新聞の別冊で、世界の指導者の下に仕えたナンバー2とはどのような存在だったのかという特集が組まれていて、これは面白そうな題材だと思い、この本を借りてみた。
この本も前回の本と同様、登場人物が誰だかまったくわからない。もともと、高校時代の世界史の成績が赤点だったくらいだからそういうものにまったく興味がなく、それに加えて歴史の教科書に出てくる人というのは当然ナンバー1の人たちなのだからナンバー2の人なんていうのは知らなくて当たり前だ。『チュラロンコーン大王のチャクリ改革を支えたダムロン』って誰よ?ということになる・・。
世界の政治の中で、ナンバー2と言われる人が存在した時代というのは、いわゆる帝国主義が主流だった時代だ。君主なり王様なりがこの人間を自分の側近として横に置いて補佐させようと独断で決めるような性格のものであった。
選挙で選ばれる議会制度の世界では補佐役としてのナンバー2というよりも役職として存在するナンバー2というかたちになる。なので、現在のナンバー2というと会社組織やその他もろもろの法人の中に存在するという感じだろうか。
役職ではなく、君主からの厚い信頼を得ているのだからその権限も巨大になり、他のものから恨まれたり妬まれたりすることになる。
しかし、たいていの場合、固い信頼関係で結ばれていたとしても、やがて関係は冷え込んでいくというのがその流れであったらしい。君主が補佐役に殺意を抱くことさえ珍しくなかったというのである。
この本に登場する人物たちもことごとく追放されたり処刑されたりという不幸な運命となるのである。
ときに、ナンバー2はナンバー1よりも知略に富み、実行力、人望も高かったりする。しかし、それでもナンバー1にはなれない。それは、唯一、カリスマ性というものが欠落しているからだ。『人の上に立つ正当性や社会的承認は容易に手に入るものではなく、正当性を持つものと持たざるものの間には絶望的なほどの格差が存在しているのである。結局、補佐役という存在は、たとえ有能であっても、持つ者と持たざる者の間にある格差を飛び越える力がないために、補佐役になるしかない人間なのである。』と、著者はなんとも薄情な書き方をし、『補佐役の権勢は、同僚たちの嫉妬と足の引っ張り合いの中、上司の恩寵にぶら下がり、辛うじて維持されているに過ぎない。』と手厳しい。
だから、ナンバー2たちは悲惨な最後を遂げる場合が多くなる。
それは使命感なのか、自己実現の方法がそれしかなかったのか・・。出世欲のようなものがまったくない僕にとってはそこまでしてどうしてそうなる運命にもかかわらずナンバー2でいたいのかと思ってしまうのである。
これは国家や国家間の政治の舞台での話であるが、会社組織のなかのほうが、古い時代のナンバー2への抜擢方法を継承しているようにも思える。選挙でえらばれるのでもなく、社長や会長の気に入った人物が選ばれるというのはいかにも帝国主義的だ。
自分の会社の中を見てみると、専務という役職のひとがおそらくナンバー2と言われる人だろう。今の社長が上司であった頃、この専務(当時はヒラの取締役くらいであっと思うが。)のことを、「俺、あいつのこと、大嫌いや。」と言ったことを鮮明に覚えている。
だから、ウチの会社の場合、ひょっとしたら、ナンバー2というのはナンバー1のマウンティングのためだけに存在しているのではないかと思ったりするのである。だから配当もできないほど業績しか残らないのだろうと納得してしまうのだ。ぼくはこの専務の方がはるかに人格者であると思っているが・・。
社長が持ち込んできた目玉の収益策はフランチャイズ事業なのだが、聞くところによるとこれも実態としてはまったく利益を出していないらしい。利益どころか損失が出ているので人件費の抑制策として僕みたいなヨレヨレ人間がコンビニの店員にさせられたというのが去年のことである。社長の手柄としてはこの事業をセグメントとして本業から分離させたいところらしいが、そうすると損失が出ていることがばれてしまうので利益の出ている事業にくっ付けておかないとまずいらしい。鳴り物入りで始めた某DIYブランドはすでにその頃からブランドとしての価値を失い始めているらしく、去年、直営店でさえ大幅な閉店を余儀なくされた。心斎橋にあった巨大な店舗もすでに閉店していたということを知って僕も驚いた。そんな高い買い物をしても誰も責任を取らないというのがこの会社の素晴らしいところだ。
