イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「オーバーヒート」読了

2021年08月14日 | 2021読書
千葉雅也 「オーバーヒート」読了

この本も第165回芥川賞候補作品である。2番手というのはやっぱりそれほど注目されないのか、この時の受賞作は両方とも貸し出し中であったがこの本も新規購入図書の書架に貸し出されないまま残っていた。

著者は東大卒で現在は立命館大学の教授をしている哲学者だ。2作品収録されているがどちらも同性愛者が主人公だ。候補となった「オーバーヒート」のほうは東京から京都へ准教授の職を得て大阪に住むようになった男性が主人公なのでおそらく自分のことをモチーフにして書いているのだろう。本人が同性愛者かどうかは定かではないが、研究対象の哲学者や研究対象のひとつが「セックスの哲学」であるというところからもきっとそうなのであろう。

同性愛ということもひとつのテーマとなっているのだろうが、主人公は表向きはそれに苦悩しているということはない。今の時代、そう言うことには苦悩するのだろうなと思うのはもう古い観念になってしまっているのだろう。

哲学者でもある主人公は、哲学を知ることは「死の練習」だという。『これをやり遂げなきゃ死ねないとか、急に死んだらもったいないとか思わない。誰でも、今この時点まで十分に生きてる。だからべつにいつ死んでも損なわけじゃい。』と思えるようになるのが哲学らしい。

しかし、主人公もそうとは言いながら、自分はどこで死ぬのか、その時、誰がそばにいるのかということを気にする。
主人公は同性愛者である。おそらく自分の子供を持つことはない。そして、過去には裕福であった父親は破産し財産というものも持っていない。裕福でかつ土地ももっていて、太陽光発電で金儲けをしている友人を見ながら、『降り注ぐ太陽エネルギーを我が身ひとつに浴びるだけでカネが生じるなら、どこでも生きていけてどこで死んでもいい。だがそれは、理論がオーバーヒートした抽象論なのだ。人間は抽象的な「点」じゃない。体がある。肉体が。”かさ”がある。地球上で場所を占めなければならない。』『今は晴人(パートナーの男性)がいる。何のゴールもないこの二人は、それぞれの死に至る時間を愛撫でごまかし合っている。いつかは死ぬ。それでも、スカイダイビングで手をつなぐように落下速度は減速できるだろう。いや、減速しかできないのだ。激戦地にパラシュートで兵隊が投下された。男が二人で生きるとは、共に、少し遅めに落ちて行くことだ。次世代を生み残して未来の肥やしになるのではなく。』とひとり語るが、哲学者でも野垂れ死にはしたくないということなのだろうか。

これを同性愛者ではなく、例えば普通のサラリーマンに置き換えても同じことが成り立つのだと思う。将来、年金はどれくらいもらえるのか。貯蓄したお金で死ぬまで果たして持つのだろうか。結局人は死ぬのを恐れないで生きることはできず、それが常に苦しみとしてのしかかってくる。釈迦の教えに戻っていくようなものだがそれがきっと真実なのだろう。

この本も、生きることの無常さというものを同性愛を通して表現しているのかもしれない。そうだとすると、著者が表現したいと思う内容はすでに紀元前からの永遠に解決できないテーゼとして存在しているということになる。芥川賞としてはもうちょっとひねりが欲しいというところなのかもしれない。(かなり偉そうな書き方だが・・)
そして、どうも同性愛というものには共感することできないし、その世界というものも想像することさえできなかった。審査員はそこそこ年配の人が多いから、そういったところも減点対象になったのではないかと思うのはあまりにも第一線で活躍する作家たちである審査員をバカにしてしまっているだろうか。

コメント
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