鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

朝日のあたる家・The House of the Rising Sun・朝日しかあたらぬ家

2024-11-11 21:22:23 | Weblog

最高気温夏日に迫る24度。季節が、1か月程後退。

穏やかな晴れの一日。

 

予定では、8月末に完了するはず?だった新築中の隣家ではあるが、週に2、3度工事のひとが来て作業するくらいで、時が過ぎ、11月も半ばに突入。

ゆるく傾いた初冬の日差し中を浴びながら(ちょっと暑いくらい)、ベランダに出て、隣家の陽当たりなど観察してみる。

随分と思い切った設計だな・・・と思う(よそ様の御家なので余計なお世話だが・・・)。

敷地南側には(たぶん建築基準法が改正される前に建てられた家屋だと思うのだけれど)、三階建家屋。

つまり、日中の南側には、陽は、当たらない。

二階建てなので、採光は、東側一択ということだけれど、二階は、太陽が真南に達する正午前には、陽は翳る。そして一階は、午前10時半頃には、もう採光は断念せざるを得ない(つまり、拙宅が東側なので、邪魔している感じかも)。

太陽光を反射させてそのまま室内照明とする光ダクトなど設置しているのかもしれない?

自然に有るものを遮断するのは割と簡単だけれど、もともと無いものを持ってくるのは、大変。

南側全面を捨て(もともとあるはずのもの)、東側の僅かな隙間から、採光するといった思い切った設計ではあるな・・・と思ったり(でも、住んでみてどうなんだろう。家族構成にもよるけれど)。

 

旧居宅の二階部屋に寝起きしていたときは、北側と東側の二面採光だったけれど、夏場は、東側からの朝日が、午前10時くらいまで、差していた。北側の窓は、明かり取りだったけれど、あまり陽の差さない部屋だった。しかも唯一採光できる東側の窓は、遮光カーテンを閉めっぱなしにしていたので、殆ど陽の差さない部屋だったけれど、勤め人だった頃は、寝るだけの部屋だったから、ちょうどよかった。廊下を出た南側のフローリングの部屋は、日当たりがよかったけれど、樹木の関係で、午後になると陽が翳った。

タイトルの『朝日のあたる家(The House of the Rising Sun)』は、ニュー・オリンズの娼館の歌らしいけれど、新築の『朝日しかあたらぬ家???』は、たぶん?ほぼ完成・・・というか、完成まじかなのかも・・・???

 


冬始め/時雨/十日夜(2024)

2024-11-10 22:52:32 | Weblog

どんよりくもりがちな初冬の日曜日。

時折、小雨も?深夜になって、時雨れる。

パラパラと音を立てて降る初冬の雨。

本日、十日夜(とおかんや)。9月(十五夜)、10月(十三夜)と続いた秋のお月見の最終日。冬の始まり、冬支度。

 

鉛色の空は、初冬の色。

こんな初冬の曇りの日は、なんだかほっとするような・・・冬ごもりは、周囲と隔絶されるような?そんな感じが好きなのかも。

食べても、食べても・・・なんだか、食べ足りない気がする。

おなかは、いっぱいなのに、なんか・・・物足りない。

こういうときは、体調が悪くなる前触れだ。

首筋が痛い。

どんよりのくもり空だったから、昼前迄、眠ってしまった。

おなかがすいて、眠い。

冬眠前の熊にでもなったような・・・?

 


低血糖かも?

2024-11-09 23:47:27 | 健康・病気

穏やかな小春日和続く・・・。

朝方、冷え込む。

 

来月の冬至に向かい、太陽高度が低くなるにつれて、拙二階屋の一階は、午後3時には、もう日暮れくらいの暗さになっていく。

障子から僅かに入る西陽は、オレンジ色に染まって、冬の訪れを告げる。

二階は、二面採光で、東側、南側に窓があるので、終日、陽あたりがよくて、夏場は地獄だったけれど、冬は有難い。

短かった秋は、行き場をなくした9月と10月。

夏に占領されてしまった。

 

そして、今は、朝方は、0度近くまで、気温が下がって、脚の冷たさで、目が覚める。

これは、ゴースト血管で、毛細血管が死滅していて、血流が悪くなっているのが原因かと思っていたけれども、低血糖もあるんじゃないか・・・と。

大体、18時には、食事を終えるので、次の食事迄、14時間前後となる場合が多いせいかも???