もう少し下の階層にいって、今の職場のナンバー2はどうだろう。軍隊でいえば一個中隊くらいのレベルになると思うのだが、この組織は面白い。普通、職階で言えば、課長が中隊長ならナンバー2は係長となるのだろうが、傍観者の僕が見ているとどうもナンバー2らしき人物はヒラ社員のようなのだ。ときたま、「係長にこの仕事やらしたろ。」といっているところをみると係長の業務をヒラ社員が決めているということになる。それで、係長はどうしているかというと、なんだかフラフラしていてそんなことどうでもいいやという超然とした態度でそれに従順に従っている。それを見ている中隊長もどうもそれでよいと思っているらしく、何も言わない。しかし、このナンバー2、電子メールを送信できないというポンコツだ。一度、理由を聞いたことがあるのだが、間違って送るとまずいのでメールは送らないことにしているという。送らないようにしているとは言っているが、送り方を知らないというのが本当のところだと思う。何かトラウマでもあるのかもしれないが、よくぞ今まで生き残ることができたものだ。まあ、サイバーセキュリティー担当大臣がUSBという言葉を知らないという国だから、メールを送れないからといってイコール仕事ができないというわけではないだろうが・・。ナンバー3か4がそんな重責(というほどでもないが・・)を担って成功するのは映画か小説の世界のみだ。
それに加えて、ホメイニ師のように役職がないのになぜか中隊長に指示を出しているというような女帝までいるのだから収拾がつかない。ここはナンバー2の論理さえも通用しないまさにカオスの世界だ。
そんなことは放っておいて、ふつう、ナンバー2というのは、意気盛んで暴走気味なナンバー1のブレーキ役として働くという一面を持っていると思うのだが、我が社には、「もう、撤退しましょうよ・・。」と言えるナンバー2が存在していないらしい。なんといってもナンバー2は、「大嫌いだ」と言われている人なのだからそこには信頼関係はまったく存在しないといっても言い過ぎではないだろう。少なくとも、ナンバー1はナンバー2を信頼どころか、今でも見下しているのにちがいない。会社は戦場ではないので、とりあえず給料はもらえるし、精神を損なっても命を失うことは絶対にないのだから、おかしな奴とは付き合わない方がいいと思うのが人情だろう。(僕はつい、そう思ってしまう・・。専務はもっと会社のことを憂いているとは思っているのだが・・。)
しかし、その末路はどうだろう。僕が知る限りの歴史の中では豊臣秀吉を思い出す。秀長、利休を失なった後、無謀な朝鮮出兵をおこない関ヶ原に突入してゆく。独裁が極まると誰もが保身に走り、彼の耳に心地よいことしか言わなくなってしまうそうだ。菅総理も同じようなことを言われていた。総理に上がってくる情報にはネガティブな情報はなかったという。もう、ブレーキが効かなくなった暴走列車というような状態になってしまっていたということだろう。
このふたつの事例ではどちらも歴史からの退場を余儀なくされた。おそらくそうやって消えていった国家や会社というのは無数にあったに違いない。
そんなことを思うと、ナンバー2は悲惨な最後を遂げる運命であるが、それは命を賭して平和を維持してきたという尊い立場の人たちではなかったのかと思い至るのである。
この本には、紀元前から近代まで、世界中のナンバー2が紹介されているけれども、その活躍した現場というのはほとんどが戦争だ。そうなると、人類が歴史を記し始めてから現在まで、世界ではずっとどこかでいつも戦争がおこなわれていたと言ってもいいのかもしれない。第2次世界大戦が終わり、ベトナム戦争を経た後は、アフリカやアラブではいくつかの紛争が起こっているがそれでも世界は概ね平和だと言われてきた。しかし、それは、世界の歴史の中では異例のつかの間のひと時であったのかもしれない。ウクライナの戦争はそうしたつかの間のひと時を破壊するような行為なのだ。プーチンには有能なナンバー2はいなかったのだろうか?彼の取り巻きたちも彼の耳に心地よいことしか言わなかったと言われているが、どうして彼は、そのつかの間のひとときを次の世代に引き継ごうとしなかったのだろうか。
世界の平和というのは、そういう、つかの間のひと時を繋いでいくしか維持できないのだということをナンバー2もナンバー1も心に留めておかねばならないのではなかったかと思うのである。