ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

守田敏夫さん「中村哲さん、そして同行していたみなさんの死を悼み、ビジルを行います!12月7日午後5時半三条大橋にて」

2019年12月07日 | 世界とわたし
今日のニューヨークタイムズに、中村哲さんの死を悼む記事が載っていました。

守田敏夫さんから、中村哲さんと同行しておられた方々の死を悼むキャンドル追悼集会のお知らせです。

守田さんのブログ『明日に向けて』https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011より
一部引用させていただきます。

● 中村哲さんとみなさんの死を悼んで
みなさま。4日のアフガン時間の午前中にペシャワール会の中村哲医師が何者かによって銃撃され、その後にお亡くなりになられました。
同行していた運転手、護衛の方々5名も同時に命を奪われました。
中村医師とお仲間のみなさんの死を悼み、京都市三条大橋にてビジルを行いたいと思います。

● 平和の心を繰り返し教えてくれた中村哲さん
中村さんとの思い出はたくさんあります。
僕が参加しているピースウォーク京都との出会いは、2001年の「911事件」のあと。
アメリカが、証拠も何もなしにアフガニスタンへの「報復」戦争を始めたことに対し、ペシャワール会と中村哲医師は、緊急援助を呼びかけました。
「2000円あれば一家10人が冬を越せる!」
それで、油と小麦を買って手渡せる、と言うのです。
このため中村さんはチャリティを呼びかけて全国を飛び歩かれました

● 平和を築くために最も困難な水の事業に携われた中村さん
たくさんのエピソードがあるのですが、みなさんにご紹介したいのは、講演会の際に京都の蓮華寺にお連れした時のこと。
ほっこりしていただきたくて、庭に清流の流れる場を選んだのでした。
ところが中村さんは、水の流れをじっと眺めた末に、対応してくださった住職のお連れ合いに、
「これは手掘りですな」と問われました。
「あら、良くお分かりですね。この付近に水を通した後ですの」。
それを聞いて、中村さんはさらに、
「ということは、この辺りには水争いがありましたな」と問われました。
住職のお連れ合いは、この問いに驚きながらも、この付近にあった深刻な水争いのこと、それを治めるために手掘りの水路が作られ、水が流されたことを語って下さいました。
哲さんは、腕組みしながらうんうんとうなずかれ、その後に、
アフガンのクナール川に用水路を作るために、九州の多くの川を歩かれ、古文書も調べたことを教えてくださいました。

「古の川の歴史を紐解くと悲しい話がたくさん出てきます。
例えば、ある堰を開発した人々は、その後に、藩に暗殺されておる。
石高が上がることを、藩が幕府に知られたくなかったからです」

中村さんは、古の川の改修を行った方たちの多くが、実は非業の死を遂げていることに、深く心を寄せられました。
水は命の源です。
だから、人類にとって、最も古くから繰り返されてきたのが、水争いでもあるのです。
どこかが潤うと、どこかの水が減ることになる。
あるいは、どこかが洪水対策を進めると、他のところが洪水にあいやすくなる
上流と下流、右岸と左岸の対立が絶えないのが、川と人々の歴史でもあるのです。
そのために、
中村さんは古文書をくまなく読まれ、どうすれば人々が争わずにすむのか、いやどうすれば争いの目を摘めるのか。
そこまで研究を重ねて、用水路へのチャレンジを続けられたのでした。
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12月7日午後5時半。
京都市三条大橋にぜひ!
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