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イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

初島沖釣行

2020年06月09日 | 2020釣り
場所:初島沖
条件:中潮 7:38満潮
釣果:ガシラ 1匹 マアジ 1匹 サバ2匹

去年くらいから、夏前に船底の塗装をするようになったことと、いろいろな釣り物の情報をもらえるのでどこに行こうかと迷ってしまうようになってしまった。以前なら、チョクリ→
キス→紀ノ川か双子島でルアーのローテーションで事足りていた。おまけに今年はコロナショックのおかげで休日が多いので釣りに行くチャンスが多くなる。警戒態勢が解除になった今でも週休3日が続いているのだ。まあ、燃料代が若干安くなっているのでコスト的には釣行回数が増えてもまるまる乗ってこないのがありがたいけれども。

北に向かうか、南に向かうか、それとチョクリ、キス、飲ませ、ルアー、小船で行くか大きいほうで出るか、複数の釣りをリレーするかで可能な組み合わせを数えてみたらざっと10通りある。
そして悩んだあげくに全然釣れない・・。というか、直前まで決断できないというところに釣果が出ないという原因があるのだろう。きっと。

去年も1度だけだったがイワシ飲ませで釣果があったが、あの釣りは面白かった。そしてこの前も小鯖が頭だけ残って上がってきたのでその次の釣行はボウズだったけれども、余計に、次は釣れるのではないかと思いこみ、結局、飲ませとタイラバとチョクリの仕掛けを持って初島を目指した。

今日も穏やかな天気だ。朝焼けが美しい。

 

いつもの通りタイラバを落としながらベイトの群れを探す。小さなアタリがあってガシラが1匹。
沖ノ島の周りをウロウロするけれどもベイトの群れはない。



たまに映るけれども群れは濃くないようだ。3匹ほどベイトが引っ掛かったが本命は来ない。

8時を回ってこれではまったくダメだと泣きのチョクリに移動。日曜日は45メートルラインだったらしいのでそのまま北上。たまに反応が出てきて急いで仕掛けを下すがその時は時すでに遅し。全然釣れない。やっとアジが掛かったと思ったら魚体が大きすぎて目の前でさようなら・・。
小さなマアジは確保したものの、小さなガシラとのコンビでどんな料理ができるか悩んでしまう。小手先のテクニックで小皿程度の造りにしてみようかと思っているとなんとかサバを2匹釣り上げた。これで叔父さんの家に持って行ける分はできたのでそよ風は心地いものの日差しはじりじりと肌に差し込んでくるのでここらへんで終了。
午前10時になっては叔父さんの家で催されている円卓会議には間に合わないかと思っていたけれども今日は開始時間が遅かったようで僕も仲間に入れた。
今日の議題は梅酒について。叔父さんの家にも南高梅の木があるのだが、叔父さんはあまり梅には興味がないので毎年不作だ。今年の梅は叔父さんの兄の家から持ってきてくれた。でも量が少なくて円卓会議のメンバーの家からも供出してもらって2キロを確保してくれたそうだ。そいうことで今年は2瓶分を漬け込むことができた。
ありがたい。でも、叔父さんはまったくの下戸なのでこの梅酒は全部僕が飲んでしまうのだ・・。



そして、家に帰って菊新丸さんに、今日は限りなくボウズでしたと報告すると、ここ数日はマリーナシティでキスが好調なんですよ~ということを教えてくれた。
そして悩んだあげくに全然釣れない・・。まさに情報戦に負けてしまっているのだ・・。

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「生き物を殺して食べる 」読了

2020年06月08日 | 2020読書
ルイーズ・グレイ/著、宮﨑 真紀 /訳 「生き物を殺して食べる 」読了

著者は環境活ジャーナリストである。その活動の中から、工業的に生産される食肉について疑問を持つ。その疑問は、衛生的に安全であるかどうかではなく、人間という動物が生きていくうえで必要な食肉を産業として生産されたものに頼って生きているということが、自然な姿であるのかどうかということであった。そういった工業的に生産された食肉は減らすべきであると考えている。
ベジタリアンになろうとしても、農家であった実家ではおすそ分けや狩りで獲れた肉がふつうに家にやってくる。それに対して特に違和感はなかったが、平気な顔をしてパクパク肉を食べる人間にはなりたくなかった。それならばその食肉についてもっと知らなければならないと考え、思い至ったのが、1年間、口にする食肉は自分の手で獲った動物のものだけで生活してみようというものであった。著者は女性であるけれども、男ではまず思いつかないことであるというのが最初の感想だ。そして、その生活を続けていく中で現代の食肉事情というものを考えようというのが大まかな内容だ。
1章目の扉に書かれている文章は、ソローの文章だが、著者もソローの「森の生活」に倣ったのかもしれない。

