昨日、ご近所でお会いしたら立ち話などをする中国人の方から、手作りの餃子を頂いた。
春節だからお祝いに餃子を作ったのだという。
そういえば、中国では春節が本当のお正月だと聞いたことがある。
この中国の方の家の玄関には、日本の注連縄飾りのようなものだと思うが、色鮮やかなおめでたい絵が飾られていた。
さて、持ってきてくださった中国の方には、たくさんお礼を言って、さっそく餃子を頂いてみた。
皮がもっちりしていて美味しい!!
もちろん皮から手作りするのだそうだ。
私など餃子を作るときは、買ってきた皮を使っているが、やはり本場の手作り餃子は味が違いますね~
皮はもっちり、具はジューシーで本当に美味しかった。
中国というと、今や意味不明なことばかり言ってきて、油断できない嫌な国という印象が強いが、こうして個人的にお付き合いすると、日本人にも悪い人がいるのと同じように、中国人にも良い人はたくさんいる。
個人レベルでは仲良くすることができるのに、なぜ国同士になるといがみ合ってしまうのだろうか。
いつの日か、仲良くなれる日がくるのだろうか。
いつか中国と良い関係を築くことができる日まで、個人レベルで、国を越えて人間同士として仲良くしようと思う。
ところで、昨日は節分だったので、次女のピーチと買い物へ行ったついでに、豆まき用の豆を買おうかということになった。
実は昨日の夕食のメニューには、節分を意識して大豆を使ったサラダを用意していたのだけど、高校生のピーチの為に豆まきをしてあげたら喜んでくれるかな~と思ったのだ。
しかし、さすが高校生ともなると豆まきを楽しみにしている様子は全くなく「豆まきしてもいいけど、落花生は嫌いだから、違うのにして」とクールに言い放った。
ちなみに北海道では豆まきと言ったら落花生を蒔くのだが、ピーチはあまり落花生を食べないので、買ってきても余らせてしまう。
そこで、色々な種類の豆が小分けされた豆菓子の袋を買った。
これなら、それぞれ好きな豆を食べることができる。
ところが、何故か昨夜は豆まきをすることをすっかり忘れてしまった!
だれも「豆まきは?」と言ってくれなかったこともあるが、実は考え事をしていたので忘れてしまったのだと思う。
考え事・・・それは父の今後の介護についてだった。
今、一緒に介護をしている妹と意見の相違が出てきている。
妹は、施設に入っている父にせっせとおやつを運ぶのだが、元々甘いものが好きな父は持って言ったおやつを喜んでぱくぱく食べる。
すると、おやつでおなかが一杯になって、施設で出ているきちんと栄養管理された三度の食事が食べられないということになる。
妹には何度もおやつはやめようと話したのだが、「お父さん、今まで家に居たときには好きなように甘いものを食べていたのに、施設に入って甘いものが無いのは可哀そうだ」と言って、持って行くことを止めようとはしなかった。
「じゃあ、少しだけにしよう」
そう言って約束したはずだったのに、妹は、またいつの間にか山のようにおやつを運んでいる。
しかし今度は、いつもおやつを運ぶこと自体、妹の負担になってきているようで、自宅の事で忙しいことが重なるといらいらし始めた。
そして、そのイライラの矛先はこちらに向いた。
「お姉ちゃんもたまには持っていってよっ!すごく大変なんだからッ」
私は父にはおやつではなく、施設の食事を食べてもらいたいと思っているので、父のところに行くときは、ほとんどおやつ類は持っていかない。
そのかわり、父の気晴らしと足腰の鍛錬の為に外に連れ出してあげようと思っている。
妹には何度も「負担に感じているのなら持って行かなくてもいい」と言っているのだけれど、「お父さんがかわいそうだ」ばかり繰り返し、しまいには泣き出してしまった。
妹は、泣くほど追い詰められているのだろうかと思った。
そもそも、おやつを少なくすることがそんなにかわいそうなことなのか?
三食の食事を食べていればひもじいと言うのはありえないことだ。
また、すべておやつはダメと言ってるのではなく、たまには食べてもかまわないと思う。
きちんと食事ができず、痩せてきている父のほうが、長い目で見たらかわいそうなことになるのではないのかと私は思う。
父のお世話をしてくれている職員さんにお話を聞いたところ、やはり甘いものは父の為に控えて欲しいとの事だった。
そういった職員さんの話も含めて、もう一度姉妹で父の介護について話し合わなければ・・・
節分の昨日は、変えたい問題を変えるのには良いとされる、始まりの日だったのですね。
偶然でしたが、ちょうど変えたい問題が起こったばかりだった。
節分を機に、妹にも父にも、そして私にもベストな介護の方法を、もう一度きちんと見つけようと決めた。
春節だからお祝いに餃子を作ったのだという。
そういえば、中国では春節が本当のお正月だと聞いたことがある。
この中国の方の家の玄関には、日本の注連縄飾りのようなものだと思うが、色鮮やかなおめでたい絵が飾られていた。
さて、持ってきてくださった中国の方には、たくさんお礼を言って、さっそく餃子を頂いてみた。
皮がもっちりしていて美味しい!!
