鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

睡眠不足と栄養不足とメルトダウン

2011-05-18 22:51:28 | Weblog
初夏・・・。風爽やかな一日。


日曜日(15日)に、引越し前の平屋で、使っていたエアコンを二階屋に設置。
2月に購入して、そのままにしていたテレビも接続してもらうはずだったが、どうも上手くいかず、アンテナからの配線をやり直してもらい、3ヶ月半ぶりに自室で、テレビが見られるようになった。
東北・関東大震災の実況や、民放のCM自粛によるACのコマーシャルフィルムもあまり見なかった。
無ければ無いで済むような気がしている。

平屋で使っていたテレビは、15年くらい前のものだったし、まだまだ?見られるのではないかと思うけれど、どうせ、地デジになるのだから、プチ・引越しと同時にテレビも買い換えたのだけれど、面倒だったので、HDD内臓のモデルを購入した。
使ってみると、コレが思いのほか、ラク・・・。
今まで、ビデオテープ(未だに・・・)に録画する手間に較べたら、格段の違いにアナログ人間の私は、驚いた・・・。
世の中は、日進月歩で、進化しているのに、15年も前のテレビとビデオを未だに使っていた私って・・・。

まあ、いろいろと雑事もあって、土曜日から月曜日まで、寝るヒマもなく、大型連休で、昼夜が逆転してしまっているし、夜が明ける頃、やっと眠るのだけれど、朝の7時には、起きないと会社に遅れるし、何だか、身体の具合も悪くて、月曜、火曜の夜は、22時には、気を失うような入眠状態で、ブログの更新も滞る始末。

睡眠障害というのか、22時に眠っても、0時前には、ぱっちり目が覚めてしまい、それから、ダラダラの惰眠状態で、眠ったという感じが皆無なのだけれど。

週末の睡眠不足とイライラで、腹痛がするし、食事を作る気もしなくて、ここ3日間は、コンビニで、買い求めたレンジでチンするお弁当類、外食のラーメンなどで、コレでは、ますます具合も悪くなろうかと言うもの。
明日からは、きちんと食事を作ろうと思う。

・・・世間では、やっぱり、福島第一原発は、メルトダウンだったという衝撃の発表なのに、既に、食傷気味なのか・・・メディアは、それ程、反応していないのは、何故なんだろうか???

睡眠不足と栄養不足とメルトダウンと・・・そして、この先、何があるんだろうか・・・とボケた頭で、考えるも・・・下手な考え休むに似たりってことだろうし、私が何を考えても、大勢には、何の影響もない。

震災が来るまで、日本には、54基(・・・57基だったか?)も原発があったなんて、知らなかったし、その原発で作られる電気を、何も考えず、使っていた身には、国も電力会社をも、責める資格はないのだろうと思うけれど、やっぱり、放射能は、勘弁してもらいたいものである。
(・・・しかし、54基の原発で、なんで、総電力需要の30%しか供給できないのだろうか?そのヘンが不思議だけど、やはり原発は、ムダの多い、不細工な構造なんだろうな・・・とシロウトながら思うわけである。このへん、認識が違っているようならお許しいただきたい・・・いかんせん、アナログな人間なもんで・・・)


メルトダウン~バベルの塔は、崩壊し・・・。

2011-05-14 22:53:16 | Weblog
乾いた風が爽やか。
美しい5月である。
地中海性気候・・・ってのは、こんな感じなんだろうか?
野の花咲き乱れ、風が渡り、紺碧の海と空・・・。

・・・なんて、妄想は、一気に吹っ飛ぶのは、かのT電さんの発表でしたね。
原発事故当時は、大学のセンセイなどが、
『メルトダウンの心配は、ありません』
なんていうよ~なことをおっしゃってましたけど・・・???

あっ・・・やっぱ・・・ウソだったんですね~。

そのせいかどうか、知らないけれど、自宅近所の放射線測定値が、本日は、0.11マイクロシーベルトだとさ・・・。
事故前の10倍だわな・・・。
たぶん、今も、だだモレなんだろう・・・と推測している・・・よくわからないが、私個人の勝手な推測なので、根拠はありませんがね・・・。

もう、コレは、どうしようもないから、被曝国の被曝者として、自覚して、覚悟を決めるしかないでしょう。

10倍ということは、1年であびる放射線量が、コレまでの10年分に相当しますからね。
単純に考えれば、まあ、かなりヤバそうである。

・・・健康に影響のある数値では、ありません・・・
ウソつけ・・・、ウソを・・・。

昨日も、検査で、放射線を病院であびて来たわが身にとっては、不安しかない・・・。


原発事故のために、増税され、その税金を払い、割り増しになった電気料金を払い、挙句の果てに、健康被害の不安まで背負い込んだ真面目な納税者だけには、何の保障もないんですかね?

