をしたのか、と思うほどの半端でない量です。彼のおかげで残った雲南関係の歴史書も数多くあります。
他に彼に私淑する人々に詩の指導なども積極的に行って楊慎派、とよばれる雲南の文学界を後に牽引する人々を何人も育てたのです。

その彼が愛したことが、詩作と酒。酒の描写が、とても具体的です。次回はその話を。(つづく)

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