夜間の空腹に耐えて、なるべく食べないようにしている。

明け方近くに、怖い夢をみたりするのは、血糖値の関係があるのでは・・・?というハナシを聞いた。

真偽は知らない。

就寝前に、蜂蜜をティースプーン1匙くらい食べると、身体によいらしい。これも真偽は知らない。

 

母が亡くなる2年くらい前から、就寝前の20時頃に、マヌカ蜂蜜を食べさせていた。塩化マグネシウム(にがり液)とともに。

夜の蜂蜜は、ボケ防止にいいらしい・・・と聞いたので。

母は、若いころから忘れっぽかったので、老人になったら、ボケるかも・・・なんてことを思っていたのだけれど、確かに、忘れっぽさには加速度はついたものの、幸いにも頭はシッカリしていて、認知症には、ならなかったので有難いことだった(最も、あと数年か存命していれば、認知症状が発症したかもしれない)。

蜂蜜で、朝方の脚の冷えは、解消しないと思うのだけれど、母と同じように、就寝前に蜂蜜を摂ろうかと思っている。

 


映画:十一人の賊軍

2024-11-08 21:22:52 | 演劇・映画

風もなく穏やかな初冬の晴天。

初霜・初氷観測。

明け方の冷え込みが厳しい。

 

一昨日(11月6日)。

映画『十一人の賊軍』を鑑賞。

先週は、会津に行き、戊辰戦争の激戦地を訪れた。

官軍(明治新政府軍)と旧幕府軍の間で、周辺諸藩を欺いて、官軍に寝返ることを画策する新発田藩家老・溝口内匠(阿部サダヲ)。

時間稼ぎのために、官軍足止め作戦を決行。

足止めの砦には、罪人十名。成功した暁には、無罪放免を約束されるも・・・。

そして罪人を束ねるのは、新発田藩の町道場を営む鷲尾兵士郎(仲野太賀)と家老の女婿入江数馬(野村周平)。

藩と領民を守るため、小を切り捨て、大を生かそうとする家老を演じる阿部サダヲの知略には、武士道はない。

生き残るために、怨恨を抱く新発田藩に捉えられた十人の罪人と鷲尾兵士郎が、最後に挑むのは・・・?

 

罪人のひとりである駕籠かきの政を演じるのは、山田孝之。そして、今、旬の仲野太賀のダブルキャスト。

生き抜いて、女房のもとへ帰りたい政。

義を重んじ、正義に生きようとする兵士郎は、真逆の動機。

その老獪な知恵で、幕府軍、官軍、そして罪人達を手玉にとる新発田藩家老。

三者の思惑が交差するなか、個性豊かな罪人達の生きざまを描く。

 

昨年公開の『リボルバーリリー』で、海軍・山本五十六役を演じてから、こういう役が多くなった家老役の阿部サダヲ。優柔不断で善良そうな外見と裏腹に、ブレることなく切り捨てていく様は、後に、一番大切なものを失うことになるのだけれど、一種の不気味さがあった。

若いころのピチピチと跳ね回る阿部サダヲを踏襲しているような仲野太賀が、光る。

残酷な描写が多いので、PG12の作品となった。

 

『侍タイムスリッパー』以降、なんだか、戊辰戦争に縁のある今日この頃。

 


立冬/四十五回目の月命日

2024-11-07 21:07:07 | Weblog

穏やかな立冬。朝方冷え込む。

毎月7日前後は、節入りが多くて、今月は、立冬。

暦のうえでは、冬で、晩秋ってことになるようだ。

夏がダラダラと続いていて、秋は、ほんの少しだけ。秋服って要らないのかも?出番も少ないし、秋服だけでは、寒すぎるし、朝晩は、コートが欲しいくらいで。

・・・で、節入り。

母が亡くなったのは、3月7日だったから、啓蟄の前。やはり季節の変わり目というか、少し暖かくなって油断していると・・・って、パターンも多いみたいで、朝晩、日中と温度差の激しい節入りあたりは、体調を崩しやすいのかもしれない。

 

朝、起きたら、ちょっと喉がヘンだった。

私は、風邪などに見舞われるときは、まず足先に来る(冷える)。

物理的に寒い日には、当然、冷えるのだけれど、普通じゃないような冷え方のときは、注意しているのだけれど、生来のめんどくさがり屋なので、足湯、脚湯などして、温めておけば、進行せずに済むのに・・・というパターンも多いし、そのあと、喉にくれば、だいたいアウトかも?