まずは銃の扱いを覚えて実家の農場でウサギを仕留める。動物を殺すということに対する切迫感を身をもって感じるのである。
しかし、この本の中心になっているのは屠畜される動物についてである。著者は何か所かの屠畜現場を見学する。
そこは近代的な設備が整っていて衛生的だ。しかしの現場は大量の血と臓物があふれている場所。家畜の命が消えていく場所でもある。
多分、僕が口にしている食肉もそんな過程を経て食卓にやってきたのだろうけれども、最近の精肉現場というのは、“動物工場”と表現されるように家畜が生まれてから精肉されるまで一貫してひとつの場所で行われているらしい。豚は種付けから出産、育成、そして炭酸ガスで眠らされて肉の塊になる。鶏も同じようにわずか43日で首を回転刃物で切り取られて肉になる。ブロイラーという言葉は、「ボイル」と「ロースト」を組み合わせて作られた造語らしいけれども、もうそこには生き物としての尊厳はないようにも思える。

そこは命がなくなる場所であり、人の命をつなぐために食料が生産される場所であるけれどもほとんど誰にも知られていない。(そういえば、テレビでも紹介されていたのを見たのは1回だけだ。それもわずかな時間しか放送していなかったように思う。)この本はイギリス人が書いているが日本でも同じで、差別的な問題が影を落としていることもあるのか、一般の社会からあまりにもかけはなれた世界に存在しているように感じる。僕も、そんな現場の存在を考えたこともなかった。ちなみに和歌山県には新宮市に1か所あるそうだ。それも意味深である。
かつて動物の肉というのは祝祭日や季節の節目など特別な時に食されるものであった。その食材は自分たちで屠ったものであった。しかし、現代、肉を日常的に食べるのは普通のことだ。それを可能にしたのが動物工場である。ひきかえに屠りの場面というものが日常生活から消えていった。

筆者はこの、市場と現場のあまりにもかけ離れた距離と家畜に対する扱いについて世界に対してもっと知ってほしいという思いがこの本を書くきっかけのひとつになったようだ。
工場の担当者は、家畜にはできるだけストレスと苦痛を与えないようにして殺すようにしているという。イスラム教ではハラルという基準があって、食肉はコーランの一節を聞きながら死んでいったものの肉しか食べてはいけないということになっているそうだが、一部だが、今では先に気絶させて痛みや恐怖(やっている人たちはコーランを聞いているから動物たちは痛みも恐怖も感じていないのだと考えているらしいが・・。)を感じないように、コーランを聞いていなくてもしきたりに則った方法で処理をされていれば問題ないということになっているらしい。
しかし、現場では生きている動物に電気を流したりガスを吸わせたり、脳天にボルトを打ち込んだりして命を奪う。考えてみなくてもかなり残酷だ。そうしないと世界の食糧事情を賄えないのが事実であるから著者はそれを非難しているわけではない。ただ、それを知ったうえで肉を食べてほしいと考えているようだ。そして、そういう行為を自ら体験するためにウサギからはじまり、鹿、豚、羊、鶏と自分の手で屠るという行為を体験する。

スーパーの棚に並んでいる肉には何の違和感もない。しかし、そう考えてみれば、この肉の持ち主?もひと月くらい前まではちゃんと息をしていて、生まれる場所が違っていればいまでもどこかの牧場で草を食んでいたのかもしれないし、無機質で太陽の光を浴びることなく生涯を終えることもなかったのかもしれない。僕の家ではほぼ米国産格安牛肉か豚肉しか食べないからきっと牛はともかく、豚のほうはおそらく工場で生まれて工場で死んでいった豚であろうと思う。
そう考えるとなんと無知ということはなんと残酷なことだろう。しかし、ヴィーガンになることもヴェジタリアンになることもできない。

きっと、汚いところも見なさいよ。そう著者は訴えているのだ。

魚を釣って食べるということはこういうことに近いだろうか。哺乳類とはあまりにもかけ離れた姿かたちをしているから、そして僕も魚を捌くことや〆ることにはかなり慣れっこになってしまっているから恐怖感はや残酷だという感覚はかなり薄れてしまっている。しかし、いつも心に留めているのは、確かに、「僕は殺しているのだ。」ということだ。それだけは忘れたくないと思っている。食べない魚は殺したくない。できるだけ元気に海に帰してやりたい。食べるからには美味しく食べてやりたい。そう思っている。などというと自分でもこれは偽善でしかないなと思えてくる。なにせそれを食べなくても僕は飢えることはない。それに加えてこんな本を読んでしまうと精肉が作られるその裏の世界を知らないままでこの肉は硬いなどと言っている自分は恥の塊ではないのかと思えてくるのだ。
だからといって、それを食べないと生きてゆけないのだから死ぬまで偽善者を通さなければならないということか・・。

