イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「これでおしまい」読了

2021年08月25日 | 2021読書
篠田桃紅 「これでおしまい」読了

釣りに行く日の朝は大体、テレビをつけたまま新聞を読んでいる。早朝のNHKでは曜日は知らないが(調べてみると毎週土曜日だった)、「あの人に会いたい」という番組を放送している。たまたま見た日が著者の放送だった。まったくどんな人かということを知らなかったのだが、映し出される水墨画で書かれた大きな作品には驚きを覚えた。大体こういう作品はあんまり意味が分からなくてこういうのを前衛的っていうんだね・・。くらいにしか思わないのだが、著者の作品については斬新を通り越してすごいと思った。
ただ、その時は、ああ、こんな人がいたんだなと思うだけだったが、同時に読んでいた新聞をめくっていると、この本が広告に載っていた。これはきっと篠田桃紅という人をもっと知りなさいという何ものかのお告げに違いないと思い借りてみた。図書館の蔵書を調べてみるとけっこうな数の予約が入っていて、放送は6月26日であったようだが、直後に予約して約2か月後にやっと順番が巡ってきた。

例によってプロフィールをウイキペディアで調べてみると、
『篠田 桃紅(しのだ とうこう、本名:篠田 満洲子、1913年3月28日 - 2021年3月1日)は、日本の美術家、版画家、エッセイスト。映画監督の篠田正浩は従弟にあたる。
日本の租借地だった関東州大連に生まれる。5歳頃から父に書の手ほどきを受ける。その後、女学校時代以外はほとんど独学で書を学ぶ。1950年から数年、書道芸術院に所属して前衛書の作家たちと交流を持つが、1956年に渡米。抽象表現主義絵画が全盛期のニューヨークで、作品を制作する。文字の決まり事を離れた新しい墨の造形を試み、その作品は水墨の抽象画=墨象と呼ばれる。アメリカ滞在中、数回の個展を開き高い評価を得るが、乾いた気候が水墨に向かないと悟り、帰国。以後は日本で制作し各国で作品を発表している。

和紙に、墨・金箔・銀箔・金泥・銀泥・朱泥といった日本画の画材を用い、限られた色彩で多様な表情を生み出す。万葉集などを記した文字による制作も続けるが、墨象との線引きは難しい。近年はリトグラフも手掛けていた。
海外では昭和30年代から美術家としての評価が高かったものの日本では海外ほどの評価を得ることができないままであったが、2000年代に入り新潟県新潟市や岐阜県関市に篠田の名を冠するギャラリーが相次いで開館した。
2015年、『一〇三歳になってわかったこと』が45万部を超えるベストセラーになる。
2021年3月1日、老衰のため東京都青梅市の病院で死去。107歳没。』

となっている。
この本の構成は、篠田桃紅の人生観を本人が語った短い箴言のような形のものと、本人が歩んだ人生の記録が交互に収録されている形となっている。人生の記録については別の人が書いているようで、また、おそらく原稿が出来上がってから亡くなったのだろうからこの本には亡くなったことが書かれていない。

自分自身の価値観で生きてきた人らしく、その人生観にも辛辣なものが多い。
22歳の時には自由に生きたいと思い得意の書道を教えるようになる。
「自由とは、自分の生き方を自分で決めることである。誰かからの影響を受けてお手本のようにやっているというのはずうずうしすぎる。」
「あの人があのときああ言ったから自分はああしたというのは借り物の人生である」。
「人生は自らに由(よ)ることで自分のものになる。」
と言い切れるのであるからやっぱりすごい信念と自信を持っているのだろうが、こういう人はおそらく数十万人にひとりというような人なのである。残念ながら・・。
しかし、そういう人は孤独でもあるようだ。桃紅は孤独についてこう言っている。
「人は結局孤独である。」
「人という字は支えあってはじめてひとになるというが、文字の成り立ちはひとりのひとがひとりで立っている絵からである。」
だから、他人からの評価をまったく気にすることはなく、自分の作品に対する表彰は一切受けなかったそうである。唯一受けた賞は自分の本業とは関係がないという理由で自身の著作に対する日本エッセイスト・クラブ賞だけだったそうである。
そんな人の人生は満足であったかどうかというと、
「人生に満足はない。望みの五分通りか八分通りかどこかでああよかった思えることが人生を世渡りする上での上手なコツである。」
といい、
「名誉とか肩書とか、社会的なものに価値を見出している人はいっぱいいる。そういう人からは私は尊敬されないでしょう。そんなこと、ちっとも構やしない。」
と、あくまでも自分の価値観で生きてきた印象だ。

確かにこんな生き方は自分の価値観と矜持を自分の思いのとおりに持って生きられるのだろうが、その大元である、自らに由って生活できるかどうかという時点で僕は破綻している。
サラリーマンというのは、特に潰しが効かないほど何の能力もないサラリーマンは会社自体が生命維持装置である。そんな中では「自らに由る」などとは考えることさえもできない。もともと、僕だけでなく、大半の庶民は、自主的思考とそれに伴う責任負担よりも命令と服従とそれに伴う責任免除を好むものである。そうやって社畜となり生活の糧と自由を交換する。だから、それを逆手に取って、あんたに全面的に服従してやるから全部責任取ってねと言いながら後ろを向いているというのがせめてもの反抗なのである・・。
なんとも情けない人生であったかとあらためてうなだれるしかないのである・・。

コメント (2)
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