いろいろとあって、久しぶりのブログ更新ですが、まず時をさかのぼって昨年の12月に見た夢の話から書こうと思います。
昨年12月に気になる夢を見た。
2011年1月亡くなったお舅さんの夢だった。
お舅さんが亡くなって9年経つが、今まで一度もお舅さんの夢を見たことが無かったのに、今回は起きてからもしばらくお舅さんの気配を感じるくらい、はっきりとした夢をみた。
夢に現れたお舅さんは黒い紋付袴を着て、顔には満面の笑みを浮かべていた。
ふとお舅さんの左隣を見ると、そこにはお姑さんが立っている。
満面笑みのお舅さんとは対照的に、お姑さんは戸惑っているような表情をしていた。
お舅さんは笑顔でお姑さんの手を取ると、戸惑いの表情を浮かべているお姑さんを連れてどこかへ行ってしまった、、、という夢だった。
あまりにハッキリとした夢に、もしかしたら本当にお舅さんはお姑さんを連れて行くのかもしれないと、夢のあとしばらく考えていたことを覚えている。
ところで先週、お姑さんが亡くなった。
危篤になったのは突然だった。急に心拍数が下がり、病院から連絡を受けてすぐに駆けつけたものの家族は誰も間に合わなかった。
誰もがもうすこし大丈夫だろうと思っていたが、容態が急変して、あっという間に逝ってしまった。
家族にはさびしさと悲しみはあるものの、「これでやっと楽になれたね」という安堵の気持ちのほうが大きい。
親しい人が苦しむ姿を見ているのはつらい。
特にもう回復の見込みがない時は、早く楽にしてあげたいと思う気持ちの方が生きて欲しいという気持ちを上回る。
母の時も父の時も、それからP太郎の時にもそう思った。
「生き地獄だ」と言って苦しむお姑さんを、あの世で心配しながら見ていたお舅さんが、やっとお姑さんを苦しまない世界へ連れて行くことができると、笑顔で迎えに来たのだろうか。
お舅さんが現れた夢を思い出しながら、そんなことを考えていた。
ところで、あの世があるのか無いのか、まだはっきりとした証明はされていないが、京都大学名誉教授の岸根卓郎氏が書いた量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」という本を読んでいたら興味深いことが書かれていた。
この世が存在する限り、必ずあの世も存在する。
あの世とこの世はつながっていて、しかもあの世がこの世へ投影されている。
この世とあの世は、その境界領域において互いに干渉し合っている。
この世が虚像で、あの世が実像である。
人間の意識がこの世を創造する。
・・・まだまだあるのだが、何度も読み返しても私には難しすぎる。が、以上のような事は、私でもストンと理解できた。
やはりあの世は見えないだけで存在しているのだと思う。
そしてまさにこの世は虚像。いろいろな出来事に遭遇して、いろいろな感情を味わって、それらをどう乗り越えて(くぐり抜けて)行くのか、自分で自分を試しにやってきたのかもしれない。
実像はあの世だから、安心していろいろなことを経験したらいいのだ。ただし良心に沿って・・・
というわけでお舅さんが迎えに来てくれたから、こちらでは安心して明るく?お姑さんを送り出すことができた。
久しぶりに親戚が集まって話が弾み、お姑さんを見送るにはぴったりの和やかでよいお葬式だったと思う。