原発による被害は、国で賠償する・・・某官房長官の発言だけれど、財源は、国民ということを、失念したような発言だ。

はっきり、申し上げたい・・・国が賠償するのではく、国民から吸い上げた税金で賠償します・・・といいなおしてもらいたい。

天に届くほど、高いバベルの塔は、神の怒りをかって、崩れ落ちる。
原子力産業にとって、築き上げ、カネのなる木になるはずだった原発も、いまは、何の罪もない(何の罪もないってことは、無いだろうけれども)国民から、健康も財源も奪い取る制御の利かない恐るべき怪物に姿を変えた。


花の季節

2011-05-13 22:56:51 | Weblog
初夏。
夕方からにわか雨。


本日は、休暇を取って、都内・御茶ノ水にある某・大学付属病院へ。
歯科治療の一環。
CTの撮影。
検査時間約10分・・・それでお終い。
別に、いいんだけれど。
痛くもなんともないので。

私は、週末しか都内に出ないので、平日の昼間は、風景が違っていて、学生さんが多いみたいだ。御茶ノ水は、学生街だし。

電車の窓から、菜の花が満開。あの色は、菜の花だとおもうけれど、違うかな?
とにかく満開。
桐の紫色の花も満開。高貴な感じのする花の色だ。

利根川を越えると、今度は、直立したアヤメだろうか?ショウブだろうか?それともジャーマンアイリスか・・・凛とした佇まいで、直線的な花。
真っ直ぐに伸びて、いかにも武士道?的な感じがする。

そよそよと淡いオレンジの花びらを揺らす・・・ケシのような花・・・ケシよりも少し小さめな・・・何とかポピーと言うような名前か・・・。
ゆらゆらゆれて、クレープペーパーのような花びらの質感。

住宅のフェンスに絡まって、咲き乱れるモッコウバラ。
薔薇は、今が、たぶん1年中で一番力強く、美しい時季。

今年は、遅いのかな・・・とおもっていたら、やはり香りでわかるニセ・アカシア。
乳白色は、あまり目だたないのだけれども、その芳香をあたりに漂わせる。
やっぱ、初夏の花だね。

躑躅(つつじ)も今頃か・・・。
自宅のは、栄養不足なのか・・・花のつきがよくなく・・・チョボチョボ・・・。

山桜はもうお終いか・・・。
会社の外の山桜は、圧巻だったけれど、今年は、見ないうちに、葉桜になってしまっていて残念。

こんなに美しい季節なのに、福島原発1号機は、メルトダウンという事態になっていたという発表。
トップニュースになったものの、もう誰も驚かないのか・・・私は、恐怖だったのだけれど。
もしかすると、そういう感覚が、麻痺してしまっているのだろうか?