それでも、勤め人の頃とは違って、具合が悪ければ、ゆっくり寝ていれば、風邪も悪化せず。

忙しい現代人は、ちょこっとの不調をなかったことにしてしまうから、大体拗らせるんだね。まあ、仕事なんか、そう簡単に休むわけにはいかない職場も多いし、特に、真面目で、責任感の強い人程、自分が居なければ・・・って強迫観念で働いているので、身体も悪くなるような社会的構造なのかもしれない。

自分が居なくたって、太陽はのぼるし、地球は回るし、電気水道ガスは、料金滞納していなければ、ちゃんと使えるのだろうし・・・。

いざ、会社辞めますっていっても、よほどのスキルがない限り、かわりのひとは、掃いて捨てる程いるんだろうな。

勤め人は、会社(或いは社会?)に順応できるように、洗脳されているから、仕方がない。

たまに風邪ひいて、数日休めば、自分の価値がどれくらいなのか分かるかもしれないし、周囲に自分のありがたさを認識させるには、丁度いい機会なのもしれない。

まあ、前職のときは、その仕事をやっていたのが、私だけだったんで、休まれたら困るとか、入社する前にさんざん脅されたから、インフルエンザでも出社したけれど、今は、インフルエンザは、出勤停止だしな。

賃金と仕事が、こんなに釣り合わない会社で、周囲は、お気楽な書類配布くらいの仕事で、定時退社、ボーナス数カ月というとにかく恵まれた環境のひとばかりだったんで、やっかみたくなっても仕方ないこと。貧乏籤は、誰かが引かないといけないけれど、率先して引くこともなかったような気もする(今となっては)。

 

今日は、母の命日だし、来週には、しばらくぶりになるけれど、旧居住地の墓参でもしよう(・・・と毎月のように書いているけれど、車で1時間の距離は、案外、面倒になってきている。引っ越し前は、週に2回くらい旧居宅と引っ越し先である現居宅を行ったり来たりしていたのだけれど。ちょうど、ガソリン高騰で、それも大変だったけれど、現在は、月に一度の給油で、間に合うくらいになった)。

考えてみれば、先々月の兄の一周忌から、先週の父の命日など、亡くなったひとのことばかり、考えている。

母もそのひとりとなって、来年の命日には、もう4年も経つのか・・・と時の流れの早さにちょっと驚いている。

これから、生きる日数は、これまで生きてきた日数を超えることもないだろうし、寿命が尽きるのも、それほど遠くもないのかと考えると、もうそろそろ自由に生きてもいいのかも???

法事や親戚関係なんて、死んでしまえば亡くなってしまうのだから、もうどうでもいいのかも・・・なんて思えてきた。

 


34年前・・・の今日。

2024-11-04 23:54:34 | Weblog

朝方は気温10度を割込むものの日中は、爽やかな秋晴れ。

ついこの間迄、夏だったけれど・・・。

 

・・・34年前の今日。土砂降りの雨だった父の葬儀の日。

父は、63歳で亡くなったので、会社関係の参列者の方が多かった。

土砂降りの中の自宅での葬儀。

家の庭には、テントが張られ、兄が同じ会社に勤めていたこともあって、会社関係のひとが、一切を仕切ってくれていた。

葬儀の雨は、涙雨・・・というけれど、本当に涙を流したのは、姉と兄だけだったのではないか・・・と思っている。

私は、父には疎まれていたけれど、父の晩年、肺ガンと脳腫瘍へ転移、通院やら食事やら・・・父が一番、疎んじた娘が世話をしたのは、なんの皮肉だろうか。

父が一番かわいがった兄は、父が無くなって数年は、父が生きているような気がしていた・・・と言っていたけれど。そしてその兄も、父と同じ間質性肺炎から肺ガンになって去年亡くなった。

親子間、兄弟間でもやはり、相性というものがあるんだろうなと思う。

後妻に入った母が、義理の子供より、自分が生んだ娘(私)をネコっ可愛がりしたものだから、自分の先妻の子である姉と兄が、不憫だったようでそれで、その怒りを私に向けていた。その圏外に居たのは、同父母から生まれた弟で、父が年をとってから生まれた男の子だったから、兄に次いで、可愛がられていた。

あの日は、大雨だったな・・・今日は、晴れた・・・。

午後2時には、もう夕方のように陽が傾くのを障子越しに眺めながら、そんなことを考えた。

 

あれから34年も経っているのに、私は当時とちっとも変っていない。

そりゃあ、外見はすっかり老けたけれど。

今は、ガンになっても、昔ほど、不治の病という感じはしないし、姉は、大腸ガンを患ったけれど、たぶん・・・私より元気だ(と思う)。

母の私への偏愛によって、姉は、私のことが、大嫌いなんだろうし、実姉(私)よりも、異母姉と気があう愚弟とちょくちょく会っているところをみると、私の悪口で、盛大に盛り上がってんだろうなぁ・・・と思う。

