鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

『人生逆戻りツアー:泉ウタマロ・著』 

2010-10-18 21:06:22 | Weblog
うす曇・・・。

・・・今日の御題。
スピリチュアル系の死んだら・・・どうなる・・・的ストーリーってことで・・・。

この本は、スピリチュアルな人達がよく言う『死後の世界』と『これまでの人生の意味』そして、『転生』というテーマの物語です。

・・・自称『ダメダメ男』のクロードという外国人が主人公なのですが・・・。

・・・何処が、ダメ・・・なんだろう?
ちゃんと恋愛して、美しく優しい奥さん(後に離婚するけれども、深い理由があったことが、死後判明)と普通に幸せな家庭を築き・・・どこもダメじゃないんじゃないの・・・???
ただ、画家を諦めて、やりたくないスーパーの仕事でも、真面目に続けて、立派だと思うのだけれど。
そのあたりから、違和感があって、世の中には、もっとダメで・・・というより、自分じゃどうにもならない不幸としか思いようのない運命?に翻弄されている人達だってゴマンといそうなのに・・・。

お決まりの死後、守護天使の登場。
あのとき、ああいう出来事がなければ、もっと思うような人生を歩けたのに・・・でも、その(或る意味、不幸な出来事)、どうしても必要な事で・・・と、死んでから言われたって・・・。
この手のストーリーって、スピリチュアルな物語とかには、定番なんでしょうかね?

じゃあ・・・究極の質問・・・
『神(創造主)』の存在。

こんなにも、思い通りに行かなくて、世界の全てを恨んで、憎んで、ほんとうに、『神』なんて存在するのだろうか・・・。
そう思わずに生きていけるひとは、幸せで、幸運なひとである。

私たちの魂は、『神』の一部で、神は、私たちの経験や感情・・・人間が、良いとしていることも、悪いとしていることも、全て・・・『神』が感じるために、生きている・・・(或いは、生かされている・・・)。


物語としては、面白い。
笑えるし、泣けるし・・・。
ただ、この手の話は、すでに、巷には、あふれていて、目新しさは、何もない・・・。
オカマの神様がユニークといえば、ユニーク・・・多分、相対する魂によって、神様も天使もその姿を変えるのでしょう・・・。ワタシ的には、あまり逢いたくありませんが・・・オカマの神様には・・・。

このくらいの書評(感想)しか、書けませんが、作者の方、感動した方、ごめんなさい。

この本を読もうとされている方、私の書評(感想)は、棚上げして、ご自分の感性でお読みになってください。役に立たない読書は、ない・・・と思っています。


ピアス考②~身体に風穴あけて、果たして、無事でいられるのだろうか? 

2010-10-17 21:04:45 | Weblog
くもりがち。暑くもなく、寒くもなく・・・。


昨日の続き。
ピアスをした人の真後ろに立ち、後ろ側からの形状をみるに至り、なんと無様なんだろうかと思った話の続きです。

いや・・・いいんですよ。
感じ方は、人それぞれなんだし。

ただ、あの形状は、かなり不気味だった次第で。

正面或いは、横から見る分には、なんら問題ないわけだし。
普通の社会的生活における人間の接触範囲においては、ピアスを後ろ側からみる機会なんて、そうそうないし、髪型によっては、まったく隠れてしまうし。

耳は、東洋医学においては、経絡(ツボ)の集まりだというし、安易に、そこに穴を開けてしまうと、とんでもないことになる!

ある都市伝説?では、ピアス穴を開けたら、穴から、白い糸状のものが出てきて、それを引っこ抜くと失明する・・・なんて話がありましたがね・・・。
多分、デマだろうけれど、経絡が多いので、目に繫がる経絡が、走っていた場合、なにか障害?が出るのではないだろうか・・・と、多少、びびったりで・・・。

ピアス・ポストの金属に、ニッケルなどが含まれていた場合には、傷口から、体内へ入り込み、アレルギー症状や、皮膚炎を起こす可能性も高くなりそう。

純粋なプラチナ・金でも、アレルギー体質のヒトは、不快な症状が現れるのだろうし、銀や銅でも、アレルギーが起こるひともいるらしい。

いづれにせよ、身体になんの不都合もないのであれば、無理に、風穴をあけるには、およばないのだろうと思ったりで。

一度、真後ろからの形状をチェックした上で、それが特に問題がなければ、ピアスをすればいいし、私のように、あの形状に耐えられない(・・・そんなヒトいないか・・・)ひとは、止めた方が、よさそうだと・・・。



ピアス考~オシャレか凶器か? 

