新潟県佐渡には、19世紀前半頃から、「無名異焼」(むみょういやき)と呼ばれる、赤い肌の焼き物が
焼かれていました。その「無名異焼」を発展させて人間国宝に成った陶芸家が、伊藤赤水氏です。
1) 伊藤赤水(いとう せきすい)本名 窯一 : 1941年~
① 経歴
) 新潟県佐渡郡相川町で、四代伊藤赤水の長男として生まれます。
) 1966年に京都工芸繊維大学窯業科を卒業後、帰郷して三代である祖父に師事し無名異焼の
技術を学び家業を継ぎます。
(尚、1961年に四代赤水(博)は没し、三代赤水(孝太郎)は、かなりの高齢でした。)
) 1972年 第19回日本伝統工芸展に初入選して以来、連続入選を果たし、国内の展覧会などでも
数多く受賞を重ねています。
日本国内以外でも、米国、英国、香港など多くの海外展にも招待出品されています。
) 1976年に五代赤水を襲名します。
1984年から「練上(ねりあげ)」技法による作品を手掛ける様に成ります。
2003年に「無名異焼」の技術で、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されます。
② 「無名異焼」とは
) 17世紀頃から、佐渡金山では素焼きによる、金銀の精錬用具としての製品が、伊藤家によって
作られていた様です。19世紀前半に7代伊藤伊兵衛が、坑道より産出する「無名異」を混ぜた
焼き物を作り、評判を得ます。これが「無名異焼」の発端に成ります。
注: 「無名異」とは赤褐色の微細な酸化鉄で、坑道内の地下水が凹みに沈殿した物です。
前記伊藤家の分家が赤水の家系で、伊藤赤水は5代目になります。
) 「無名異焼」は朱泥土(しゅでいつち)と呼ばれる赤土と、地元野坂付近で産出する粘りのある
可塑性に富んだ白土(野坂土)を混ぜ、更に「無名異」を加えて水簸(すいひ)した土です。
尚、現在では「弁柄」を使っているそうです。
) 「朱泥焼き」と言われた初期の頃は、赤い肌の焼き物でしたが、5代赤水による「無名異焼窯変」
によって、芸術的価値が認められる様になります。
③ 伊藤赤水氏の陶芸
) 「無名異焼窯変壷」により日本伝統工芸展で一躍脚光を浴びます。
赤い肌に黒色の窯変が、部分的に表現された作品を1972年「無名異焼窯変壷」として発表します。
a) 轆轤成形された作品が生渇きの時、鉄や共土の素焼きの道具を使い、表面を研磨します。
b) 半地上式の窖窯(あながま)で還元焼成します。焼成温度は1200℃位だそうです。
c) 窖窯では、炎が直線的に走る為、障害物を置いて炎の当て方を変化させ、赤と黒の色合いや
濃淡の妙を表現しています。 黒い色は炭素成分でなく、酸化鉄によるとの事です。
但し、よく焼けた「窯変」は、歩留まりが悪く、2割程度との事です。
作品としては、「無名異焼窯変壷」(同名で多数あります)、「無名異焼窯変筒水差」(1981)
などがあります。
d) 轆轤挽きによる成形では、左右対称の形になり、固くなり易いです。そこで「ざっくり感じ」を
出す為に、一度研磨した素地に同質の土を吹き付け、表面の肌を和らげる作品を作る様に
成ります。その様な作品が、「無名異焼窯変花入」(1981)などです。
この作品は、口縁に大きな亀裂が入り、器肌には多数の「ひび割れ」が出ています。
) 練上(ねりあげ)技法
1984年から手掛ける「練上」は、独特な線状紋や美しい花紋を配した作品で、繊細で華やかな
表現力が見られます。
a) 色の異なる土を何層も重ねて部品を造り、組み合わせて紋様を出す技法です。
b) 色の違う土を重ねて海苔巻状に作り、それを輪切りにした断面を並べて、皿や壺の形を作り
独特な縞模様や花紋が伊藤赤水の特色です。
線紋皿、魚紋皿、花紋皿、花紋壺、花紋角皿、鳥紋皿、花紋香炉、花紋茶盌などの
作品が有ります。
) 「佐渡ヶ島」について
2009年 佐渡の岩石を使った作品「器 佐渡ヶ島」を発表します。
従来の平滑な器面の「無名異焼」を離れ、器の側面に佐渡の小振りな岩石を、貼り付けた
様な凸凹な 肌をしています。器(せっき)ですので、釉は掛かっていません。
作品としては、、壷、香炉、角壺、篇壷などがあります。
