秋の長雨の時期に差し掛かったのでしょうか?
週間お天気予報では、くもりか雨のマークが続いています。
この雨期(・・・と言える程、長くはないけれど)が過ぎると、秋全開・・・ってことになるのでしょうかね?
日常・・・普通に動いていたものが止まると、困ることが多いのは、普通は意識していなくて、当然のように動いているし、それが、当たり前のことだから。
毎日使う通勤電車・・・。
私は、生まれてこの方、電車での通勤通学の経験は、なくて、公共の交通機関では、バスで通学した時期があって、地元の高校へ通うのに、自転車通学をしていたけれど、身体が、ダメになって、バス通に変えたことがあるくらい。
身体がダメだったころは、都内へ、出ることも怖かったかな。
満員電車のなかで、具合が悪くなったらどうしようか・・・そんな不安もあったりで。
幾分、よくなってからも、やはり、その不安は、拭えないでいます。
電車が止まると、その電車の利用客にすぐ支障がでますが、私の電波時計が、止まったくらいでは、誰も困りません。
唯一、ワタシが困るのみです・・・だから、ドウデモイイちゃ、どうでもいいことなんですが・・・。
電車を利用する人間にとって、支配されるのが時間でしょうか。
電車の発着、遅延、始発、終電・・・とにかく時間で動いている最たるものが電車でしょうか。
そう言う点では、電車と電車を利用する人間は、時間に支配されていると言えるかもしれません。
現代に生きるもので、時間の概念なしには、生活できるひとは、稀なひと・・・。
確かに・・・今は、稀人となりて、通勤や仕事が皆無だから、時間に支配されることもあまりないように思えますが・・・昨日のブログにも書きましたけれど、私は、極端に、時間に支配される時間病。
時間なんて、抽象的なモンで、同じ1分でも長く感じるときもあれば、短く感じるときもあるし、1年は、長いけれど、過ぎてみれば、また短くもあり、10年でも、20年でも・・・そして、やがて、一生を終えるときも、長かったか・・・短ったか・・・と、問われれば、夢の如し・・・なんだろうと思います。
今、使っている電波時計も、もう10年近く使っているように思います。
毎日、毎日、時を刻む・・・。
定時に電波を受信し、1秒、2秒と狂いを修正し、この間のように、全く機能しなくなってみたり・・・(電池切れとか・・・)。
もう老朽化してきているのかも・・・。
それでも、1秒、1秒時を刻むもの・・・。
それを見ずして、時間というものを、把握できないのが、ワタシです。
この電波時計は、温度計、湿度計もデジタル表示されて、可視化できるのがありがたいです。
そして、何故か・・・自分の誕生日の日付と同じ数の時間を刻むとき、私は、モニターを見てしまうのです。
いつも偶然で、意識している訳ではないけれど。
そんな時計が止まってしまうは、やはり、困る事。
他にも時間を知る手立ては、あるし、外出時などは、誰にみられることもなく、黙々と時を刻みながら、ソコにある・・・ただ、それだけ・・・。