2010-10-16 21:02:37 | Weblog
穏やかな秋の一日。


去年、耳にピアス・ホールでも開けて、ダイヤやルビーやサファイアのスタッド・ピアスでもしてみようかと思ったことがあったのだけれど、思い立ったのが、真夏で、今、ピアッシングをしたら、気温も高いし、きっと、膿むだろうな・・・冬まで待つかな~~~とわりと気長に考えていて、冬になったら、すっかり忘れてしまって、また、思いたったのが、今年の夏で・・・。

・・・病院へ行かなくても、ドラッグストアだとかの化粧品売り場で、ピアッシングの道具一式売ってたよな~~~。

まだ、ピアスが不良のアイテムだった頃(・・・って、いつの時代だ?たぶん、昭和の後期頃)、氷で、耳たぶを冷やして、麻痺させて、安全ピンで一気に、貫く・・・って、コレかなり痛そう。

就職のときにも、ピアス穴をあけた学生は、不利だと聞いたこともある(今でもそうなのかどうか?)

私は、痛いのだとか、痒いのだとか、身体に少しでも異常があると我慢できないこらえ症のない人間なんで、ピアッシングなんて、トンデモナイ・・・と思っていた(今もそう思っている)。

それまで、宝石類には、まるで、興味がなくて、したがって、ピアスにも、全く興味がなく、どこも異常がないのに人体に好き好んで、穴あけるなんて・・・と思っていた(今もそう思っている)。

しかし、ダイヤモンド・ピアス(片方0.5カラット)を見て、合計1カラットを耳につけたら、いいかもしれない・・・と悪魔の囁きが聞こえたのが、去年の夏。

雫形の濃いブルートパーズのピアスだと、清潔感もあるし、或る程度のカラット数も大きくて、価格も手の届く範囲だな・・・しかし、コレをまとうには、耳に穴を開けずばなるまい・・・。

・・・まっ・・・そんな、こんなと逡巡していたのだけれども、昨日、しばらくぶりに寄ったスーパーのレジで、子供をつれた女性がピアスをしていたのだけれど、真後からみて、その形状に興ざめしてしまった。

ああ・・・そういう構造をしているのか・・・。
当たり前であるが、耳たぶに貫通させるポストとそれを止めるシリコンで、固定させているのだけど、ポストが針先のようで、コレは一種の凶器か・・・と思わせる。
フック式も不気味で、あんな金属を身体に通して、何か不慮の力が働いたら、耳(というか、その周辺及び、顔)は、傷だらけになってしまうではないか・・・。
特に、赤ちゃんを抱っこしたりしなければ、ならないお母さんは、ほんとうに、凶器をつけているのと同じ・・・。
赤ちゃんがお母さんの耳のポストに触れたら危ないし、フープピアスに小さな手をつっこんで、耳たぶがちぎれたという話も聞いたことがある。

やっぱり、ピアスは、凶器である。

野菜高騰!!

2010-10-15 21:02:22 | Weblog
日中は、晴れて、今日も半袖でOK!な秋。


久々に、退社後、スーパーに寄ってみたのだけれども・・・。

なんか、生鮮食料品売り場・・・所謂、野菜売り場ですね。
隙間が多い・・・???
以前は、山のように積まれていた野菜類が、何故かさびしい・・・。

『トマト何処だろう・・・???』

以前は、3つか4つポリ袋に入れて売られていたトマトが・・・ない・・・。
グルグルと売り場を歩きまわり、探してみると・・・。
箱に並べられた20個?前後のトマトが1個づつバラ売り。
値段をみると・・・
1個・・・198円。

(いっこで、198円だとぉ・・・???)
普通なら、4個くらいの値段だろう・・・トマトは・・・。
特に、有機栽培だとか、ブラント・トマトではないもん・・・。

・・・今日は、トマト・ソースで、パスタでも作ろうか・・・と目論んでいたのだけれど。

(こんなに高いなら、缶詰のホールトマトでも買おうか・・・)
しかし・・・生を煮詰めて食べるのが、美味しいんだよなぁ・・・。
だけど、こんなに高いなら、ナマで食べたほうがよさそうだよなぁ・・・。
煮てしまうのは勿体無いか・・・。

結局、2個かって、400円のトマト・・・。

今年は、4月に雪が降ったり、なんか、物凄い猛暑だったり、集中豪雨だったり、この分だと、冬も異常気象なのだろうか・・・???