著者は漁業についても体験をしている。これについては環境ジャーナリストとしてかなり手厳しい表現をしている。
乱獲による資源の枯渇と養殖魚の遺伝子組み換えや遺伝を組み替えた餌の使用、抗生物質の大量投与についてだ。著者も魚が苦痛を感じるという認識を持っているが、それよりも環境に与えるダメージのほうを強調している。そして、イギリスではその環境を守れと声を上げているのが普段は魚に対していってみれば無駄な残虐行為をしている釣り人であるというのがどこか頼もしいと著者は言う。
1年の期間が終わり近づくころ、再び自らの手で獲物を獲得する行動に出る。それは鳥追い猟であったり鹿のハンティング、または路上で事故に遭った動物の死骸を見つけるものであるが、そこでこんな感想を漏らしている。『スーパーマーケットが全店閉まることになったらほかの人々と同じように大混乱するかもしれないが、生き延びるいくばくかのチャンスはあるだろう。』後半では著者のハンターやアングラーに対する肯定的な意見が目立ってきているけれども、ちょっとノスタルジックに浸りすぎているのではないかと思うのである。もしくは日本よりも自然が残っているイギリスではそう思うことができるほど狩りや釣りで豊富な獲物を獲得できる環境が整っているのだろうか。

どちらにしても、確かに、「生きるためには命を奪わねばならない。そしてそこから目を背けてはならない。」という主張は汲みとることができそうだ。

それではそういう罪悪感から逃れたいという人たちは、倫理的肉食者としてもっと知り、来歴のわかっているものだけを食べるべきだ。そして、環境保護のためにもその量を減らすべきだという。さらに、環境負荷の少ない代替肉や昆虫食ということも考えるべきだと締めくくっているのだが、そんな本を読んだからといって、多分僕の食生活は変わらないと思うのだ・・。
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「小屋を燃す」読了

2020年06月05日 | 2020読書
南木佳士 「小屋を燃す」読了

人生の玄冬期にさしかかった医師の物語である。
著者は、1989年に芥川賞を取った医師で作家だ。恥ずかしながらこの作家の名前は知らなかった。この小説にも書かれているが、『納豆の味噌汁の朝食を摂って病院に向かうふつうの医者たちが、子供たちの学費のために貯金してきた金をじぶんの病気のために使ってしまうのを嘆くふつうのひとたちの生死を扱う医療現場を可能な限りそのままことばで描きたい・・。』というように、ほぼ自身の体験を私小説として書いている。その他の作品も同じような作風らしい。

生まれ育った土地に戻り、うつ病を発症しながらも医師と作家の二足の草鞋を履きながらなんとか定年を迎え、非常勤で人間ドックの担当医師を続けながら地元の同世代の「小さな悪党」と著者が表現する人たちとの交流が4篇の短篇としてまとめられている。
農家、公務員をしながら登山を続けた人、地元の建設会社の元役員、そんな人たちと小屋を建て、それを壊すまでの流れがメインだ。

医者をしながら作家として本を出版し、おまけにそれが映画になるほどヒットしてそれのどこに不満と不安があるのかと思うけれども、主人公は自分の来し方が決して自慢できるようなものではないと感じている。病気を理由にしてあまり重要ではない部署に異動し、おまけにそこから逃げ出すためにカンボジアへ医療支援に行ってしまった自分を恥じているのであろうか。
裕福でなくても自分の足で立っている仲間を尊敬の念を込めて「小さな悪党」と呼ぶ。
若いころの経験を生かして食料を自然の中から見つけ出してきたり、丸太を切り出してみんなが集まって酒を飲む小屋まで作ってしまう。そのたくましさに主人公はあこがれているようだ。
医師としての人生のなかで、他者との交渉事に疲れ、
『背を高く見せるべく懸命に背伸びし、あげくのはてに足首の関節を痛め、それでも努力して背負う荷の嵩を増やすための足し算を重ねてきたつもりの半生の、ささやかな総和がいきなりゼロを掛けられてきっぱり意味をなくす。』
ようなことが起こったのだろう。それは多分、病を発症したせいであったのだろうか、こんな言葉も書かれている。
『いったん精神を病む男の役をひき受けてしまえば俗世との縁は簡単に切れる。』