まだまだ、コレからなんだろう・・・。本当の恐怖は・・・。
こんなに美しい季節なのに。

『城=カステロフィリア:澁澤龍彦・著』~TASSO再び・・・。

2011-05-11 22:55:25 | Weblog
一日中雨。


少し古い本を読んでいる。
1988年出版。
著者は、22年前に既に、他界されている。

ディモニッシュ、スタイリッシュ・・・細身、アンモラル、博物学、サングラス、モト財閥の家系、東大卒、フランス文学・・・、マルキ・ド・サド・・・、鎌倉在住・・・。

この著者を表すキーワードは、そんなところか・・・。

評伝風のエッセイとご自分でもおっしゃっているので、そう言った著作が多いけれど、亡くなられる数年前には、小説も発表されている。

実際、この本は、私には、手に負えない・・・というか、分らない部類の本だった。
それで、読まずに、20年以上経って、再び、邂逅した。

『城』についてのエッセイである。
タイトルの『カステロフィリア』は、城壁愛好(者)という意味らしい。

この人の本だし、装丁からみても、欧羅巴の古城だとかそんなイメージだけれども、最初は、今は城跡のみが残る安土城と織田信長について、書かれている。

織田信長サンですか・・・ふうん・・・などと思いながらページを繰るたび、なんだか、随分と昔(20年くらい前)の自分に邂逅しているような気がしてきて、どうにも、なんとも、甘いような切ないような・・・そんな気持ちになったのである。
澁澤龍彦・・・TASSOと織田信長・・・ナニカ魅かれるものでもあったのだろうか・・・?
本の古さと当時のわりと気儘(本当は、いろいろ悩みもあったりして、それ程、気儘という訳でもなかったのだけれども、今より、仕事の重圧のない気楽と言えば気楽だし、まだまだ未来があると信じていた頃の・・・)自分が蘇ってきたのは、一重に、このひとの著書ばかり読んでいた時代を思い出したからに他ならない。

そんなワリと気楽な時代(何度も書くけれど、当時は、他にもいろいろと重圧は、あったんである)で、お気楽な分、カネは、なかったハズだし、厚さ20ミリもないにも関わらず、当時、2000円という価格は、私にとっては、かなり、痛手であっただろうと容易に推察できるのであるが・・・。
こんなに高い書物を今まで、読まずにいたのである。

因みに何故、高価なのかというと、金子國義氏のイラスト入りで、イラストの前ページは、和紙で装丁されている。
かなり手の込んだ本といえるかもしれない。

本の魔術

2011-05-10 22:52:28 | Weblog
くもりがち。夕方から雨。
5月は、爽やかだけれど、妙に肌寒かったり、夏を思わせる気温だったりで、着るものが難しい。

このところ、新刊で欲しい本もあまりなくて、整理した本の中から、古い本と引っ張り出して呼んでいる。
15年分くらいだろうか・・・。
保存状態が最悪(押入れの中だとか・・・)だったので、紙魚(シミ)が、天地・側面のページに浮いている。本も歳を取るものらしい。
埃も薄っすら・・・。

新しい本も楽しいけれども、古い本っていうものなかなか良いものだ・・・なんて思ったりしている。
太陽光老化というのか・・・妙に茶渋に染まったページの具合だとか、点点とある紙魚具合だとか・・・。
特に、高額だった本程、よい老け具合・・・というか、味があるような気がする。
きちんと本棚に仕舞うなり、著者別とかジャンル別にしておくなり・・・ということが出来ないので、乱雑なままだけれど。

2、3ページ読んで、つまらなくて、そのままにしておいたもの・・・。
時間が経って読んでみると・・・あらら・・・今度は、よくわかるわ(・・・実際何もわかってはいないのだけれども・・・)。
そんな時の経過が、本の魔力かもしれない。

反対に、何でこんなものに興味を持ったんだろう・・・という場合もあるし、また数年か、数十年後に読み直してみると、また違った感慨があるのかもしれない。

本自体が変わらなくとも、読み手の変化が投影されるんだろうと思う。
こういう感覚って、若い頃は、なかなか持ち得ないし、現代の若者は、あまり本を読まないと聞く。

内容だけなら、電子書籍でも充分だろうけれど、紙の老化具合、紙魚具合だとか、そういったノスタルジックな物理的(・・・物理でいいんだろうか?生物的かも・・・)な時間作用を感じ取れるのが、本・・・であって、電子ブックとは、一線を画すのでは、ないかとも思える。

現在、全て、電子書籍という若者も、いづれ歳をとったとき、あの液晶画面を懐かしく思い出すのだろうか・・・そんなことは、ないような気がする。
思い出すのは、たぶん読んでいた当時の背景のみだろう・・・。

時の流れの中に、古い本・・・数冊・・・。

ずいぶんと楽しい休暇になった。


『隠棲』と『幽閉』

2011-05-09 23:03:14 | Weblog
晴れ。
長い休暇も昨日で終わり、本日からまたお仕事。

連休中、連続5日間は、自宅に籠って、1歩も外出することもなく、全く活動していないといっても過言ではないのだけれど、自室の整理だけは、ちょっとだけやってみた。

こういうのを『隠棲』と呼んでいいのなら、昨日までは、『隠棲』中だった訳で。

ぐ~たら、ぐ~たらしていても、特に生活するのに支障がなければ、このままでもいいかなぁ・・・と思ってしまった。
一人で独占できる部屋。電気。水。風呂。トイレ。都市ガス。レンジ。冷蔵庫。洗濯機。テレビ(まだ自室に接続していなけれど)。パソコン。パジャマ・・・食糧と本。
その他、細々したもの・・・鏡、はさみだとか、ペン、紙(モノを書く紙とティシュペーパーなど)・・・生活必需品・・・。