しかし、野菜が、高い!
高すぎる・・・。

野菜は、食べないわけにはいかないしな・・・。
多少なりとも、ベジタリアンっぽい生活をしているので、野菜が高いのは、ちと困る・・・いや、本当に、困る・・・。


金・銀・木犀

2010-10-14 21:02:33 | Weblog
朝は、肌寒いくらいだったが、日中は、半袖でも・・・。


今年は、金木犀の開花から落花までの期間が、随分と短いような気がしている。
普通だと、もっと長く香りを楽しめていたような気がしているのだけれど。

・・・気のせいかな・・・???

それとも今年の物凄い夏の暑さに、木が弱ってしまったのだろうか・・・???
あの小さな小さなオレンジ色の小花にも勢いがあまりなかったような・・・。

そんな訳で、よい季節が終わって、これから、いよいよ寒さに向けて・・・っていう季節なんだけれども、どうも、昼間の気温が高すぎるような・・・。

やっぱ・・・気のせいですかね・・・???

芳香のする花木は、春の沈丁花、秋の金木犀・・・なんてことは、以前、同じ季節にこのブログでも書いているけれど、やっぱり、風のよい季節ならではの花ですね。

オレンジ色の花の金木犀と白い花の銀木犀を交互に植えてみたらどうかな・・・。
自宅には、金木犀は、あるのだけれど・・・。

銀木犀の別名は、銀桂というようだけれど、銀木犀と柊の交配種に『柊木犀』という種類があることを知った。
実際、どんな木なのか、実物をみたことながいから、わからないけれど、柊は、クリスマスなんかを連想させるし、白い花だということだから、きっと、薄っすら雪が積もっているように見えるのかも・・・と勝手な想像をしてみる。

今度、銀木犀を見つけたら、ぜひ、植えてみたい気がする・・・。


『ガラスの仮面45巻・美内すずえ・著』~ほんとにどうなる・・・亜弓さん???

2010-10-13 21:34:34 | Weblog
晴れて暑い一日。

44巻目で、このドラマの重要なファクターである姫川亜弓の失明の予感を感じさせるラストシーンから45巻で、何か展開があると思いきや・・・46巻へ持ち越しになってしまった。

そして、久々に、姫川歌子さんの登場だ。

『ふたりのヘレン』のヘレン・ケラーとアニー・サリバンを思い出させる。

さて、今後の展開は、どうなるのだろうか・・・とツラツラ考えるに、やはり、『紅天女』の上演権は、北島マヤの手中に納まるのだろうか?
ライヴァルの亜弓さん失明とか・・・。
それで、きっと、外国で、手術を受けるのだろう?
そして、復活・・・。

亜弓さんが戻るまで、紅天女は、再び、おあづけで、また、長い長いスパイラルに戻る・・・なんて、シナリオ考えてみた。

目の見えない亜弓さんの演技を、月影先生が、見抜かないわけがないだろうし・・・。

もしかすると、作者の美内すずえさんの構想の中で、『紅天女』の大枠は、完成しているものの、或いは、ディティールを変えたいとか・・・どうしても満足のいかない何かがあるのかもしれない・・・なんて、そんなわけないだろう・・・。
だって、『ガラスの仮面』は、『紅天女』のドラマだからな・・・。

月影先生が、落ちてきたライトで、顔半分を潰し、女優を断念せざるを得なかったパターンを亜弓さんが踏襲するのか・・・どうか・・・???

凡人のワタシには、それくらいの展開ストーリーしか思いつかないのだれども。

速水真澄との恋愛も今後、どう展開するのだろう。
女優の道を進むマヤには、避けて通れないだろう・・・『恋愛』という試練は。
やはり、二人は、今生では、別たれたままの魂なのでは、ないだろうか?

女優は、舞台が夫・・・。
そう言った女優さんがいらした・・・。
たぶん、それくらい、プライベート(個人)を捨てないと、ヒトに感動なんか与えられないのだろう。

わりと簡単に降板してしまう最近の役者さんには、たぶん、永遠に辿りつかない頂点がそこに在るのだろうと思う。
役者と恋人・・・両方とも得ようなんて、演劇の神様が許すわけが・・・ない・・・と思いたいのだが・・・。


『現代霊性論:内田樹×釈徹宗』~スピリチュアルってなんだ・・・???