そんな苦労を潜り抜けてきて老いを前に出会った仲間たちを見ながらこう思うのである。
『永年の背伸びにくたびれ果てた心身が、今の根のはりの範囲で支えられるかぎりの丈に戻りたがっている。』
最後の編、朽ちかけた小屋を薪にして燃やしている炎の中に先に逝ってしまった仲間の姿が浮かび上がる。その自然な姿を見て、より一層その思いを深める。
そんな物語である。
主人公は幻想を見てカタルシスを得ることができただろうか。

「ゼロを掛けられてきっぱり意味をなくす」という半句が身に染みる。
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「南の島のよくカニ食う旧石器人」読了

2020年06月04日 | 2020読書
藤田祐樹 「南の島のよくカニ食う旧石器人」読了

沖縄県にある約2万年前の旧石器時代の遺跡、サキタリ洞で2016年、世界最古の釣り針が発見されたそうだ。その発見者がこの本の著者である。そしてここには約3万年前の幼児の骨も眠っていた。

サギタリ洞は雄樋川という川の上流にあり、この川の流域にはたくさんの遺跡がある。下流の港川遺跡では約2万年前の人骨がほぼ完全な形で発見されている。
沖縄県は、日本の中では極端に多くの人骨の化石が出土するらしい。その理由は正確にはわかっていないけれども、サンゴ礁が作った石灰岩土壌が多いことで骨のカルシウム分が溶出しないからだと言われている。しかし、本州でもそんな土地(カルスト台地など)がないわけではないがやっぱり沖縄だそうだ。

著者はそのサキタリ洞の採掘を7年におよぶ期間おこない、やたらとカニの殻が多いことに疑問を抱く。
そのカニについて詳しく調べてみると、そのカニが食べられた季節というのが、夏から秋にかけてらしいということがわかった。化石に含まれる酸素同位体の分量を調べるとその生物がどの季節に死んだかということがわかるらしい。科学の進歩に驚かされる。
発見されるカニの種類というのはモクズガニで雄樋川ではいまでも獲れるそうだ。そしてそのうちの3~5%には焦げた跡がある。
著者はそこで想像を豊かに働かす。サキタリ洞に骨を残した人たちは、モクズガニの美味しい季節にだけこの洞窟にやってきて今と同じように蒸し焼きにして食べていたに違いない。数パーセントの殻に焦げ跡がついているのはその時に焚火にこぼれ落ちた名残なのである。
そして釣り針の発見。化石にはウナギの骨の化石も混ざっているので、この釣り針を使ってウナギを釣ったのではないだろうかと推測する。
カエルやトカゲの化石も出るが、この時代にはきっと貴重なタンパク源であったのだろう。それを差し引いてもサキタリ洞の人々はカニにウナギ、時には鹿の肉など、なんとグルメであったことかというお話であった。

著者が言うように、この検証はサキタリ洞の人々に限定した考察であって、広く一般的な旧石器人に当てはまることではないというまことに視野の狭い検証ではあるのだが、それゆえによけいに著者の港川人に対する愛がいっそう感じられるのである。

沖縄では人骨の化石は出土するけれども、石器はほとんど出土した例がないらしい。世界最古の釣り針は貝でできているのだが、ここでは石器の代わりに貝を使っていた痕跡が発見される。石器として貝を使うのではなく、その貝を使って木材を削って槍や銛を作っていたらしいのである。ここからは僕の想像ではあるけれども、南国(といっても当時は氷河期の真っただ中だったそうだが)沖縄には水産物をはじめとして食材がふんだんにあった。大して道具を使わなくても簡単に取れてしまう。モクズガニも簡単に手づかみできるらしい。だから人骨が化石になるほどたくさんの人口がいて、対して本州方面はそれは氷河期だから食料の確保も難しくそして寒いとなればかなり生活はしんどい。だから実はほとんど人が住んでいなかったのではないだろうか。というのがヘッポコ推理なのである。
本州に人が住むようになったのは縄文時代以降だったりするのではないだろうか。沖縄には縄文時代がなくて旧石器時代と弥生時代が共存している時代があったそうだが、文明が西に向かって伝播したのであれば、沖縄で弥生文化が生まれたのであればそれから一気にブーストがかかって西に広がったのではないだろうか。人が全国的に増え始めるのはその時以降なので旧石器時代の人骨の化石も少ない。
まあ、素人が勝手に考えているだけなので多分ウソだと思うが、考えるのは自由だ。これのほうが沖縄の遺跡の重要性が増すのではないかと思うが、ひとつ気にかかるのは、港川人は日本人の直接の先祖ではないということがDNAの鑑定でわかっているそうだから、弥生人はもっと違うところ、東の方からやってきて港川人を滅ぼしてしまったという考えもできそうだ。

