近年、ペットボトルの日本茶(緑茶)を飲む人が増え、従来からある急須を使う家庭も少なくなって
きています。 又、日本茶を全く飲まない若者も少なくありません。それ故急須が無い家庭もあると
思われます。尚、煎茶器は、抹茶以外のお茶を入れる際に使用する茶道具で急須も含まれます。
愛知県常滑市の山田常山は、代々常滑焼の急須(茶注)を作る家柄で、現在四代目となっています。
尚、四代目の息子さんに1979年生まれの、山田想(やまだ そう)氏が急須作りに励んでいます。
1) 山田絵夢(やまだ えむ) : 1954年(昭和29) ~
① 経歴
1954年 愛知県常滑市に三代山田常山(人間国宝)の次男として生れます。
1980年 美濃陶芸展で、長三賞を受賞します。(伊奈長三氏の名前を取っています。)
1982年 日本伝統工芸展に初入選を果たします。
1984年 名古屋名鉄百貨店で個展を開催します。以後毎年開催。
1986年 「父子展」を東京銀座和光で開催します。
1995年 ギャラリー酉福(東京青山)で個展を開催します。以後隔年開催します。
2000年 NHKの趣味悠々の「窯巡りで焼き物に親しむ」に出演します。
2001年 美の饗宴「陶の器展」に出品します。(日本橋三越本店)
2002年 日本橋三越にて個展を開催。
2006年 父常山の死亡(2005年)に伴い、四代目常山を襲名します。
同年 「四代常山 襲名記念作陶展」を、日本橋三越本店の特選画廊にて開催します。
② 急須について
常滑の急須は、中国から来日した金子恒が中国の技法を伝えた事に始まります。
この技法を学んだのが、初代寿文(杉江保平:1828~1898)で、初めて朱泥土で焼いたと
言われています。作り方は、「パンパン作り」で、板状の土を繋ぎ合わせ、板切れで叩いて胴を
膨らませ、底を後で嵌め込む方法をとっています。
) 電動轆轤で最初に作る作品は、「湯呑み」である事が圧倒的に多いです。
「湯呑み」は全ての作品の基本形になっています。それ故、轆轤を使う人は一度は湯呑みを
作った事が有るはずですし、その湯呑みを使っている若しくは、使った経験があるはずせす。
) しかし急須となると、手間隙が掛かる事もあり、作られた事が有る人は、俄然少なくなります。
但し、急須を作る事は、色々な技術が必要で、それまで培われた技術を総動員する事でも
あり、一度は作っておくべき作品です。
尚、現在では量産された常滑の急須は、数百円から販売されている為、使用の目的には、
作る必要も無いとも言えます。(ちなみに、山田氏の作品は、数万円します。)
) 急須の種類は、把手(とって)が横に付いた「横手」、後側に付いた「後手」と、把手の無い
宝瓶(ほうびん)、把手が無く、小さな注ぎ口が特徴の「絞り出し」などがあります。
) 轆轤挽きで、胴体、把手、注ぎ口、蓋の四点を作り、乾燥後胴体の底と、把手の摘みなどを
削りだしてから、組み立てます。
) 形の良い急須とは、注ぎ口と蓋、把手の高さが一直線になっている事と、把手を下にして
急須がバランス良く立つ事と言われています。
③ 山田氏(四代目常山)の作品。
) 朱泥土の急須以外にも、灰がたっぷり振り掛かった、焼き締めの急須を作っています。
従来の朱泥急須を脱却し、薪窯で焼いた自然釉の焼締めを追求して、常滑独特の土色と
火色、灰被り(胡麻)で表現しています。黒々とした肌に緋色が浮き出た力強い作品で、
登窯で1200℃、一週間焼成した真焼急須です。
・ 焼締急須: 高 6.3、径 7 cm。(小振りの作品です。)
) 急須の作品の形は丸く、口径が意外と小さいのが特徴です。
電気窯でも、梨皮朱泥急須や、土瓶を作っています。
・ 梨皮朱泥急須 : 高 8.5、径 10.6 cm。
) 急須以外にも、花入や食器類や酒器なども制作しています。
・ 真焼長方皿 : 幅 21x10.5、高 4 cm。
④ 朱泥土について。
) 田土を丹念に水簸(すいひ)し、焼き上がりの肌を滑らかにする為と、粘りを出す為甕の中で
寝かします。初期の頃は鉄分の多い山土を25%程度混入させていましたが、1950年頃
からは、弁柄を入れて朱色に発色させています。
更に、現在では、木節粘土に弁柄と細かくした長石を混ぜて使用しています。
) 市販の朱泥土は、1998年に常滑焼共同組合で生産される様になります。
用途に応じて、手作用や轆轤用、鋳込用(泥状)として、窯元に卸しているそうです。
又、1180℃で焼成する「とこなめ1・2号」と、一般的な1120℃で焼く「とこなめ赤土1号」
更に、1230℃で焼く「とこなめ白土」があるそうです。
次回(隠崎隆一氏)に続きます。