2010-10-12 21:05:21 | Weblog
朝方、雨。くもりがちな一日。


最近は、いろんなところで、『スピリチュアル』って言葉を目にしますね。
霊感占い・・・だとか。
・・・スピリチュアルのスピを動詞?にして、『スピる』なんて、ヘンな言語もあるし、スピリチュアルな生き方を目指す?『スピ女』なんて言葉もあったわな・・・。

内田樹先生のご著書については、このブログ内でも、何度か書かせていただいておりますが、内田先生は、オカルト?がお好き・・・。
オカルト・・・というよりは、『第六感』だとか、『気』だとか、科学によって解明があまり進んでいない分野でもそれを否定しないセンセイです。
ご自身も武道家でいらっしゃるし、身体を鍛えると、そういう・・・なんというか・・・『勘』というか『感』というか、実在の証明が、万民に対して難しい分野の現象でも、寛容に受け入れていらっしゃるようです。

今回の公開講義は、お寺のご住職(浄土真宗)でもあり、大学の先生であられる釈徹宗さんとともに、『現代の霊性』について・・・ということだそうです。

現代人は、経験的というか習慣的というか、『霊』なる正体不明なものに結構、振り回されて生きているようです。

死者の祟りだとか、呪いだとか・・・。

孤立した都市部ほど、『占い』の需要が高いし、毎朝テレビで、『今日の占い』だとか、雑誌で、『今週の運勢』だとか・・・そういう媒体をもつ国は、日本以外ないんじゃないかと・・・。

名前は、呪い(咒)だし、名前をつけられることによって、『縛られる』ということだし、気にも留めていなかったような事に、なんか意味がありそうだったり。

明治維新後、急速に発展した新宗教の一覧なんかもあったりで、盛りだくさん。

得体の知れないけれども、現代人の生活に深く浸透していて、切り離すことのできない習慣や行事、民間の宗教者ともいえるスピリチュアル・カウンセラーの概念。

インチキ占い師にカモられないためにも、一読してみるのもまた、一興。


『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法:橘玲・著』

2010-10-11 21:04:20 | Weblog
連休最終日。秋晴れ。


『ザ・シークレット』をはじめとする引き寄せの法則・・・。
ダメな自分が本当に変われて、最高の幸せを掴むことができる・・・『自己啓発』本の数々・・・。
努力すれば、幸福になれる・・・。
そんな『自己啓発』の著作は、『やればできる』人達のために存在する(・・・ホンの一部の人達)。
『やってもできないひと』は、幸福にはなれない・・・。
だって、できないんだもの・・・。

そんな『やってもできないひと』は、
『伽藍を捨ててバザールへ向え。恐竜の尻尾の中に頭を探せ!』
・・・ということだそうです。

この『伽藍を捨てて、バザールへ向え。恐竜の尻尾の中に頭を探す』方法は、最終章の8ページに書かれています。

その8ページの最終章に至るまでに、著者の橘玲さんは、進化社会学・心理学・経済学・経営学・生物学・・・いろいろな方面から、
『僕たちは、幸福になるために、生きているけれど、幸福になるようにデザインされているわけではない。』
という結論に至る論証を延々と繰り返し続けます。

・知能の70%は遺伝で決まる。

まず、このあたりで、相当なダメージを受けるわけです。
・・・どんなに頑張ってみても、生まれた時点で、或る程度の能力は、決まってしまっている訳で、どんなに努力しても、『できない』ひとは、出来ないまま・・・。
最初から備わっていない能力を開発するのは、時間と資本の無駄・・・。
残酷な世界は、こういうひとたちを、淘汰していくのでしょう。グローバルタンダードの名も下に・・・。
加速度的に。


橘玲さんは、『マネーロンダリング』、『永遠の旅人』といった経済市場をバックにした小説が、面白い作家さんなのだけれど、ご自分自身を、『落ちこぼれ』と自覚していると語っていらっしゃる・・・。
・・・そうなんだろうか・・・???
あなた自身は、選ばれた才能あるひとなんじゃないですか・・・???
私は、橘さんに、そう問いたいけれども・・・・。

たぶん、『やってもできないワタシ』には、伽藍を捨ててバザールに向うことはできても(でも、それを決意できないかもしれない)、恐竜の尻尾の中に頭を見つけることが、不可能だと思えるからなのです。


本の旅人

2010-10-10 21:04:52 | Weblog
朝方、激しい雨が降るも、急速に回復。


月刊誌・・・だったでしょうか?
『本の旅人』
という雑誌があるようですが、最近、本屋さんには、とんと足が向かないので、現物は、みたことがありません。
・・・で、その雑誌のお話では、ないのですが・・・。

