ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

辻井伸行カーネギーコンサート in 2023

2023年01月19日 | 音楽とわたし
辻井伸行さんの演奏を聴きに行ってきた。
彼のカーネギーでのコンサートに行くのはこれが2度目。
今夜のプログラムは、ベートーヴェンのムーンライトソナタから始まって、リストのコンソレーション第二番、ピアノの調律&休憩を挟んでラベルの比較的小曲を三つ、そして最後はニコライ・カプースティンの八つの演奏会用エチュードだった。
Nikolai Kapustin - Eight Concert Etudes, Op 40

そしてもちろんこの夜も、怒涛のアンコールに応えて3曲演奏してくれたのだが、その最後にリストのラ・カンパネラを弾き始めた彼に、いやもう今それを弾くか?!という幸せに満ち満ちたため息があちこちから聞こえきた。

「今日の演奏曲の中で辻井氏自身が一番気に入ってる曲はなんだと思う?」と夫。
「そりゃ最後のカプースティンでしょうよ。あなただってそうだったでしょ?」とわたし。
「今夜の会場の、一体何割が日本人だったんだろうね」
「半分ではないにしろ、かなりいたね」

彼が盲目であること、なのにあんなふうにピアノが弾けること、それを見聞きしたくて来た人。
もうそんなことはとうの昔にどうでもよくなってて、ただただ彼のピアノが聴きたくて来た人。
ピアノ弾きのわたしは、彼の演奏を見聞きしている間、自分がもし全く目が見えなかったらと時々考える。
もちろん彼は、そんなわたしの経験や常識などとは違う世界でピアノを弾いているのだから、比べること自体が馬鹿げている。

ピアノを弾くという作業はまず、厳然たる楽譜を読むことから始まる。
まずは音符と指番号に従いながら音に出してみる。
楽譜を隅々まで読んで読んで読み込んで、そこから見えてくる風景や伝わってくる感情を、作曲者に寄り添ったり自分なりのスタイルにすり替えたりしながら、じりじりとした焦燥感と共に曲作りを進めていく。
盲目の彼が曲を自分のものにするまでの過程は、インタビューや本などで知ることができるのだが、それでもやっぱり、彼にしか見えない、彼にしかわからない、言葉では説明できないプロセスがあるんじゃないかと思う。

3年前よりも彼のテクニックは進化していた。
細かな音の粒がキラキラと降り注ぎ、やわらかな響きや重厚な響きのベールがふわりふわりと現れては消えていく。
ゾッとするほどの静謐さ、深みのある極弱、高速なのに一音たりとも欠けることのない連打、バランスが整った和音の響き。
本当に、本当に素晴らしい演奏なのだけど、この夜わたしは聞き惚れながら、最後の曲が終わった頃にはすっかり疲れてしまった。
なぜだろうと帰りの車の中でずっと考えて、多分それは彼が、今の彼が出来得ることを最大限に聴かせられるプログラムを組んだからと思った。
贅沢言ってら〜と、自分でも呆れるのだけど。

満席とは聞いていたが本当にぎゅうぎゅうで、マスクをつけている人はあまり見かけなかった。



休憩時間の調律。

ラ・カンパネラを弾いた後、もう一度カーテンコールに応えて出てきてくれて、けれどももう弾かないからねとピアノの蓋を閉めてみんなを笑わせ、スタンディングオベーションで讃え続ける聴衆にバイバイと手を振って、扉の奥に消えていった。
ほんと、優しい人だ。

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わきあがる気持ち

2023年01月19日 | ひとりごと
先週末に長男くんがポケットから出して、おかあさんにもええんちゃうかと思て、と言いながらくれた指のグリグリ輪っか。
クライミングの人たちが、指の故障(へバーデン結節など)の症状緩和のために使うのだそうな。
ちなみに彼はなかなかのクライマーです。
これを指にはめて、膨らんでいるところをグリグリすると、最初はイテテテッ!だったのが、途中から気持ちよくなった。

今朝からいきなり、そうだ、レッスンを受けよう!と決心して、ピアノの先生を探し始めた。
インターネット上にワラワラと現れてくるピアノ教師の履歴やポリシーを読み、演奏ビデオが掲載されていたらそれを聴く。
なかなかに手間と時間がかかる作業だが、ここで面倒がったりすると後悔する可能性が大きいので手を抜くわけにはいかない。
長年の付き合いである指のへバーデン結節の症状は、今は右手が深刻な状態で、特に4の指(薬指)の第一関節の変形と痛みがわたしを悩ませている。
指をできるだけ使わないように、できればしっかりと休ませるように。
それが一番の療養だとわかっているが、それができなくしているのがわたしの職業であり生き甲斐でもあるので致し方がない。
右手薬指の先はもう、どんなに頑張って伸ばしても真っ直ぐにはならず、もちろん他の指先のように反ることもできない。
その凝り固まった第一関節は、打鍵の瞬間の、三つの関節それぞれの、微妙で巧みな動きを滞らせる。
ほとんど聞き分けられないような、一瞬のうちに消えていってしまう音だけど、そのやや平坦な響きが耳についてがっかりすることも少なくはない。

レッスンを受けるとなるとしっかり練習したいから、弾く時間がうんと増えるのだけど、学ばずに教えるのは詐欺行為に等しいと考えているのでやるっきゃない。
何度か連絡を取り合って選んだのは、ジュリアード音楽院の博士課程を終了した若い女性で、彼女の演奏ビデオを何曲か見聞きしてすごく納得し、共感し、魅了されたので、これは習うっきゃないと思った。
彼女はマンハッタン在住なので通えないこともないけれど、とりあえずバーチャルレッスンの申し込みをした。
開始は2月の第二週目から。
毎週だと練習がちょっときついので、隔週でお願いすることにした。




先日、夫が激怒した。
わたしが思い余ってfacebookのウォールに書き込んだ文章が原因だった。
どんなに頑張ってケアしても一向に減っていかない虫歯の高額治療費に打ちのめされて、なんとかしてマシな歯の保険を見つけようとしても叶わず、ずっと長い間不安や不満に包まれていた。
誰に相談を持ち掛けても、ほとんの人が深い同情の気持ちを目に浮かべながら、深いため息と共に首を振る。
いないのだ、本当に、この国では余程の大企業にでも勤めていない限り、歯の治療を受けたいときに受けたいだけ受けられるような人は。
だけどもしかしたら、わたしの友人知人以外に、何かいいアイディアや保険を知っている人がいるかもしれない。
その時のわたしには、もうそれは最後の手段だと思えた。
SNSという、公の、巨大な沼に糸を放り投げてみよう。
けれどもわたしが書いたそれは、夫からするとあまりにもプライベートで、あまりにもナイーブで、あまりにも配慮に欠けていたのだろう。
30年以上にもなる結婚生活でもダントツの激オコだった。
夫は確かに、わたしが歯の治療が必要だと話すたびに、それが歳を取るということだ、治療費は仕方がない、一部の幸運な人を除いて、誰もが通らなければならない道だと言っていた。
治療費を気にする必要がない、自分たちには払えるのだからとも言っていた。
彼の言うことは十分ありがたいし理解もしているのだけど、やはり悔しいではないか、健康保険の中に歯の保険が無いというこのシステムが。
それに毎年50万から80万という金を自分の歯のためだけに使わなければならないことも。
払えるにしても、できたらそれが、せめて20万以内とかになる保険があったら…。
だから書いてしまった。
そんなにダメなことだとも思っていなかった。

そのことを先日、セラピストに話した。
彼も深刻な歯の問題をいくつも抱えている仲間で、だからわたしの気持ちは誰よりもよくわかってくれている。
彼と話したことをぼんやりと思い出していると、わたしが夫に、というか人に、もっと頻繁に、ざっくばらんに、自分の気持ちを伝えればいいのだが、それが1番の苦手なことなのだと気がついた。
今回はそのことを深く掘り下げて考えようと思った。
なぜ苦手なのか、理由は何なのか、いつからなのか。

