石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

(復刻)ボルネオ便り(第7信)

2015-11-19 | その他

*本稿は筆者が1990年から1992年までマレーシアのボルネオ(サラワク州ミリ市)で石油開発のため駐在した時期に思いつくままをワープロで書き綴り日本の友人達に送ったエッセイです。四半世紀前のジャングルに囲まれた東南アジアの片田舎の様子とそこから見た当時の国際環境についてのレポートをここに復刻させていただきます。

第7信(1991年7月)
 マレーシアの車は日本と同じ左側通行です。世界的には米国、欧州大陸にならい右側通行が主流ですが、旧英領植民地では伝統的に左側通行が多いようです。旧英領植民地各国は今も英連邦(コモンウェルスと呼ばれる連合体を形成し、数年毎に各国持ち回りの連邦会議を開いています。英連邦は第二次大戦後に生まれたEC、ASEAN、ワルシャワ条約機構のような政治的、経済的な意図は薄く、親睦を図る仲良しクラブのような性格のものです。

 昨年マレーシアがホスト国となってこの連邦会議が開かれ、エリザベス女王が臨席されましたが、英国王室は連邦の象徴であり、女王に対する各国の敬愛の念は並々ならぬものがありました。イギリスの植民地統治が如何に上手であったかを思い知らされます。植民地といえば暗いイメージがあり、日本では未だに朝鮮半島や中国大陸での旧日本軍の犯罪が問われ、天皇の謝罪問題が云々されています。歴史上、植民地統治をこれほど見事になし終えた国はイギリスだけではないでしょうか。ポルトガル、スペインはイギリスよりも早く大航海時代に南米から黄金、アジアから胡椒を持ち去り、現地にカソリック教と混血児を残しました。彼らのおかげで南米はローマ法王庁の一大勢力圏になりましたが、肝心の両国は衰退してしまいました。イギリスより遅れて植民地支配に乗り出したフランスはアルジェリア、インドシナの独立戦争で手痛いしっぺ返しを受け、「ペペ・ル・モコ(郷愁)」、「外人部隊」など映画の名作を残しただけです。

 何故今でも旧植民地各国が離反せず、それどころか英国に特別の親しみと憧れを感じるのか(これらの国では子弟をロンドンへ留学させることが夢であり誇りなのです)、その秘密は中世の騎士道精神やマグナカルタ以来数百年にわたる民主主義の実践経験にあるのでしょうか。私の住むミリはシェル石油(英国とオランダに本拠をおく世界屈指の石油会社)の生産基地であり、多くの英国人と話す機会がありますが、そのささやかな経験の中でもやはり大英帝国の末裔は他と違うような気がします。彼らの外国人に対する態度たるや、誇りが高く(裏返しに見れば傲慢で)、思慮深く(狡猾で)、誰もが物腰の柔らかい(慇懃無礼な)紳士・淑女ばかりです。最近やっと国際化したばかりの日本人などちょっとお呼びでない、といった風格すら感じます。

 大英帝国が世界中に発展した時代と現代は違いますから日本が今後どんなに科学技術を駆使して世界経済に支配的地位を占めることができたとしても、日本版コモンウェルスを築くことはできないでしょう。しかしイギリスが今でも旧植民地の精神的絆になっているように、他国から模範にされ、頼りにされる国になれれば言うことは無いでしょう。

 世界地図を広げると、イギリスと日本はユーラシア大陸の両端に位置し、緯度もほぼ同じ地位さん島国だということに気付かれるでしょう。かつて大英帝国は7つの海に植民地を持ち、日の没することが無いと形容されましたが、今は日本が7つの海を駆け巡る大通商国家になりつつあるようです。地理的共通性だけをもとに日本の未来を英国の過去にだぶらせるのはこじつけ過ぎでしょうか。

(続く)

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
 前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
   Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
   E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする