(英語版)
(アラビア語版)
(目次)
プロローグ(13)
013.サイクス・ピコ協定(2/2)
一方英国はと言えばバグダッドからバスラ、さらにクウェイトからペルシャ(アラビア)湾岸を南下する一帯が直接統治領となり、アンマンからアラビア半島北部の砂漠地帯が勢力圏と定められた。現在でいえばイラク南部、ヨルダン、ウジアラビア北辺及びクウェイトからUAEに至るGCC湾岸諸国である。
そして次に述べるバルフォア宣言によりその後中東最大の火種となるパレスチナは英仏共同統治領とされたのである。
「サイクス・ピコ協定」は英国、フランス及びロシアの3カ国による帝国主義植民地獲得競争の産物であって、数千年にわたり地域一帯でそれなりの平和と秩序を保ってきたアラブ民族の意向は一顧だにされない秘密協定であった。ところが協定締結のわずか1年後の1917年にロシア革命が勃発、革命政府によってこの秘密協定の存在が暴露されたのである。「フセイン・マクマホン協定」の誠実な履行を求めるアラブ側が反発したのは当然であった。
(続く)
荒葉 一也
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