明るい曇り空から緩い初冬の日差し。暖かで穏やかな一日。
『運命』という言葉を五木さんは、好きではないと書かれています。
6月に急逝したマイケル・ジャクソン。そして、モハメッド・アリ・・・。
この有名な二人は、黒人に生まれ、かたや黒人であることから(外見上か?)逃れようとして、かたや、黒人ということから、スタートを始める・・・これも、二人が白人として生まれてきたならば・・・・そう、そういう逃れられない運命を背負っているのが人間・・・。
いつの時代、どの両親、才能、遺伝子・・・全て、自分で選ぶことが出来ないのが運命・・・。
いろいろなケースや、ご自分の体験から、引き出す親鸞聖人の歎異抄の世界。
誰もがポジティヴな自己啓発産業に絡め取られ、スピリチュアルな世界には、望むもの全てがあるようにみせるイリュージョン・・・。
そんな中で、人間が本当に求める『幸福』が、享受できるなら、多分、今の世の中は、幸福なひとばかりだろう・・・でも、現実は、違う・・・。
アウシュビッツや戦後の引揚げで、生き残れた人は、たぶん『悪人』である・・・ひとを押しのけて出までも、脱走トラックに乗った人間が、生き残れたのだろう・・・。
五木さんは、そう書かれています。
いつも優しいわかり易い文体で書かれるエッセイの中、五木さんは、いつも断言はしないようです。
あくまでも、自分の側から推察した意見だとお断りをいれていらっしゃる。
この方らしい、曖昧さ・・・そして、ネガティヴさ・・・。
それは、最終的には、小さいけれども、希望の灯りとなって、辛い道(人生とでも言うのだろうか)
を照らす一条の光として、目前に現れる・・・(のだろう)。
その微かな光は、自分自身で見出すものではなくて、やはり運命とか人智では計り知れない『何処か』からやって来る・・・。
ポジティブ・シンキング思想に取り付かれたひとにとっては、かなり、マイナーな書だと思われるかもしれないし、ポジティヴに生きていけるヒトには、不要の書のだと思います。
マイナーでも、ネガティヴでも、不条理でも、不公平でも、どんな過酷な現状の中でも、僅かな光を見出したいひとにお薦めしたい一冊。
『運命』という言葉を五木さんは、好きではないと書かれています。
6月に急逝したマイケル・ジャクソン。そして、モハメッド・アリ・・・。
この有名な二人は、黒人に生まれ、かたや黒人であることから(外見上か?)逃れようとして、かたや、黒人ということから、スタートを始める・・・これも、二人が白人として生まれてきたならば・・・・そう、そういう逃れられない運命を背負っているのが人間・・・。
いつの時代、どの両親、才能、遺伝子・・・全て、自分で選ぶことが出来ないのが運命・・・。
いろいろなケースや、ご自分の体験から、引き出す親鸞聖人の歎異抄の世界。
誰もがポジティヴな自己啓発産業に絡め取られ、スピリチュアルな世界には、望むもの全てがあるようにみせるイリュージョン・・・。
そんな中で、人間が本当に求める『幸福』が、享受できるなら、多分、今の世の中は、幸福なひとばかりだろう・・・でも、現実は、違う・・・。
アウシュビッツや戦後の引揚げで、生き残れた人は、たぶん『悪人』である・・・ひとを押しのけて出までも、脱走トラックに乗った人間が、生き残れたのだろう・・・。
五木さんは、そう書かれています。
いつも優しいわかり易い文体で書かれるエッセイの中、五木さんは、いつも断言はしないようです。
あくまでも、自分の側から推察した意見だとお断りをいれていらっしゃる。
この方らしい、曖昧さ・・・そして、ネガティヴさ・・・。
それは、最終的には、小さいけれども、希望の灯りとなって、辛い道(人生とでも言うのだろうか)
を照らす一条の光として、目前に現れる・・・(のだろう)。
その微かな光は、自分自身で見出すものではなくて、やはり運命とか人智では計り知れない『何処か』からやって来る・・・。
ポジティブ・シンキング思想に取り付かれたひとにとっては、かなり、マイナーな書だと思われるかもしれないし、ポジティヴに生きていけるヒトには、不要の書のだと思います。
マイナーでも、ネガティヴでも、不条理でも、不公平でも、どんな過酷な現状の中でも、僅かな光を見出したいひとにお薦めしたい一冊。