ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

いつか行く道。持って歩くものは・・・

2016-07-05 15:36:09 | 介護
高齢者住宅に住む父の所に行って来た。

言葉が出なくなってきた父が少しでも声を出すように、車椅子に乗った父を挟んで食堂の椅子に座り、妹と二人で必死に話しかけていたら、歩行器につかまりながら歩いて来たおじいさんが音もなく後ろに現れたので驚いた。

いつの間にか近づいて来ていて、気づかない間にそばに立っていたのだ。

ぼーっとした精気の無い表情のおじいさんは、きっと認知症なのかもしれない。

おじいさんが抑揚のない声で「これ、なんだかわかるか?」と言った。

指さす方を見ると、おじいさんの使っている歩行器にハンガーにかけた洋服がぶら下がっている。

紺色で腕の部分に金色のリボンがついているブレザー。中には同じ布地のズボンも見えた。

「あッ、どこかの制服ですよね!消防か警察かな?」

そう答えると、おじいさんは「青函連絡船」と教えてくれた。

「おじさん、青函連絡船に乗っていたんですか?」と言ったら、おじいさんは「そうだ!」と少し大きな声で胸を張って答えてくれた。

青函連絡船は昭和63年頃まで函館と青森の間を運航していた。

昭和63年に青函トンネルが開通するまで、津軽海峡を渡る青函連絡船は北海道と本州を結ぶ主要な交通ルートだった。

そして、そんな連絡船には私も中高時代の修学旅行で何度か乗った。

「青函連絡船の乗組員だったんですかぁ、おじさん、すごいなぁ~。私も乗りましたけど、その時に船を動かしていたのは、もしかしたらおじさんだったんですね!」と言うと、おじさんの目がキラキラしてきた。

「でも連絡船に乗ると、わたし必ず船酔いしていたんです」と私が言い、妹が「私も!最初は甲板に出て海とか見ているんだけど、そのうち気持ち悪くなってきて、ずっと寝ていました」と言ったら、おじいさんが初めて大きな声でケラケラ笑った。

そんな話をおじいさんとしていたら、職員さんがおじいさんを迎えにきた。

そして「○○さん、青函連絡船の話をしていたの?よかったわね~」と言って、おじいさんの背中を支えながら行ってしまった。

おじいさんにとって青函連絡船で働いていたことは、きっと人生の中で忘れられない出来事なのだろう。

というか、それがすべてと言ってもよいくらいなのかもしれない。

そう思っていたら妹が「私が歳を取ったら、何をぶら下げて歩くんだろう・・・」と言った。

「そうねえ、何だろうね。しゃもじとお玉とか?」そう言ったら、妹は「そうかも!」と言って笑った。

家族に食べさせることに情熱を注ぐ妹なので、歳を取って料理を作れなくなっても料理器具は持ち歩いているかもしれない。

じゃあ、私は・・・と考えると、掃除が好きなので掃除機を引っ張って歩いていたりして。
いやいや、歳を取ってからは筋力が衰えて掃除機を引きずるのも難しいかもしれないから、せいぜいモップくらいにしておこうかしらん。

その日、仕事から帰った夫に青函連絡船の乗組員だったおじいさんの話をした。

すると、やっぱり夫も同じことを言った!

「俺は何をぶら下げて歩いているのだろう」

人生の折り返し地点を過ぎると、みんな自分に置き換えて考えてみるものですね。

いつか行く道。




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