父が付けているペースメーカーの定期健診があり、付き添って病院へ行ってきた。
病院は高齢者住宅の隣なので父の身体に負担をかけることなく、車いすのまま連れていくことができる。
父の様子はと言うと、まあまあ顔色もよく元気そうだった。
心電図、レントゲン、ペースメーカーの検査などを済ませ、最後は診察だった。
診察室に入ると医師が検査結果を見ながら「うん、いいですね!これならまだまだ元気でいられますよ」とおっしゃった。
また「ペースメーカーを入れる前は危なかったですが、こんなにお元気になって、私も本当にうれしいです」ともおっしゃってくれた。
確かにペースメーカーを入れる前の父は、脈拍が平常時の半分以下まで下がって意識も無く、傍から見てもこれは危ない状況だとわかった。
それが今は大腸がんの手術も乗り越えて、元気に暮らせているとはすごいことだと思う。
いろいろな困難に直面した時には、まさかこんなに元気になっていることは想像できなかった。
一番最初の困難であった「最悪、腎臓の摘出か!?」と言われた時には、良くてもこのまま寝たきりになってしまうのでは・・・と心配したが、それは幸運なことに杞憂に終わった。
何が父をこのように生かしてくれているのだろうかと考えた時、たまたま良い医師に出会えたことだったり、また高齢者住宅で良い介護を受けていることであったりするのだが、もうひとつ、それは父の前向きな思考もあるのだろうと思う。
大腸がんの手術をする直前、私が手術をすることを説明すると、「大丈夫だ、大丈夫だ」と力強く言ったことからも、それはわかる。
父は昔からとても前向きな人だった。
いつも「大丈夫、うまくいく。なんとかなる」と言っていた。
長女チェリーの障害がわかり落ち込む私に「大丈夫だ、この娘はしっかりしてる。ちゃんとやっていくから大丈夫だ」と言い続けてくれたのも父だった。
精神と肉体は繋がっている。
だから前向きな考えを持つことは、身体にとってとても大切なことだと思う。
未来のことなど誰にもわからない。
余命いくばくもないと思われていた老人よりも先に、元気で飛び回っていた人が突然逝ってしまうということだってあるのだから。
だから父や親しい人の死が近々くるのではないかと心配して心を乱すよりも、今を、今日一日をじゅうぶんに味わって精一杯に生きることが大切なのだ。
・・・と私は思うのでした。
病院は高齢者住宅の隣なので父の身体に負担をかけることなく、車いすのまま連れていくことができる。
父の様子はと言うと、まあまあ顔色もよく元気そうだった。
心電図、レントゲン、ペースメーカーの検査などを済ませ、最後は診察だった。
診察室に入ると医師が検査結果を見ながら「うん、いいですね!これならまだまだ元気でいられますよ」とおっしゃった。
また「ペースメーカーを入れる前は危なかったですが、こんなにお元気になって、私も本当にうれしいです」ともおっしゃってくれた。
確かにペースメーカーを入れる前の父は、脈拍が平常時の半分以下まで下がって意識も無く、傍から見てもこれは危ない状況だとわかった。
それが今は大腸がんの手術も乗り越えて、元気に暮らせているとはすごいことだと思う。
いろいろな困難に直面した時には、まさかこんなに元気になっていることは想像できなかった。
一番最初の困難であった「最悪、腎臓の摘出か!?」と言われた時には、良くてもこのまま寝たきりになってしまうのでは・・・と心配したが、それは幸運なことに杞憂に終わった。
何が父をこのように生かしてくれているのだろうかと考えた時、たまたま良い医師に出会えたことだったり、また高齢者住宅で良い介護を受けていることであったりするのだが、もうひとつ、それは父の前向きな思考もあるのだろうと思う。
大腸がんの手術をする直前、私が手術をすることを説明すると、「大丈夫だ、大丈夫だ」と力強く言ったことからも、それはわかる。
父は昔からとても前向きな人だった。
いつも「大丈夫、うまくいく。なんとかなる」と言っていた。
長女チェリーの障害がわかり落ち込む私に「大丈夫だ、この娘はしっかりしてる。ちゃんとやっていくから大丈夫だ」と言い続けてくれたのも父だった。
精神と肉体は繋がっている。
だから前向きな考えを持つことは、身体にとってとても大切なことだと思う。
未来のことなど誰にもわからない。
余命いくばくもないと思われていた老人よりも先に、元気で飛び回っていた人が突然逝ってしまうということだってあるのだから。
だから父や親しい人の死が近々くるのではないかと心配して心を乱すよりも、今を、今日一日をじゅうぶんに味わって精一杯に生きることが大切なのだ。
・・・と私は思うのでした。