それくらいあれば特に外出しなくても、生きて行けそう?である。
だから、車は、要らないか・・・。
食糧品の調達くらいですかね・・・後は・・・。

・・・でもって、隠棲スル。

隠棲・・・というとは、全く違うけれど、『幽閉』なんてのもありますかね?
コレは、完全に閉じ込められて、食糧調達も出来ず、差し入れられるモノを食べて、自由が全く利かないなんてパターン・・・。
ヨーロッパあたりだと、高い塔のテッペンに閉じ込められて、監視されるというか・・・。
コレは、政治的に野放しにしておくと、ヤバそうな国王だとか、諸般の都合により、閉じ込められた王妃だとか、邪魔なんだけれど、殺すには殺せない・・・身分の高い人なんかに適用されるようで、私には、無縁だけれど、小説や漫画なんかに出てくるようですが・・・?

コレとちょっと似ているのが、『自宅軟禁』で、カンボジアのアウン・サン・スーチーさんが、最近の例ですかね。
美しかった彼女も70歳?だったか???
祖国のために、軟禁されておりました。
他に手立てがなかったのかと・・・。
この方も、国際的に発言力のある方でした(・・・今でも、充分ありますが・・・)


考えが、甘いといえば、甘いのだけれど、私的には、先にあげた必需品があれば、幽閉でも、自宅軟禁でも、生きて行けそうな気がしている。
・・・あの会社へ行かなくて済むんなら・・・と現実逃避がしたくなるこの時期・・・。

あくまでも・・・妄想です。
やっぱり、ヒトは、自己責任において、自由に生きるのが、正しいようです。

『悪趣味な美学:名香智子・著』~リオン皇太子に惚れた・・・。

2011-05-08 22:50:51 | Weblog
晴れたり、曇ったり、小雨降ったり・・・の連休最終日。


なんのかんのといったって、9日間なんて、あっ・・・という間に終わってしまう。
この長のお休みは、懸案だった歯科治療に、薄日が差してきた感じだし(まだまだ、先は、長いけれど)、友人と食事もできたし、演劇にも行けて、かつ、これも懸案だった部屋の整理も僅かながらも進み、あとは、来週、エアコンとテレビの設置が終われば、冬から持ち越していた不便極まりない不快な生活にも少しは改善されようかというもの・・・。

さて、部屋の片付けで、出てきたのが、本日の御題『悪趣味な美学』。
この本の奥付をみると1996年10月になっている。
15年くらい前の漫画なのだけれど、全く、記憶に残っていない。
たぶん、そのときは、つまらなかったのだろうと思う。

名香智子さんといえば、1970年代に『花の美女姫』シリーズで、華やかで、綺麗で、当時の少女マンガとは、一線を画す所謂、それまでの既成の漫画家さんにはない画風で、ヨーロッパ(特にフランス)の雰囲気そのまま(・・・といっても、フランスには行ったことないので、よくわからないけれど)、乾いたコンチネンタルな雰囲気のコメディで、独自の分野を打ち立てた方だったように記憶している。

王室・皇室・社交界・中世のお姫様、貴族の美男、薔薇・・・女の子の憧れの王子さまが、そっくりそのまま、リアルを無視し、これでもか・・・ってくらいな世界なのである。

いくつになっても、女子は、プリンセスに憧れ、王子さまを待っている。
フィクションでも、その世界に浸れるのが、名香ワールドだ。

・・・で、何故、この『悪趣味な美学』・・・シャルトル公爵シリーズが、私の前から消えていたのだろうか・・・。
たぶん、この1990年代後半・・・このテーマについていけなかったのだろうと推察する。
ほとんどの漫画を1980年代中期頃、所謂、卒業して、一部の漫画家さんの作品しか読まなくなった。
名香智子さんは、そこから外れたのだと思う。

