写真は雲南の市場にて。春節前には縁起物のさとうきびが飛ぶように売れていた。
【さとうきびを門松に】
雲南でのサトウキビの収穫は11月から3月。そして春節前になると、葉つきで竿竹のように長くて立派なサトウキビ売り場が突然、市場に設けられた。2本セットで飛ぶように売れていく。
昆明出身の大学生が、
「形が『節節高』で味が『甘くて美味しい』ので縁起物として、門柱に1本ずつ、計2本飾ります。後で嘗めることができるから、子供たちは大好きなんですよ」
と教えてくれた。なんと正月の飾りものとしてサトウキビが使われているのだ。
ちなみにサトウキビの食べ方は、黒々とした皮を剥いて、中心部分の白くて比較的柔らかいけど、縦に繊維がびっしり通ったある部分を噛みしごいて、その汁を吸うというもの。これが、簡単に甘い食品を取ることができる現代人の私や娘にとっては結構、まどろっこしい。
とはいえ日本の門松に竹が使われるように節節で伸びる縁起物で、しかもおやつにもなるわけだから、まさに一石二鳥。そもそも日本の門松のルーツは中国で、その中国では一般的には春聯という、一対の赤い紙におめでたい言葉を書いて、玄関先などに飾る。だが昔は魔除けに桃の木のお札を表門の両側に飾った、という言い伝えもある。
雲南ではそれがサトウキビとなったわけだが、これは雲南独特のものなのだろうか。調べてみると、明代(日本の室町時代から江戸時代初期)の福建省や、民国期(日本の大正、昭和初期)の浙江省でも、同様の飾りがされていたことがわかった。
「大晦日の夜に門を閉じ、サトウキビの樹木を束ねて門の両側に立てる。年が明けると門を開ける。人々が年始参りで門をくぐると『佳しき境に入っていく意味』となって喜ばれた」という(『杭州府志・歳時民俗』)。これを「封門甘蔗」と呼んだ。
また正月に子供たちが糖を食べる習慣もあり、運が向くように、また一年が無事であるようにとの願いをこめたとか。
雲南では、それらの風習が脈々と今に受け継がれてきたわけだが、他の地域にも残されているのだろうか。一応、インタ-ネットで中国語のペ-ジにアクセスしてみたが、それらしい風習を発見することはできなかった。
もしサトウキビの飾りものの風習を他地域で見た方がいましたら、ぜひコメントをお寄せください。(つづく)
【さとうきびを門松に】
雲南でのサトウキビの収穫は11月から3月。そして春節前になると、葉つきで竿竹のように長くて立派なサトウキビ売り場が突然、市場に設けられた。2本セットで飛ぶように売れていく。
昆明出身の大学生が、
「形が『節節高』で味が『甘くて美味しい』ので縁起物として、門柱に1本ずつ、計2本飾ります。後で嘗めることができるから、子供たちは大好きなんですよ」
と教えてくれた。なんと正月の飾りものとしてサトウキビが使われているのだ。
ちなみにサトウキビの食べ方は、黒々とした皮を剥いて、中心部分の白くて比較的柔らかいけど、縦に繊維がびっしり通ったある部分を噛みしごいて、その汁を吸うというもの。これが、簡単に甘い食品を取ることができる現代人の私や娘にとっては結構、まどろっこしい。
とはいえ日本の門松に竹が使われるように節節で伸びる縁起物で、しかもおやつにもなるわけだから、まさに一石二鳥。そもそも日本の門松のルーツは中国で、その中国では一般的には春聯という、一対の赤い紙におめでたい言葉を書いて、玄関先などに飾る。だが昔は魔除けに桃の木のお札を表門の両側に飾った、という言い伝えもある。
雲南ではそれがサトウキビとなったわけだが、これは雲南独特のものなのだろうか。調べてみると、明代(日本の室町時代から江戸時代初期)の福建省や、民国期(日本の大正、昭和初期)の浙江省でも、同様の飾りがされていたことがわかった。
「大晦日の夜に門を閉じ、サトウキビの樹木を束ねて門の両側に立てる。年が明けると門を開ける。人々が年始参りで門をくぐると『佳しき境に入っていく意味』となって喜ばれた」という(『杭州府志・歳時民俗』)。これを「封門甘蔗」と呼んだ。
また正月に子供たちが糖を食べる習慣もあり、運が向くように、また一年が無事であるようにとの願いをこめたとか。
雲南では、それらの風習が脈々と今に受け継がれてきたわけだが、他の地域にも残されているのだろうか。一応、インタ-ネットで中国語のペ-ジにアクセスしてみたが、それらしい風習を発見することはできなかった。
もしサトウキビの飾りものの風習を他地域で見た方がいましたら、ぜひコメントをお寄せください。(つづく)
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