昨日、足利の福田さんが、2月6日発行の下野新聞を持って里に来ました。
県南・両毛版に、2月2日に行われた「オカリナ演奏会」の記事が掲載されていました。
その記事の内容におかしな記載があったので報告します。
まずは、その記事を下の行をクリックしてご覧下さい。
「オカリナ発表会の下野新聞記事」をダウンロード
オカリナ奏者の宗次郎さんたちが、
旧田沼町でオカリナを制作していたのは事実ですが、
宗次郎さんたちがきっかけとなって、
田沼町の商工会青年部がまちづくり事業を始めた
というのは間違っています。
宗次郎さんが旧田沼町飛駒で火山久さんの元で、
兄弟子の松本寿和さん谷力さんの4人でオカリナを作っていたのは
、30年以上前の事です。
その後、宗次郎さんがプロデビューする前は、
栃木県茂木町の廃校になった中山小学校跡に「風音工房」を構えて、
オカリナ作りをしていました。
自分が谷力さんと知り合うきっかけとなった
「おんざけ」の主催したカントリーフォークフェスティバルには、
茂木町から宗次郎さんにも出演していただいたこともありました。
商工会青年部が旧田沼町白岩町高谷の空き家を借りて、
改修して、谷力さんを迎え入れて「風工房」を立ち上げたのは約22年前になります。
オカリナの里づくり活動が軌道に乗り「オカリナ発表会」を開催したのは、18年前です。
その頃、宗次郎さんは、プロのオカリナ奏者として全国的に活動していました。
という訳で、商工会青年部が、オカリナの里づくり事業を始めたきっかけになったのは
谷力さんがいたからです。
旧田沼町のすべての小学校にオカリナを配り指導をした中心人物は谷力さんです。
そのことは、当時商工会青年部にいた方や地元の方たちはよく知っているはずです。
下野新聞の取材に誰が対応したのかわかりませんが、間違っている事を記事にされて残念です。
それから、今回自分は参加出来なかったのですが「オカリナ発表会」の時に、
オカリナの里づくりに尽力してきた谷力さんの事が全く紹介さなかったという事も、
オーナーや東二さんや田沼のサークルのメンバーから聞きました。
2004年12月18日、谷力さんが50歳の若さで逝去されてからは、
それまでうまくいっていた町のオカリナの里づくりが、
何かチグハグになってしまいました。
自分としては、谷力さんの事が忘れ去られてしまうようで、残念な気持ちでいっぱいです。
谷力さんの事を忘れさせないためにも、細々ではありますが、
「高谷オカリナの里」の仲間一同、活動を続けていくつもりです。
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