バングラデシュで起こったテロ事件は本当に痛ましい。
なんの落ち度もない人たちが、このように命を奪われてしまうとは。
被害者の家族の方が「はらわたが煮えくり返る思い」とおっしゃっていたが、まさにそのような気持ちになるのも仕方がないと思う。
ただどこへ怒りをぶつけてよいものか、過激な思想は叩いても叩いても世界中に広がっているように思える。
犯人たちの写真を見たが、手にした銃を除けば、どこにでもいるような若者だった。
そして、その笑顔だけを見れば、ふつうに優しさもあるように思える。
しかし、一旦過激な思想に染まってしまったら、このような残酷なことも平気でできるようになることが恐ろしい。
特に現状に不平や不満、また心に悩みを持つ若い人たちが、過激な宗教や思想に走るようで怖い。
「そこへ行けば、この渇いた心を救う答えを教えてもらえる」とでも思うのだろうか。
ところで父がまだ会話が普通にできていた頃、ふと自分の若い頃の話をしてくれたことがあった。
父が20代になったばかりの頃、共産主義に傾倒し活動をしていたという話だった。
当時の父は昼間は働き、夜は大学に通っていたので、そのような活動をする時間がよくあったと思うのだが、若かった父はすっかり共産主義の思想に染まり、同じ思想を持つ仲間たちと共に「世の中を良くするため」に、かなり一生懸命に活動していたのだそうだ。
当時は戦争が終わって間もない頃だったこともあり、共産主義に対する警察の取り締まりは今では考えられないほど厳しかったようだ。
実際に父も共産主義の活動をしたということで警察に捕まり、何日も留置場に入れられたことがあったという。
塀の向こう側で「不当逮捕!すぐに釈放せよ!」と仲間たちが叫んでいるのを、父は留置場の中で聞いていたそうだが、その時に父が何を思っていたのかということまでは聞くことができなかった。
そして、その後、父は「自己批判」をして共産主義の運動をやめたそうだ。
なぜ思想運動から足を洗ったのか、何があったのか、父にそのあたりのことを聞きたいと思っても、なぜか父はそれ以上は話したがらなかった。
それ以来、父は左から右になり、共産主義や社会主義を激しく批判する側になった。
だから私が知っている父は、どちらかと言うと右翼的な考えの持ち主だった。
きっと若かった父には、世の中に大きな不平不満があったのだろうと思う。
まだ日本が貧しい時代、父も貧しかったが、そのような思想が日本を良くする、世の中を良くすることができると真剣に考えていたのだろう。
ただ途中で自分の考えが間違っていたと180度考えが変わったのだが、なぜそう思ったのか是非聞いてみたかった。
認知症で言葉が出なくなった今ではもう聞くことはできなくなってしまったが・・・
私たちの周りには危険な宗教も含めて、たくさんの主義思想が溢れている。
私など普通の主婦のおばさんなので、あえて自分からはもうそういったものに近づこうとは思わないし、近づいてこられることもない(笑)のだが、大学へ通っているパインやピーチの話を聞くと、危険が一杯といった感じがしている。
純粋で無知な若者を騙す?ことなど簡単なことだろう。
だから過激な宗教や思想に染まり妄信しないためには、たくさんの本を読んだり他人の話を聞いたりして、いろいろな思想や考えに触れることもひとつではないかと思う。
知識を頭の中に蓄えておけば「これは変だぞ」と思えるのではないかと思うのだが・・・
なんの落ち度もない人たちが、このように命を奪われてしまうとは。
被害者の家族の方が「はらわたが煮えくり返る思い」とおっしゃっていたが、まさにそのような気持ちになるのも仕方がないと思う。
ただどこへ怒りをぶつけてよいものか、過激な思想は叩いても叩いても世界中に広がっているように思える。
犯人たちの写真を見たが、手にした銃を除けば、どこにでもいるような若者だった。
そして、その笑顔だけを見れば、ふつうに優しさもあるように思える。
しかし、一旦過激な思想に染まってしまったら、このような残酷なことも平気でできるようになることが恐ろしい。
特に現状に不平や不満、また心に悩みを持つ若い人たちが、過激な宗教や思想に走るようで怖い。
「そこへ行けば、この渇いた心を救う答えを教えてもらえる」とでも思うのだろうか。
ところで父がまだ会話が普通にできていた頃、ふと自分の若い頃の話をしてくれたことがあった。
父が20代になったばかりの頃、共産主義に傾倒し活動をしていたという話だった。
当時の父は昼間は働き、夜は大学に通っていたので、そのような活動をする時間がよくあったと思うのだが、若かった父はすっかり共産主義の思想に染まり、同じ思想を持つ仲間たちと共に「世の中を良くするため」に、かなり一生懸命に活動していたのだそうだ。
当時は戦争が終わって間もない頃だったこともあり、共産主義に対する警察の取り締まりは今では考えられないほど厳しかったようだ。
実際に父も共産主義の活動をしたということで警察に捕まり、何日も留置場に入れられたことがあったという。
塀の向こう側で「不当逮捕!すぐに釈放せよ!」と仲間たちが叫んでいるのを、父は留置場の中で聞いていたそうだが、その時に父が何を思っていたのかということまでは聞くことができなかった。
そして、その後、父は「自己批判」をして共産主義の運動をやめたそうだ。
なぜ思想運動から足を洗ったのか、何があったのか、父にそのあたりのことを聞きたいと思っても、なぜか父はそれ以上は話したがらなかった。
それ以来、父は左から右になり、共産主義や社会主義を激しく批判する側になった。
だから私が知っている父は、どちらかと言うと右翼的な考えの持ち主だった。
きっと若かった父には、世の中に大きな不平不満があったのだろうと思う。
まだ日本が貧しい時代、父も貧しかったが、そのような思想が日本を良くする、世の中を良くすることができると真剣に考えていたのだろう。
ただ途中で自分の考えが間違っていたと180度考えが変わったのだが、なぜそう思ったのか是非聞いてみたかった。
認知症で言葉が出なくなった今ではもう聞くことはできなくなってしまったが・・・
私たちの周りには危険な宗教も含めて、たくさんの主義思想が溢れている。
私など普通の主婦のおばさんなので、あえて自分からはもうそういったものに近づこうとは思わないし、近づいてこられることもない(笑)のだが、大学へ通っているパインやピーチの話を聞くと、危険が一杯といった感じがしている。
純粋で無知な若者を騙す?ことなど簡単なことだろう。
だから過激な宗教や思想に染まり妄信しないためには、たくさんの本を読んだり他人の話を聞いたりして、いろいろな思想や考えに触れることもひとつではないかと思う。
知識を頭の中に蓄えておけば「これは変だぞ」と思えるのではないかと思うのだが・・・