次回(高鶴 元氏)に続きます。
焼かれていました。その「無名異焼」を発展させて人間国宝に成った陶芸家が、伊藤赤水氏です。
1) 伊藤赤水(いとう せきすい)本名 窯一 : 1941年~
① 経歴
) 新潟県佐渡郡相川町で、四代伊藤赤水の長男として生まれます。
) 1966年に京都工芸繊維大学窯業科を卒業後、帰郷して三代である祖父に師事し無名異焼の
技術を学び家業を継ぎます。
(尚、1961年に四代赤水(博)は没し、三代赤水(孝太郎)は、かなりの高齢でした。)
) 1972年 第19回日本伝統工芸展に初入選して以来、連続入選を果たし、国内の展覧会などでも
数多く受賞を重ねています。
日本国内以外でも、米国、英国、香港など多くの海外展にも招待出品されています。
) 1976年に五代赤水を襲名します。
1984年から「練上(ねりあげ)」技法による作品を手掛ける様に成ります。
2003年に「無名異焼」の技術で、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されます。
② 「無名異焼」とは
) 17世紀頃から、佐渡金山では素焼きによる、金銀の精錬用具としての製品が、伊藤家によって
作られていた様です。19世紀前半に7代伊藤伊兵衛が、坑道より産出する「無名異」を混ぜた
焼き物を作り、評判を得ます。これが「無名異焼」の発端に成ります。
注: 「無名異」とは赤褐色の微細な酸化鉄で、坑道内の地下水が凹みに沈殿した物です。
前記伊藤家の分家が赤水の家系で、伊藤赤水は5代目になります。
) 「無名異焼」は朱泥土(しゅでいつち)と呼ばれる赤土と、地元野坂付近で産出する粘りのある
可塑性に富んだ白土(野坂土)を混ぜ、更に「無名異」を加えて水簸(すいひ)した土です。
尚、現在では「弁柄」を使っているそうです。
) 「朱泥焼き」と言われた初期の頃は、赤い肌の焼き物でしたが、5代赤水による「無名異焼窯変」
によって、芸術的価値が認められる様になります。
③ 伊藤赤水氏の陶芸
) 「無名異焼窯変壷」により日本伝統工芸展で一躍脚光を浴びます。
赤い肌に黒色の窯変が、部分的に表現された作品を1972年「無名異焼窯変壷」として発表します。
a) 轆轤成形された作品が生渇きの時、鉄や共土の素焼きの道具を使い、表面を研磨します。
b) 半地上式の窖窯(あながま)で還元焼成します。焼成温度は1200℃位だそうです。
c) 窖窯では、炎が直線的に走る為、障害物を置いて炎の当て方を変化させ、赤と黒の色合いや
濃淡の妙を表現しています。 黒い色は炭素成分でなく、酸化鉄によるとの事です。
但し、よく焼けた「窯変」は、歩留まりが悪く、2割程度との事です。
作品としては、「無名異焼窯変壷」(同名で多数あります)、「無名異焼窯変筒水差」(1981)
などがあります。
d) 轆轤挽きによる成形では、左右対称の形になり、固くなり易いです。そこで「ざっくり感じ」を
出す為に、一度研磨した素地に同質の土を吹き付け、表面の肌を和らげる作品を作る様に
成ります。その様な作品が、「無名異焼窯変花入」(1981)などです。
この作品は、口縁に大きな亀裂が入り、器肌には多数の「ひび割れ」が出ています。
) 練上(ねりあげ)技法
1984年から手掛ける「練上」は、独特な線状紋や美しい花紋を配した作品で、繊細で華やかな
表現力が見られます。
a) 色の異なる土を何層も重ねて部品を造り、組み合わせて紋様を出す技法です。
b) 色の違う土を重ねて海苔巻状に作り、それを輪切りにした断面を並べて、皿や壺の形を作り
独特な縞模様や花紋が伊藤赤水の特色です。
線紋皿、魚紋皿、花紋皿、花紋壺、花紋角皿、鳥紋皿、花紋香炉、花紋茶盌などの
作品が有ります。
) 「佐渡ヶ島」について
2009年 佐渡の岩石を使った作品「器 佐渡ヶ島」を発表します。
従来の平滑な器面の「無名異焼」を離れ、器の側面に佐渡の小振りな岩石を、貼り付けた
様な凸凹な 肌をしています。器(せっき)ですので、釉は掛かっていません。
作品としては、、壷、香炉、角壺、篇壷などがあります。
次回(高鶴 元氏)に続きます。