もちろん皮から手作りするのだそうだ。
私など餃子を作るときは、買ってきた皮を使っているが、やはり本場の手作り餃子は味が違いますね~
皮はもっちり、具はジューシーで本当に美味しかった。
中国というと、今や意味不明なことばかり言ってきて、油断できない嫌な国という印象が強いが、こうして個人的にお付き合いすると、日本人にも悪い人がいるのと同じように、中国人にも良い人はたくさんいる。
個人レベルでは仲良くすることができるのに、なぜ国同士になるといがみ合ってしまうのだろうか。
いつの日か、仲良くなれる日がくるのだろうか。
いつか中国と良い関係を築くことができる日まで、個人レベルで、国を越えて人間同士として仲良くしようと思う。
ところで、昨日は節分だったので、次女のピーチと買い物へ行ったついでに、豆まき用の豆を買おうかということになった。
実は昨日の夕食のメニューには、節分を意識して大豆を使ったサラダを用意していたのだけど、高校生のピーチの為に豆まきをしてあげたら喜んでくれるかな~と思ったのだ。
しかし、さすが高校生ともなると豆まきを楽しみにしている様子は全くなく「豆まきしてもいいけど、落花生は嫌いだから、違うのにして」とクールに言い放った。
ちなみに北海道では豆まきと言ったら落花生を蒔くのだが、ピーチはあまり落花生を食べないので、買ってきても余らせてしまう。
そこで、色々な種類の豆が小分けされた豆菓子の袋を買った。
これなら、それぞれ好きな豆を食べることができる。
ところが、何故か昨夜は豆まきをすることをすっかり忘れてしまった!
だれも「豆まきは?」と言ってくれなかったこともあるが、実は考え事をしていたので忘れてしまったのだと思う。
考え事・・・それは父の今後の介護についてだった。
今、一緒に介護をしている妹と意見の相違が出てきている。
妹は、施設に入っている父にせっせとおやつを運ぶのだが、元々甘いものが好きな父は持って言ったおやつを喜んでぱくぱく食べる。
すると、おやつでおなかが一杯になって、施設で出ているきちんと栄養管理された三度の食事が食べられないということになる。
妹には何度もおやつはやめようと話したのだが、「お父さん、今まで家に居たときには好きなように甘いものを食べていたのに、施設に入って甘いものが無いのは可哀そうだ」と言って、持って行くことを止めようとはしなかった。
「じゃあ、少しだけにしよう」
そう言って約束したはずだったのに、妹は、またいつの間にか山のようにおやつを運んでいる。
しかし今度は、いつもおやつを運ぶこと自体、妹の負担になってきているようで、自宅の事で忙しいことが重なるといらいらし始めた。
そして、そのイライラの矛先はこちらに向いた。
「お姉ちゃんもたまには持っていってよっ!すごく大変なんだからッ」
私は父にはおやつではなく、施設の食事を食べてもらいたいと思っているので、父のところに行くときは、ほとんどおやつ類は持っていかない。
そのかわり、父の気晴らしと足腰の鍛錬の為に外に連れ出してあげようと思っている。
妹には何度も「負担に感じているのなら持って行かなくてもいい」と言っているのだけれど、「お父さんがかわいそうだ」ばかり繰り返し、しまいには泣き出してしまった。
妹は、泣くほど追い詰められているのだろうかと思った。
そもそも、おやつを少なくすることがそんなにかわいそうなことなのか?
三食の食事を食べていればひもじいと言うのはありえないことだ。
また、すべておやつはダメと言ってるのではなく、たまには食べてもかまわないと思う。
きちんと食事ができず、痩せてきている父のほうが、長い目で見たらかわいそうなことになるのではないのかと私は思う。
父のお世話をしてくれている職員さんにお話を聞いたところ、やはり甘いものは父の為に控えて欲しいとの事だった。
そういった職員さんの話も含めて、もう一度姉妹で父の介護について話し合わなければ・・・
節分の昨日は、変えたい問題を変えるのには良いとされる、始まりの日だったのですね。
偶然でしたが、ちょうど変えたい問題が起こったばかりだった。
節分を機に、妹にも父にも、そして私にもベストな介護の方法を、もう一度きちんと見つけようと決めた。