三代清風与平は、明治を代表する陶芸家でした。陶芸家として最初の帝室技芸員に選ばれ、最初の
緑綬褒章を授与されています。彼は、明治中頃から衰退していく京焼きに、新風をもたらし、京焼きの
芸術性を高める働きを示します。又、京都市陶磁器試験場の開設にも尽力しています。
1) 三代清風与平(せいふうよへい): 1851~1914年
① 播磨国印南郡に生まれた与平は、京都五条坂の名門の陶芸家の、青風家の養子に成ります。
1878年(明治十一年)に義兄の二代目清風が没し、三代目与平を襲名します。
② 京焼きは桃山時代から、長い歴史のある、色絵を中心とした焼き物 です。
しかしながら、明治維新後の急速な社会情勢の変化で、これまでの国内向けの伝統技法や生産
方式では、対応し難く、西洋文化の影響を受け変化せざるを得なくなります。
この間、各地の近代陶磁器製造も試行錯誤を余儀なくされます。
明治の中頃までは、窯や窯焚き技法、新たな釉の研究が行われ、技術的にも、格段の進歩を
遂げます。
③ 造形や意匠(図案)などでは、従来の精緻な技巧的な方法が取られ、金銀赤絵などが、豊富に
使われ、装飾第一の風潮が蔓延し、これらの作品が高級陶磁器と思われていました。
明治の初め頃までは、欧米の諸外国の人々には、好奇心を満足し貿易も伸長して行きます。
しかし、明治の中、後期に成ると貿易も不振に成ってきます。原因は、粗製乱造と、表面技法が
形骸化し、模倣が多く成った為と気が付きます。
この事の反省から、新しい陶芸技法や意匠に対する関心が起こります。
④ 与平の陶芸
) 初期の与平は、当時の京の陶芸がそうであった様に、中国の宋や明の古陶磁器の写しを造って
います。例えば、青磁や青華(染付)は「唐物」として高価に販売されていたからです。
) 写し物(模倣)からの脱却
生来の画才を発揮し、日本的な意匠に基ずく独自の作風を築き上げていきます。
京都の郊外の山林を歩き回り、草花をスケッチしたり、原料である土や石を探索し、素地土と
したり、釉の原料としても利用します。
) 与平の創案した新技術も多数あります。
a) 与平の代表的な陶芸技法は、カン白磁と天目釉瀧条斑(ろうじょうはん)と言われています。
・ カン(喚の偏が王)白磁とは、純白の白磁に柞(いす)灰釉を僅かに掛け、酸化焼成して
白磁にほのかなローズ色に発色させた物です。
・ 天目釉瀧条斑とは、天目釉の釉肌に瀑布又は、雨滴の様な斑紋を呈したものです。
b) 与平の文様の特徴に、浮盛の彫刻文様があります。
白磁の器肌の上に、同じ磁土を泥状にしたものを、筆で盛り上がる様に塗って文様を
表現する方法です。
c) その他、色絵彩釉(百花錦)の製法、白磁大氷裂の焼成方法、辰砂釉の焼成、白磁や青磁
黄磁の焼成方法など、新しい試みを多く取り入れています。
⑤ 与平の主な受賞や万博などの出品は、以下の通りです。
・ 明治23(1890)年第3回内国勧業博覧会において、陶磁器部門最高の、妙技一等賞を受賞。
・ 1878年パリ万博、1893年シカゴ・コロンブス、1889年パリ万博などに作品を出品します。
以下次回に続きます。
緑綬褒章を授与されています。彼は、明治中頃から衰退していく京焼きに、新風をもたらし、京焼きの
芸術性を高める働きを示します。又、京都市陶磁器試験場の開設にも尽力しています。
1) 三代清風与平(せいふうよへい): 1851~1914年
① 播磨国印南郡に生まれた与平は、京都五条坂の名門の陶芸家の、青風家の養子に成ります。
1878年(明治十一年)に義兄の二代目清風が没し、三代目与平を襲名します。
② 京焼きは桃山時代から、長い歴史のある、色絵を中心とした焼き物 です。
しかしながら、明治維新後の急速な社会情勢の変化で、これまでの国内向けの伝統技法や生産
方式では、対応し難く、西洋文化の影響を受け変化せざるを得なくなります。
この間、各地の近代陶磁器製造も試行錯誤を余儀なくされます。
明治の中頃までは、窯や窯焚き技法、新たな釉の研究が行われ、技術的にも、格段の進歩を
遂げます。
③ 造形や意匠(図案)などでは、従来の精緻な技巧的な方法が取られ、金銀赤絵などが、豊富に
使われ、装飾第一の風潮が蔓延し、これらの作品が高級陶磁器と思われていました。
明治の初め頃までは、欧米の諸外国の人々には、好奇心を満足し貿易も伸長して行きます。
しかし、明治の中、後期に成ると貿易も不振に成ってきます。原因は、粗製乱造と、表面技法が
形骸化し、模倣が多く成った為と気が付きます。
この事の反省から、新しい陶芸技法や意匠に対する関心が起こります。
④ 与平の陶芸
) 初期の与平は、当時の京の陶芸がそうであった様に、中国の宋や明の古陶磁器の写しを造って
います。例えば、青磁や青華(染付)は「唐物」として高価に販売されていたからです。
) 写し物(模倣)からの脱却
生来の画才を発揮し、日本的な意匠に基ずく独自の作風を築き上げていきます。
京都の郊外の山林を歩き回り、草花をスケッチしたり、原料である土や石を探索し、素地土と
したり、釉の原料としても利用します。
) 与平の創案した新技術も多数あります。
a) 与平の代表的な陶芸技法は、カン白磁と天目釉瀧条斑(ろうじょうはん)と言われています。
・ カン(喚の偏が王)白磁とは、純白の白磁に柞(いす)灰釉を僅かに掛け、酸化焼成して
白磁にほのかなローズ色に発色させた物です。
・ 天目釉瀧条斑とは、天目釉の釉肌に瀑布又は、雨滴の様な斑紋を呈したものです。
b) 与平の文様の特徴に、浮盛の彫刻文様があります。
白磁の器肌の上に、同じ磁土を泥状にしたものを、筆で盛り上がる様に塗って文様を
表現する方法です。
c) その他、色絵彩釉(百花錦)の製法、白磁大氷裂の焼成方法、辰砂釉の焼成、白磁や青磁
黄磁の焼成方法など、新しい試みを多く取り入れています。
⑤ 与平の主な受賞や万博などの出品は、以下の通りです。
・ 明治23(1890)年第3回内国勧業博覧会において、陶磁器部門最高の、妙技一等賞を受賞。
・ 1878年パリ万博、1893年シカゴ・コロンブス、1889年パリ万博などに作品を出品します。
以下次回に続きます。