そして、サキタリ洞の住人たちは夏の終わりから秋にかけてはここに移住してきたがそれ以外の季節はどこで生活していたかということはまだわかっていないそうだ。
まだまだ調べなければならないことがいっぱいあるらしく、著者の沖縄の旧石器人への愛はますます深くなっているらしい。

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住金沖~紀ノ川河口~田ノ浦釣行

2020年06月03日 | 2020釣り
場所:住金沖~紀ノ川河口~田ノ浦釣行
条件:若潮 3:52満潮
釣果:ボウズ

今日はキスの調査に出てみた。

その前に前回の釣行で気になっていた船団のなかに入ってみた。どうもこの船団はイワシ飲ませをやっているらしい。こんなに近いところでそんな釣りができるのならありがたい。ここならほぼ散歩の距離だ。



しかし、そんなに現実は甘くない。ときたまベイトの群れらしい反応があるけれどもエサの小魚が乗らない。
結局すぐにあきらめてここから近い磯の浦の沖へ移動。ここでキスが釣れてくれたら浜の宮の沖へいくのとほぼ変わらない。ここ数年の不調の場所の代替場所になるかと思ったけれどもやっぱりダメ。しかし、ここは浅い。西脇の漁港の出口のところでも水深10メートルしかない。もう少し水深がほしいところだ。



仕方がないので紀ノ川河口へ移動。



やっぱりダメ。
田ノ浦へ。
やっぱりダメ。



キスはどこへいってしまったのだろう・・。

今日はずっと穏やかな天気だった。

 

こんな日にたくさん魚が釣れれば本当にありがたいのだが、そんなにうまくいかないのが現実というものだ・・。


貧乏人のキャプテンシートを取り払ったので竿の置き場所に苦慮していたので新しいロッドホルダーを作ってみた。
これはなかなか便利なものができあがった。


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「潮の騒ぐを聴け」読了

2020年06月02日 | 2020読書
小川 雅魚 「潮の騒ぐを聴け」読了

著者は椙山女学園大学という大学の教授をしているひとらしい。タイトルと著者名(魚という文字が入っている。)だけを見て借りてみたけれども、どうもその文章の書き方にう~んと思うものがある。
大学の教授紹介のプロフィールでは、「渥美半島の先端の漁港に生まれて海辺のハックルベリーのような少年時代を過ごした。」となっている。
この本は、その海辺での体験を様々な海産物を交えて書いているのだが、その書き方が、「おれは大学教授だけれども世の中を斜めに構えて眺めているようなちょっとワルなんだぜ。」みたいな書き方なのだ。
「漁港特有の一見破天荒な人たちや、文学、芸術の面でも一流の人たちともいっぱい交流があるんだぜ。そんなバンカラなひとからインテリまでどんな人たちとも対等に渡り合えるんだぜ。」みたいな自慢げな書き方がどうも、う~ん。と思ってしまう。
それは注釈が88ページにもなっていることからもうかがえる。ここも著者の交友関係の広さと様々なことに対する蘊蓄の豊富さをひけらかす場所になっている。

そして最後はどうしてだか、元プロ野球選手の池永正明に対する熱い思いが39ページにわたって書かれている。

もとは「食と健康」という雑誌に連載されていたエッセイに手を加えて出版されたものだそうだが、要は、自分が書きたいことを書きたいままに書いているという、個人がブログを書いているようなものになってしまっている。
しかし、この本自体は第2版の重版となっている。初版の部数が少なかったのか、それとも授業用のテキストとして学生に買わせたか(僕が大学で受けた授業で、学年末試験の問題が、「自分の書いた書籍の何ページにどんなことが書いてあるかを書け。」だった先生がいた。)か、もしくは本の登場人物がこぞって買ってくれたかそれは知らないが、確かに著者はそういう意味でも顔が広いのだろう。

著者が思う懐かしい海辺の風景やそこで獲れる海産物に関する素材は僕にとっても読むことが好きな題材であるし、著者のような世の中を斜めに見ていても自分の足でしっかり立っているひとの話というのはかっこいいと思うのだけれども、そういうことを自慢話としてひけらかされてしまうと、「わかった、わかった。」としらけてしまう。それがなければもっといいエッセイになっていたのではないかと思うと残念である。

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