お人形のような男性、ゴージャスな美女、華麗なタッチ・・・。中でも、ヨーロッパの貴族趣味は、格別・・・。
今読むと『萌~~~』てしまう。
中でも、リオン皇太子のキャラに惚れてしまった。
清潔そうな黒髪の短髪。長めの前髪、超極細・・・。青い瞳。端正。歌舞伎役者のような?目バリ???
皇太子なんだけれど、何故か、ルードな雰囲気なのに上品(最近の私の個人的な好みにこのルード系がある。意味は、ちんぴら・・・みたいなそんな意味)。
金髪で、お母さんのヴィスタリア公爵夫人と全く同じ顔の主人公?アンリとは、対照的。

名香さんのキャラクターは、金髪と黒髪がものを言う。


やっぱ・・・モデルは、あのひとですかね???ROCK系の・・・(特に名を秘す・・・多分、違うと思うので)・・・と独り笑ってしまうのだけれど、どうも、最近、ルード系の男性に目がいってしまう。
15年前とは、趣味が全く変わってしまったようだ。
・・・で、早速文庫版(コミックス版は、品切れ)で、取り合えず、シリーズの発端となる1巻から3巻までをネットの本屋さんに発注した次第。



昼夜逆転生活②

2011-05-07 22:55:56 | Weblog
もう梅雨にでも入ってしまったように、朝から、シトシト・・・雨が降る。
気温も(自室だけれども)20℃に届かず・・・。


6日の夜10時頃起き出して、部屋の片付けを始める。
昼夜が逆転してしまったので、夜中全く眠気が来ない。

今年の2月初めに、この二階家に移って、寝床のあるこの部屋(8畳)の半分を、本を詰め込んだダンボール箱が林立していて、この部屋は、眠るためだけに使用しているようなものだった。
・・・と言っても、この4ヶ月、週末は、ほどんど、この部屋で横になっていたので、やはり、本や衣類で、半分・・・いや2/3を占拠されるのも・・・。
この連休を逃せば、多分、夏季休暇までは、この状態・・・だろうと思ったりした。

そして、平屋から取り外したエアコンの設置もまだだったし、テレビも未だに、未接続のままだ。
兎にも角にも、家電業者さんを呼んで、セッティングしてもらうにも、この有様では・・・。

いい訳にしか聞こえないけれども、この2月、3月、いろいろな事がありすぎた。
まず、会社間の転籍問題。
転籍先の会社が、親会社と吸収合併が決まったのが、2月半ば。
それ以前に、転籍の話は、あったものの一向に進まず、そして、打診があってから、あの大震災に見舞われて、ソレどころの騒ぎではなくなってしまった。
残る派遣期間3日ということころで、やっとこ契約が済み、なんとか4月も終わった。

そんなこんなで、部屋を片付けるという心の余裕すらなかった。

・・・んなわけで、夜通し、隣の部屋(実際は、こちらに住まおうかとも思ったのだけれど、時既に遅し、こちらも家人の荷物で埋まり始めていた)の空いたスペースに書籍類の入ったダンボール15個前後を運び込んだり、整理したりしていたら、白々と夜も明けた・・・という次第。

朝の4時過ぎに風呂に入り、少し眠ろうか・・・と思って、整理(・・・といってもちょっとのぞいただけ)したダンボールの中から、10冊くらい抜き取って、コレから読もうとおもっていた書籍類を開く。

読んだ記憶の全く無いもの・・・。何度か読んだ本。
買ったのは覚えていて、読もう読もうと思っていたのに、ダンボールの中にしまわれて、陽の目を見なかった本・・・。

そんな本を読み出したら、朝の8時になっていて、私の時間の感覚は、多分、既に崩壊している。

このまま一日中起きていれば、よかったのだけれども、昼過ぎまで、眠ってしまった。

連休も残すところあと1日。
まともな社会人に戻れるのか・・・?私・・・。


昼夜逆転生活

2011-05-06 22:16:24 | Weblog
くもりがち。やや肌寒い。


この連休で、昼夜逆転してしまった。
昼間眠り、夜起きて、朝眠りにつく・・・といった会社員としては、やってはいけないパターンに陥ってしまった訳で。

朝の5時頃、眠りについて、丁度、昼頃目を覚まして、水分などを補給する。
目が覚めていれば、2時間前後読書をして、また夕方まで眠る。
夕方の6時頃、第一回目の食事(朝食にあたる)をして、アルコールなんかを飲んでしまうと、もういけない。2時間くらい眠り、夜の9時ごろ起きて、そのまま、朝になり、その間に、軽く食事(深夜の1時頃、第二回目の食事・・・ってことは、昼食)をして・・・、朝まで本を読んで、アタリが明るくなってくる4時半か5時頃眠る・・・というもう滅茶苦茶な日々が、3日間も続いている。

