石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

最近のOPEC+(プラス)生産目標量と実生産量の推移(1)

2023-06-19 | OPECの動向

(注)本レポートは「マイライブラリー」で一括してご覧いただけます。

http://mylibrary.maeda1.jp/0579OilSupplyByOpecPlusJune2023.pdf

 

サウジアラビアを中心とするOPEC加盟10カ国とロシアを中心とする非OPEC産油10カ国、いわゆるOPEC+(プラス)の20カ国は最近、頻繁に生産目標量を引き下げている。それはOPECプラス閣僚会合による一斉減産あるいは複数の国による自発的な減産であったり、時にはロシアまたはサウジアラビアによる単独自主減産など種々の形態をとっている。

 

ここでは昨年9月以降、最近の6月までの公表数値に基づき来年12月末までのOPEC+全体及び主要国の生産目標量の推移を確認する。またサウジアラビア、ロシア等の主要産油国については昨年10月から今年5月(または4月)までの実生産量と生産目標量との乖離を比較する。

 

生産目標についてはOPEC資料ではRequired ProductionあるいはVoluntary Productionと表記されているが、本稿では生産目標量とした。実生産量はOPEC月報(Monthly Report)のデータを引用している。ロシアは2022年1月以降、同国エネルギー省による公式発表がないため、OPEC月報の数値を引用した。

 

なおOPEC加盟国13カ国のうちイラン、リビア及びベネズエラ3カ国は協調減産に参加していない。いずれも米国(及び一部先進国)による経済制裁措置を受けているためである。これらの国々の生産量100万B/Dを超えている。参考までにこれら各国の実生産量と共に、OPECプラスの減産方針に大きな影響を及ぼすBrent原油の国際市場価格の動向を合わせて提示する。

 

1.昨年10月以降の生産目標の推移(表1-D-2-36参照)

 昨年10月の閣僚会合でOPECプラスは▲200万B/Dの協調減産を決定した。この結果11月以降の目標生産量は41,856千B/D(OPEC10カ国 25,416千B/D、非OPEC10カ国16,440千B/D)となった。サウジアラビア及びロシアは共に10,478千B/Dで全体の丁度半分を占めている。

 

 その後今年2月にロシアは自主的に▲500千B/Dの減産を表明した。ウクライナ紛争で欧米各国の輸入制限を受けたこともあり原油価格の上昇を狙ったものと見られる。4月2日にはOPEC6カ国と非OPEC2か国がロシアに追随する形で▲1,157千B/D(内、サウジアラビア▲500千B/D)の自主減産を公表、5月以降のOPECプラス20か国の生産量は40,199千B/D(OPEC10カ国 24,377千B/D、非OPEC10カ国15,822千B/D)になった。

 

 6月14日のOPECプラス閣僚会合ではこの協調減産体制を来年末まで継続することが確認されたが、その際、来年1月以降については現在の実生産量を考慮して各国の生産目標を微調整し、OPEC+全体としては現在よりも385千B/D多い40,584千B/D(OPEC10カ国 24,994千B/D、非OPEC10カ国15,590千B/D)とされた。なおサウジアラビアは今年7月のみ▲1,000千B/Dの追加減産を表明している。

 

 これらの結果を総合すると、OPEC10カ国の目標生産量は昨年10月以前の26,689千B/Dから今年5月以降は24,377千B/Dに▲9%弱減少していることになる(7月のみはサウジアラビアの1,000千B/D自主減産により▲12%減)。また非OPEC10カ国の減産率は▲8%弱となる。因みにサウジアラビアとロシアの今年8月以降12月までの目標生産量は共に9,978千B/Dであるが、来年1月以降はサウジアラビアは昨年11月~今年4月までの水準(10,478千B/D)に復帰する一方、ロシアは9,949千B/Dとこれまででもっとも低い水準に落ち込み、サウジの目標生産量と500千B/D近い差が生じることとなった。

 

(続く)

 

 

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見果てぬ平和 ― 中東の戦後75年(14)

2023-06-19 | 中東諸国の動向

(英語版)

(アラビア語版)

 

(目次)

 

プロローグ(14)

 

014バルフォア宣言(1/2)

英国の3枚舌外交の中で最も有名なものが「バルフォア宣言」であろう。バルフォア宣言は三つの約束の中では最も遅く、1917年11月に英国外務大臣アーサー・バルフォアがユダヤ系貴族院議員ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド宛に送った書簡であり、世界のユダヤ人に対してパレスチナの土地にホームランドを建設することを認めたものである。

 

西暦135年にローマ帝国ハドリアヌス帝が度重なるユダヤ人の反乱を鎮圧、かれらがエルサレムに立ち入ることを禁止してからユダヤ人たちの「ディアスポラ(離散)」の長い歴史が始まった。彼らはヨーロッパ各地で白人たちの蔑視と迫害に耐えながらいつの日か祖国パレスチナに帰ることを夢見ていた。それは19世紀に入って政治的なシオニズム運動(約束された故郷シオンの土地に帰ろう、という運動)になった。

 

19世紀から20世紀にかけて発展した金融資本主義の中で世界の金融を握ったのがユダヤ人である。それはユダヤ人の資金力が戦争の勝敗を左右する時代でもあった。日本が日露戦争に勝利したのは日本の戦時債を米国ウォール街のユダヤ人銀行家が引き受けてくれたおかげであることは誰もが知っている戦時秘話であるが、第一次大戦でもユダヤ資本が勝利の鍵を握っていた。そしてそのユダヤ資本家の代名詞とも言えるのがロスチャイルド財閥である。のどから手が出るほど金に困っていた英国は戦争資金の調達をロスチャイルドに持ち込み、その見返りとしてユダヤ人のシオニズム運動を後押ししたのである。

 

(続く)

 

 

荒葉 一也

E-mail: Arehakazuya1@gmail.com

 

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