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台風一過、のんびりして映画「風立ちぬ」観る。昨日の蓮池さんが語った「夢」と宮崎さんが描いた「夢」がぶつかり合いながら2時間。ある権力によって「夢」見ることを断ち切られた蓮池さんと「美しい飛行機を作りたい」という「夢」は次元が違っていることは確か。
ただ、宮崎さんのこれまでの作品は技術的にもすごいけど強いのメッセージ性がからまって壮大なものになっていた。戦争とは一般的に「夢見ることを断ち切る社会」と理解されている中で「ゼロ戦」を作った技術者の社会との葛藤はほとんど描かれない。
勿論、貧しい子ども達、特攻、ドイツの反ナチスとおぼしき人物、「ゼロ戦に乗って帰って来たものは一人もいない」とする残骸シーンなど戦争賛美でないことはまちがいない。「機関銃の載せなければもっと早く美しい飛行機ができる」とも語っている堀越。
この作品の中での社会的葛藤は、結核にかかった命短い菜穂子との「もう私達には時間がありません」という貧しき戦争社会にけなげに生き抜こうとする女性との恋物語の中に描かれている。しかも、、戦争を支える軍需産業の技術エリートの「夢」として。
長い間、宮崎駿ファンとしてあったものからすると更にそこを深読みして敢えてそのように描くことでもっと「夢」が持つ普遍性を広げようとしているのではなのか、と。宮崎さんは、自分の作品を観てはじめて涙したとのことであるがどこに涙したのだろうか。