イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

高瀬隼子 「水たまりで息をする」読了

2021年08月06日 | 2021読書
高瀬隼子 「水たまりで息をする。」読了

最近読んでいる本は図書館の新規購入本の棚に置かれている本で、特に内容を見ることもなくタイトルが面白そうだから借りてみたという本たちだ。だからこの前に読んだ本も生物学の本かと思ったら数学の本であったということになる。
この本も小説だとはわかっていたがこの作家のことはまったく知らなかった。あとから知ったのだがこの作品は、第165回の芥川賞候補作だったそうだ。

あることがきっかけで夫が風呂に入らなくなった。そのことが原因で夫婦の距離感というものは一体なんであるかということが浮き彫りになってくる。
多分、純文学というものは読む人それぞれで物語が語りたいと思っているであろうことの捉え方が異なると思うのだが、僕は、この、「夫婦の距離感」だと思った。

主人公である妻は、結婚という決断をしたことをこう回想している。
『結婚した方がいいから結婚した。子供がいた方がいいから作ろうとしたけど、できなかった。夫婦二人仲良く生きていく選択をしたほうがいいから、そうした。』
「そうした方がいい」それが主人公の人生の決め方のようである。子供がいない共働きで食事も別々で買ってきたものを食べる。そんな生活を義母は「おままごとみたい」というけれどもそれのどこが悪いのかと思っている。
風呂に入らなくなりだんだんと臭くなり、それが原因で会社も辞めてしまうような夫だから見捨てようと思えばいつでも見捨てることができるはずだがそれができない。しかし夫婦だから、離れない方がいいから別れない。二人で生きてきたのだから。
無数に選択肢がある人生で、熟慮して選んでこなかったといって、全てが間違いになるわけではない。だからそれでいいと思っている。
結末はこのストーリーには似合わないように思うが、主人公の考え方はこんな感じだ。

僕と僕の奥さんの関係もこんな感じなのかもしれない。多分、お互いに、「そろそろ結婚する相手を見つけなければ。」と思っていたところでそんな感じになったというところだろう。相手はどうか知らないが少なくとも僕はそんな感じだった。
お互い趣味も違うし(というか、奥さんにはまったく趣味や興味というものがないように思う。)生活の好みも違う。唯一似ているのがお金を使いたくないというところくらいだ。僕は風呂には入らないことはないが、休みとなると海や山に行き、家にいるときにも木を切ったり塗料を塗ったりしている。あまり清潔とは言えない生活で確かに奥さんはそれが嫌いらしく僕のそういう遊び着は脱ぐとすぐにそれだけを洗濯し始める。
だからふとした時に、この人なんでここに居るのだろうと思う時がある。僕と結婚したことで何のメリットがあったのだろうと思う時もある。『向こう側にいるような感覚がある。足元を見ると深く抉れたような割れ目がある。』とまではいかないが、近い感覚だ。
お金をたくさん稼いでくるわけではないし、顔もいいわけではない。僕の趣味に付き合うわけでもないから休日も別行動だ。
だから、どうして、「もう飽きました。」と言わないのかというのがある意味不思議だと思うのだが、この本を読むと奥さんの心理も主人公のようなものなのかと思えてくるところがある。
「そうしたほうがよい。」という前提で人生を送ってきたということか。まあ、それもお互いさまというところだろうが・・。ひとはそうやって人生を送るものだとなんとなく納得してしまう内容であった。しかし、『二人で生きてきたのだから。』という言葉はかなり重い・・・。


臭いということと風呂に入らないということについて物語とはまったく関係がないがいくつかのことを書いてみたいと思う。
もう、40年近く前だが、おそらくその頃はラジオ少年だったのでラジオから流れてきた話だったと思うが、伊勢正三という歌手が語っていた内容だ。伊勢正三というと「かぐやひめ」のメンバ―で今や伝説のシンガーというところだが、その頃から伝説のひとで一線からすこし身を置いて富士山の麓で農業をしながら暮らしているということだった。伊勢正三もこの頃、まったく風呂には入っていないとそのラジオで言っていた。人間は長いこと風呂に入らないと最初はベトベトして体が臭くなるが、ある時を境にそういうことがなくなって臭いもしなくなり体もさらさらしてくるというのだ。なんで僕がそんなことを覚えているかというと、ちょうどその頃僕は大学受験を前にして水疱瘡に罹った。
水疱瘡になると風呂に入れないから僕も多分2週間ほど風呂に入らなかったのだが後半は伊勢正三が言っていた通り、体がサラサラしてきたのだ。あの人の言っていたとおりだとその時思った。まさか今、そういうことを実践しようとは思わないが、芥川賞の審査員の中にそういうことを知っていた人がいて、この話にはリアリティがないというので受賞を逃したのではないかというのはかなり勘繰りすぎだろうか・・・。

主人公の夫は、風呂に入らないことで同僚を苦しめたという一種のハラスメントに当たるということで改善がされなければ解雇すると通告され退職することになるのだが、臭いということはやっぱりハラスメントになるのだということが明らかになった。去年の職場の臭い同僚にも、あなたはハラスメントをしていると堂々と言ってやればよかったと悔しい思いがする。しかし、あんなに臭いと思ったのに、その臭さを頭の中で再現できないというのは以前に書いた感想のとおりだ。
芥川賞の審査員もその臭いを想像できなくてこれはリアリティがないというので受賞を逃したのではないかというのはやっぱり勘繰りすぎだろうか・・・。


コメント (2)
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