週明けが恐ろしい・・・といっても、まだ、4月度の決算会計が終わっていないから、ラストスパートだし、どうしても、会社へは、いかなくてはいけないので、このあたり、ナントカ正常な時間帯に戻すことをコレからしなければならないのは、ちと辛い。

夜中に起きていて、楽しいことは、とにかく静かに過ごせるということか・・・。
昼間は、なにやら慌しいし、私に来客はないのだけれど、家人を訪問するひとは、少なくない。

長い連休なので、仕事のことは、一切忘れたいのだけれど、イヤイヤやっているのも関わらず、私には、『この仕事』しかないみたいで、どうも、気になって仕方がない。
早く、足を洗いたいのは、ヤマヤマなのだけれど、この仕事がなくなったら、即、窮乏は目に見えているので、やめるにやめられない。

・・・一体、どうしたいの・・・???
と聞かれれば(誰も、聞いちゃくれないのだけれど)、仕事は、辞めたい。カネは欲しい。遊んで暮らせればそれに越したことはないのだけれど、この連休みたいにダラダラしていると罪悪感がある。
生活に困らなくても、仕事は、あったほうがいいし、できれば、ライフワークというのが欲しいが、ソレが見つからないから、現状のやりたくもない仕事をしている・・・。

ただ、それだけなのである。

命を賭けるなどと大事でなくてもいいから、少なくとも、コレをやっていれば、楽しい・・・という仕事をみつけたい。
・・・特に、コレといった才能も体力も精神力も持たない凡人以下の自分にとっては、贅沢な希望といえるかもしれない・・・。

夜中に起きていると、ロクなことをかんがえないようだ。


『港町純情オセロ』②~劇団☆新感線は、何処へいく・・・?

2011-05-05 22:55:21 | Weblog
くもりがちで、肌寒いような一日。


昨日の続き。
シェイクスピアとベケット・・・。
それは、演劇を志し、また演劇に携わるなら、たぶん、一度は、意識する・・・。
また、敢えてこの二人を見ないようにして、或いは、全く、気にも留めず・・・ということもあるかもしれない。
麻薬のような存在かもしれないし、ある種の通過儀礼かもしれない。

とりつかれると厄介な反面、追いかければ逃げる・・・。


無冠の帝王だった新感線といのうえひでのり氏だったが、21世紀に入るともう、彼らに追いつくことが難しくなった。
映像・ヴィジュアル・本家本元の歌舞伎俳優の起用。
新橋演舞場、日生、帝劇、新国立劇場と格調高い劇場と東宝・松竹とのコラボレーション。

新しい演出の試みもこの10年で、かなりいろいろと実験できたのではないかと思う。
そのたび、観客は、興奮し、感動し、その鬼才ぶりに目を見張った。
もちろん、その裏には、テクノロジーの進歩も見逃せない。
音声・画像・・・10年前とは、比較にもならないだろう。

そんな中で、10年一日の如く、古いシェイクスピアを上演し続ける演劇人もいる。

震災直後だけれど、
『蝋燭1本あれば、演劇はできる』
と言った演出家の方もいらした。

・・・どんな状況でも、演劇は、できる・・・。
感動を生むことは、演劇人のさだめだし、ただ、演じるだけなら、シロウトにだって可能だ。

しかし・・・。

『メタル・マクベス』の、『SHIROH』の・・・あの演劇と音楽のコラボレーションを知ってしまった観客にとって、『朧の森に棲む鬼』の、『吉原御免状』のあの凄まじいくらいの舞台を見てしまった観客にとって、もう後戻りは、できない・・・。

どうも、ここ数年・・・新感線は、低迷しているように思える。
はっきり言おうか・・・。
要するに、『つまらない』のである。

でも、他の演劇は、もっと『つまらない』。

このマンネリを新感線といのうえひでのり氏は、いつ打ち破ってくれるのだろうか?