そして思い至ったのが幼児の頃のわたしの癖だった。
わたしはその場その場の、一緒にいる人の顔色を見ては、その人たちが気に入るような、喜びそうなことをしたり言ったりすることにエネルギーを費やしていた。
一番身近にいた母は、もっともそのエネルギーを使わねばならない人だった。
なにしろ、そんじゃそこらのことには喜ばない、何某かの不平を口にしなければ気が済まない人だったし、ちょっとしたことでみるみる険しい表情をして怒り始めるので、わたしはついつい母の顎の辺りを観察してしまうのだった。
彼女の顎の辺りに梅干しのようなシワができるのが、怒りの始まりの合図だったからだ。
だからいつだって気を抜かず、懸命に良い子を演じた。
頭の良い子というのも大事だった。
口ごたえを一才せず、叱られている間は俯いて時が過ぎるのを待ち、機嫌が再び普通の状態に戻るまで静かにしていた。
怒られないために、いろんな話を作って我が身を守った。
それが嘘になるのだと気がついたけどもうやめられず、小さな嘘は際限なく、わたしの口をついて出た。
わたしが何を思い、何を考えているかなど、誰も興味が無かったし、わたしもそれを伝えたいとも思わなかった。
というか、何を思い何を考えていたのかまるで覚えていない。
ただ、毎晩ひどい喧嘩を繰り返す両親が互いを傷つけたり殺したりしないことを祈り、弟だけは守らなければと思っていた。
そんなこんなで自分の心や体を大切に思う余裕が無かったけれど、もしかしたらそういう習慣も無かったから、どうしたらいいのかわからないまま大人になってしまった。
そんなふうに、昔のことをゆるゆると考えているうちに、なるほどわたしは65歳にもなった今でも、自分の言動が元で人が不快になったり怒ったりするのが怖くてたまらないのだと気がついた。
今のわたしにとって夫が母の代わりになっている。
だから何かというとビクビクしてしまう。
言いたいこと、頼みたいことが積もり積もってきて、自分なりに気を遣って伝えても、タイミングが悪いだの言い方が悪いだのと叱られる。
不快そうな顔を見た途端に、自分の心がシュルシュルと音を立てて萎んでいくのがわかる。
そんなだから、わたしはいつまで経っても、言いたいことを言ったり頼み事や願い事を伝えるのがとても下手くそだ。

セラピストがポツンと最後に、まうみが知らず知らずのうちに育ててきてしまった怖がり気質は、あなたが作ったのではなくて、それは数え切れないほど怖がらされてきたからだよ。
そういうのもトラウマなんだよ。
だから、自分だけが悪いなんて思ってはいけない。
そもそもどちらが悪いという話ではない。
あなたが何か伝えたいことを話したとき相手が嫌な態度をとったら、そんな顔されたら怖い、そんな言葉は聞きたくない、そう思ったならそう言ったらいいんだよ。
そうやって伝えていくのは勇気が要るし、勇気が要るってことは怖いってことなんだけど、あなたの夫は多分その勇気を待っていると思うし、言えば聞いてくれると思う。
もちろん、いつもとは違うまうみが目の前に立ってるんだから、初めはギョッとして慌てるかもしれないけど、きっとわかってくれると思うよ。
気づいて欲しい、汲んで欲しい、察してほしい。
そういう欲求がこの国の会話文化にはあまり合わないってこと、もう長年一緒にいるのだから知ってるでしょ?
僕のワイフが僕に何かを頼むときはね…と、セラピストの話はさらに続き、その小さな実話の中にも、わたしの背中を優しく押してくれる柔らかで温かい手のひらが隠れていた。

さて、うまくいくかな。
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