どういう訳だか、わからないのですが、いろいろな本を読んでいても、ふと気がつくと、帰りたい・・・というか、どうしてもその『或る本』に戻ってしまう・・・どうしても、ここへ戻ってしまう・・・という本が何冊かあります。

・・・最初は、そうでもないし、まぁ・・・そんなもんか・・・とも思うし、暫く離れていても、或る日、ふっと、また読みたくなってしまう本。

・・・もしかすると、本から本へ、旅をするひとにとって、『故郷』みたいな・・・そんな本。

本を、旅にたとえる・・・というのは、言いえて妙で、物理的に、身体を移動させる訳ではなくて(コレは、ワタシの場合です。インターネットで、読みたい本を注文して、宅配されるのを待つだけですから・・・。他のひとは、街の本屋さんに行ったり、図書館へ行ったり、漫画ファンの方は、コミックマーケット、古書好きな方は、神保町へ・・・或る程度、移動が伴うのでしょうけれども・・・)、自宅の狭い自室から、一歩も動かず、ただページを開くだけで、旅=移動という図式は、成り立たないのですが。

本というほんとうに、狭い空間に、旅をする・・・。物理的には、縦20cm横15cmくらい?かな。
そこは、体感とか、経験というよりは、むしろ、想像というか、自分以外のひとの世界を、自分を通して、そして、感じる世界。

脳内トラベルというか・・・。
実体験が伴わないけれど、旅・・・。

体力的に問題があっても、なんの障害にはならないし、時刻表もいらない。駅も空港も要らない。
勿論、自分ひとりでOK!連れもいらない・・・。
着替えも、食糧も、カバンに詰め込まなくてもいいし、随分とラクな旅人となれるという点では、最大の娯楽かも・・・。

問題は、費用ですかね・・・。
1冊単行本で、1500円程度・・・。
2時間か3時間の旅・・・。

さて、今夜は、何処へいきましょうかね?
それとも、ホーム・グラウンドというか、読みつくした懐かしい本に戻りましょうかね?

祝!!!900回!!!

2010-10-09 21:03:12 | Weblog
午後から本降りの雨。

今週は、会計ピークの後半が、週明けにかかり、忙しかったにも関わらず、1週間が長くて長くて、やっと休める・・・といった緩い土曜日。
昨日は、早々と23時には、眠ってしまったし、平日通り、朝の6時ごろには、目が覚めたけれど、また眠り込んでしまい、どうせ、天気もよくないのだし、疲れに疲れたから、今日は、とことん身体を休めてしまおう・・・と毎回の週末パターンですが、ダラダラ寝暮らして過ごしてしまいました。

久々にゆっくり、本も読めたし、3連休の初日にしては、充分すぎる休養でした。

さて、今回をもって、このブログも、900回目を書くことができました。

100回の節目ごとに、こうして、書いてみるものの、ブログを開設した3年前とは、状況がまるで、変わってしまったことに対して、本当に今更ながら、驚きを隠せません。

今日は、雨の音を聞きながら、だらだらと眠ったので、雨と水の夢をみました。

雨が降り続いて、寒い。
家の前が、増水して、まるで、湖のようになっていた。
水辺は、好きなので、このまま湖の畔で、暮らせたらいいな・・・と思う。

他愛もない夢ですが、夢占いのサイトの診断では、
『今の生活を守りたい。何かが、壊れるのを非常に恐れている状態。』
らしいです。

・・・確かに、今の職場には、不満があり、毎日、辞めたいと思わない日は、ないのだけれど、今、解雇されたらやはり困るし、どうしていいか見当もつかないし、低めながら、安定した日々を守りたい・・・という保守的な思いは、いつも心の隅にあって、どうしても、それを撤去することが出来ずにいるようなのです。

新しい環境は、面倒だし、かといって、このままの現状は、耐えられないし・・・。
どっちに向うにしろ、道が開けることは、なさそう・・・。

与えられた環境で、そこそこ満足して、他人など、羨まず、毅然として、生きていられたような気がするのが、3年前だったような気がしています(・・・違うかもしれませんが・・・)。
誰の・・・また、何の影響で、今の状態を生み出しているのか、このへんで、振り返ってみるのもいいかもしれません。


拙いブログをご訪問・ご閲覧いただいた方には、感謝です。
1000回目があるかどうか、わかりませんが、お暇がございましたら、またお越しくださいませ。

三毛猫堂