2011年3月11日。
この日のことは、今でも、はっきり覚えていて・・・。
工場の構内を自転車で回っていて、本館の前で、保険部の女性と、おしゃべりをしていたら、地面が揺れた。
屋内に居るのとは違って・・・ああ・・・揺れている、地震なのかな・・・くらいの意識しかなかったけれど、数分後、本館から、外へ、避難してくる人たちが、次々と集まってきて、地震の大きさを知った。
貯水槽の水が、振動で、槽の外へあふれ出して、本館前の広場へ、工場内のひとたちが、集合し始めると、本館ビルの窓ガラスが、落ちてきたりした。
電話も一切、つながらず、家にも連絡がつかなかった。回線が混雑していて、制限がかかっていたのだろう・・・。
自宅待機命令が、出て、帰宅するも・・・交差点の信号は、消えて、どうしたらいいのかわからなかった。
電気が止まり、水も出ず、唯一、ガスだけが使えた記憶があった。
ずいぶんと寒い日で、芝居炬燵(電気の通っていない暖かくない炬燵)に足をつっこんでも、寒い。
停電だから、電気もこないし、情報は、家人のトランジスタラジオだけで、暗い夜が始まった。
7年経って・・・。
いろいろな噂が出てきた。
人工的に起こされた地震説(通常の地震と振動波形が違う?)。
核実験説(原発で使われない放射線の検出)。
気象テロ・・・その実験の一部なのだろうか?
震災が原因で亡くなられたひとは、選ばれた魂のひとたちなのだろう。
いつも、いつも・・・そう思う。
この世は、既に、腐り果て、狂気に満ち溢れ、ヒトが、ヒトを選別(現在では、AIが、ひとを選別するようになるらしい・・・?という)し、必要な人間と不必要な人間に分別される・・・まるで、分別ゴミのように???
ヒトが、分別するのではなくて、魂で分別され、新しい、刷新された世界へ、導かれたのが、震災で、無くなられた人たちの魂である。
どのみち、日本は、放射線で汚染されつくしている。
放射線に耐えられるように遺伝子が進化するには、時間が足りない。
そのうち、世界の核のゴミ捨て場になるかもしれぬ。
いまだ、福島の海には、原発で使われ、放置された核燃料が、排出されている事実をヒトは、忘れたふりをしている。
生き残った人たちは、滅びのために生きている。
生き残ったと勘違いして。
やがて、ヒトか、AIか・・・なんだかわからぬものに分別されて・・・多少の不平等に、何も疑問を感じずに・・・。
今だって、見事に線引きされている。
上級国民?とされている一部の特権階級に所属するひとは、ヒトを殺しても、わずかな保釈金で、無かったことにされてしまうし。
某特捜部長とか、チャンネル8の女子アナウンサーだとか・・・???
震災の義援金を横流して着服?したらしい某国会議員とか・・・。
人工気象テロだの、核実験だの?そんな腐食された世界から、救い出されたのが、震災で亡くなった方々の魂である・・・。
もし、神の御業だとすれば、世界をお仕舞いにする始まりなのだろう・・・そこからの魂の救済である。
腐食した世界からの魂の救済である。
そして、その魂に、ささやかな(ささやか過ぎる)祈りを捧げるしかできない・・・そんな日である。