*本稿は筆者が1990年から1992年までマレーシアのボルネオ(サラワク州ミリ市)で石油開発のため駐在した時期に思いつくままをワープロで書き綴り日本の友人達に送ったエッセイです。四半世紀前のジャングルに囲まれた東南アジアの片田舎の様子とそこから見た当時の国際環境についてのレポートをここに復刻させていただきます。
第9信(1992年1月)
明けましておめでとうございます。日本は年末年始大型連休となりゆとりのある休暇を過ごされたことと思います。多民族、多宗教のここサラワクではクリスマスから半年にわたるお祭りシーズンの開幕です。キリスト教徒のクリスマスに続き新暦の正月、そして2月には中国人が祝う旧正月(春節)で賑やかな爆竹と獅子舞の銅鑼の音が鳴り渡り、4月のイスラム教徒の新年(ハリラヤ)にはモスクから荘重なコーランが流れます。シーズンの最後を飾るのは6月に行われるサラワク原住民のお祭り(ガワイダヤック)で、かつての首狩族が色鮮やかな民族衣装をまとい五穀豊穣を祈って踊りに興じます。仕事柄あらゆる人種や宗派と付き合う必要がありますので、その都度GREETING CARD(年賀状)を出し、お祭り当日には有力者の家を表敬訪問するため結構忙しい日々になります。
私も当地で3度目の正月を迎えました。長く滞在しているとその地の自然風土、歴史等に関する本を読んでみる気になるものです。この地域に関する本は少ないのですが、その中で最近ウオレス著「マレー群島」及び金子光晴著「馬来・蘭印紀行」の2冊を読みました。ウオレスは19世紀半ばの生物学者でボルネオからニューギニアに至る広範囲な地域を探検調査し、ウオレス線と呼ばれるオーストラリアとアジア大陸の動物分布の境界線を発見したことで生物学史にその名をとどめています。彼は進化論で有名なダーウィンとも親交があり、彼がニューギニア滞在中にロンドンのダーウィンに書き送った手紙が進化論提唱のきっかけになったそうです。そのためウオレスはダーウィンに手柄を横取りされたとして、後に「ダーウィンに消された男」という本も出版されています。(実際には二人の親交は終生変わらず、ウオレスが晩年困窮した時にダーウィンは彼に援助の手をさしのべています。)
一方、金子光晴の紀行文は日本の南方進出がにぎわいを見せた1930年代にマレー半島、シンガポール、ジャワを旅行した時のものです。2冊の著書の間には半世紀以上の隔たりがありますが、未開地のことですから現地人や自然の状況は全く変化がありません。ただ記述そのものはウオレスが自然科学者としての鋭い観察で熱帯の自然を緻密に描写しているのに比べ、金子は豊かな感性と言葉を駆使して読者の想像力をかき立てる違いがあります。しかし二人の間に共通するのは異境の地に対する憧れとそこを旅するロマンの香りです。
特にウオレスの場合は蝶や鳥を追い求めジャングルの奥へ、そして珊瑚礁の彼方の島々へと文明人の足跡が殆どない土地を彷徨しています。マラリアや毒虫、野蛮人の襲撃等に脅かされながらの旅には筆舌に尽くしがたい苦労があったはずです。だからこそ彼の著書には読者を感動させる何かがあるのでしょう。
金子が旅行してからさらに半世紀余り経ち、今ではジャングルは切り開かれて街となりました。多くの方々は今もボルネオやニューギニアに昔ながらのイメージとロマンをお持ちでしょうが、旅行会社が企画するボルネオ秘境ツアーなるものに参加されてもきっと失望されるだけです。そこにあるのは近代的なオフィスで周到に練り上げられ商品化された疑似ロマンなのです。もちろんそれで十分だとおっしゃる人には何ももうしあげません。今時本物のロマンなど期待する方が無理でしょうから。
(続く)
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