初めてブログを書き始めたのが12年前。
そんなに前から書いているのかと思うと、気が遠くなる・・・いや、感慨深いかな。
当時、高1だった長男に勧められて書き始めたのだが、パソコンの操作も分からない状態だったので(これは今もあまり進歩していない)、ブログの開設から文字の書き方から投稿の仕方まで、とにかく何から何まで長男に手伝ってもらってのスタートだった。
そして、困ったことがあるとすぐに長男に助けを求めるので、呼ぶ回数が増えるにしたがい長男は明らかに面倒くさそうにやって来るようになった。
ブログなんて勧めるんじゃなかったと、きっと長男は後悔していたと思う。
それにしても、もともと本を読むことが好きだったので、今度は自分が書いた文章を誰かが読んでくれるかもしれないというブログにすぐにハマった。
ブログに初めての記事を投稿した時のこと、すぐに既読が一つ付いた時の嬉しさといったらなかった。
「読んだ!ひとり誰かが読んでくれたよー!!」とすぐに長男に知らせたら「それって自分で自分のブログを読んで確認した時の数じゃない?」と言われてがっくりした。まさしくその通りで、当時はその仕組みもよくわからなかった。
でも、その後は読んでくれる人の数が増えてきて、大したことも書いていないのに、見知らぬ誰かが読んでくれたということが不思議やら嬉しいやらで、もっと書いてもっとたくさんの人に読んでもらいたいという気持ちになったものだった。
しかし、12年経って今はどうなのかと自問自答してみると、私の中で「ブログを書く」という意味合いは、まったく変わったと思う。
自分が良いと思ったことを他の人にも知らせたいとか、似たような状況にあるかもしれない誰かの参考にすこしでもなればいいなという気持ちで記事を書くこともあるが、実は、そのほとんどは自分の為に書いている。
だから始めた頃のように、もうアクセス数はほとんど気にしていない。
というか、あまりアクセス数が伸びるのは本意ではなく、むしろひっそりと隠れて地味にブログを続けたいというのが本音かもしれない。
では、ブログを書くことが私にとってどんな意味があるのかと言うと、漠然とした自分自身の考えを文にすることで、あらためて自分は本当はこういうことを望んでいたのかとか、こう考えていたのかとか、まるで他人を見るように自分自身を客観視できるようになったことがとても大きい。
ブログを書く前は、自分の深い部分を見つめるなんて考えもつかない事であり、そんなことはしたこともなかったが、ブログを書くようになってから、特に最近は、まず自分自身の内面深くを見つめるようになった。
では、自分の内面を深く見つめるようになってどうなったか?
俗っぽいことから書くと、とても運がよくなった。
こうなればいいなと思っていることが、わりと早い段階で叶っていくようになった。
これは、それだけではなくご先祖の加護のお陰がとても大きいと思っているのだが・・・それは置いておいても、自分の内面を見つめて自分の本当の気持ちを知るようになると、自然と人間関係がよくなり、その結果、運がよくなったと思う。
人間の心の奥には内在神というものがいらっしゃるそうだ。
ブログを書いてきた12年間で、できる限り内在神が望む方へ行くようにしようという気持ちが強くなっていった。
しかし、願いを叶えるために先祖供養をしたり自分の良心に従ったりしているわけではない。
「自分がそうしたいからする」ということだけ。
もう本当にこれしかない。
だから、あえて人に同じようにやってみてと勧めることはしない。
ずっと前は勧めた事もあるが、口で言ってもなかなか伝わらず、口頭で伝えることの難しさを感じた。
進む道は、人それぞれなのだ。
私は私の道を行くだけ。これは家族であっても親しい人であっても本人にその気持ちが無ければどうすることもできない。
先日、ブログに載せる為に写真を撮っていたら、そばに居た長男に「それブログに載せるの?」と聞かれてドキリとした。
家族や知り合いには、もうブログは書いていないと言ってあるので、あわてて「違うよ」と答えた。
家族にも知り合いにも、このような事を口で伝えることは難しく、かと言って「読んで」なんて言えるほど、まだ私は成長していないので、やはりこのブログは自分のために、もうすこしだけ書き続けたいと思う。