まあ、別にいいけれど・・・。

父も母も・・・最期は、私が世話をしたんだけれどな。

母は、最期迄、自立してなんとか動けたし、認知症にもならずに、食事、薬、病院への送り迎えくらいで済んだのは、今となってはありがたかった。

父は・・・まだ63歳だったけれども、亡くなる直前は、もう100歳近い老人の風体になっていた。

脳腫瘍の手術をしてから、言動もおかしくなって、今思えば、認知症のような症状を呈していた(ような気がする)。

隣町の大学病院に、入退院を繰り返していて、退院して自宅にいるとき、母と私は、地獄だった。

入院できる期間が3カ月(だったと思う)で、3カ月たつと一度退院して、また数カ月後に、入院・・・といったパターンを繰り返していた。

父が入院しているときは、本当に天国だった。

父の退院が決まると、もう憂鬱で、気が変になりそうだった。

母と私だけが、父の介護の苦労をしているのに、姉・兄・弟は、全く関与していなかった。

同じ兄弟でも、何故、私だけに負荷が来るのか・・・納得できなかった。

でも、誰かが引かねばならない貧乏クジ。いつもそれを引かされる思いだ。

 

気に入らないことがあると、私にだけ

『さっさと家を出ていけ。』

といった暴言を吐き、ちょっと言い返すと、母に当たり散らす・・・毎日。毎日。毎日。

父の亡くなる前の数年間・・・本当に、地獄だった・・・。

私も私で、精神的に幼かった。サラリと受け流して、ご機嫌を取っていればよかったんだ・・・と今更ながらに思ったりもする。

けれども、人並み外れて臆病なエンパス気質の私には、なかなかできないことだった。メンタル面で、かなり追い詰められていたことは、間違いなかった・・・母も私も。

この父とそっくりなのが、愚弟で、それでもまあ、コイツは、嫁にはアタマが上がらず、逆らえないくらいの借り?があるようなので、まあいいか・・・もうどうでも。遠く(もないけれど、近くもないので)離れているのだから、お互い干渉しないのが一番いい方法なのだ。

もし父が生きていれば、今年で、97歳か・・・。

もう34年も経つのに、こんなこと書いているあたり・・・いつまでたっても、精神が成熟しないのだな。

(しょーもない愚痴ばかり。お目汚しで、申し訳ありません)

 


静かに暮らせるといいのに・・・。

2024-11-03 23:44:46 | Weblog

文化の日。晴れの特異日。

昨日の荒天から一転の秋晴れ。台風崩れの温帯低気圧の影響か、午前中は、強風。

11月だというのに、最高気温25度の夏日に迫る暑さ・・・。

まだ夏の居残り???

寒くないのはうれしいけれど・・・。

 

立冬迄、あと4日か・・・。

それでも、日中は、随分と過ごしやすい。

空気も乾いているし、年末に向けて、大掃除の下準備、冬支度には、よい時期かもしれない。

ここに引っ越ししてきて、間もなく1年になるけれども、そこかしこ・・・埃がたまっていたり、汚れが目立ってきたり。

この家で、浴室が一番陽当たりが良くて、カビが発生していないのは、有難い。

ずっと静かに暮らしていけたらいいのだけれど・・・。

 

近隣のリフォーム工事の予告?みたいなご挨拶の紙が、ポストに投函されていた。

また騒音か・・・と思うと、ウンザリする・・・(今年の6月から現在迄、地獄のような騒音だった)。

この家を買ったときには、例の流行り病の最中だったから、静かだったけれど(建築資材の高騰とか、半導体不足で、オオモノ家電の入荷が遅かったり、品不足だったりした)。

物価が上がり、これ以上、値上がりせぬうちに、マイホームの新築とか始めるひとも多いのかもしれない???

このへんは、ヒトも家も老朽化しているので、これから頻繁なんだろうなぁ・・・拙宅もそうだけれど、周辺の家は、もっと古いみたいだし・・・次は、ナナメ前のお宅3軒かも・・・とか???

古い住宅地だからなぁ・・・転居先の選択を間違ったのかも・・・???

 


父の命日/ゴジラ-1.0/猫の夢

2024-11-02 22:58:58 | Weblog

終日の雨の連休初日。

父35回目の命日。

35年前の今日・・・(たぶん金曜日だったような記憶がある)。

父とは、きちんと話をしたことが一度もなかったな・・・。ずいぶんと、希薄な親子関係だったように思う。

書けることもあまりない・・・というか・・・。

 

雨で暗かったから、お昼近くまで、眠ってしまった。

それから、午後になって、昨日の夜オンエアされた『ゴジラ-1.0』の録画を見た。

映画館で見るのとは、やはり違うかな。大きなスクリーンで見るとやはり感動も違うかな。

マイ坊(マイナス1.0なので、略称:マイゴジ?)恐い。熱線を放射するときに、セビレが、一個づつ水色に光るのが、怖い。

シンさん(シン・ゴジラの略称)は、成長によってカタチが変わって、カマタくんは、ちょっとキモかわいかったが、成体になると恐怖しかない・・・。

基本、ゴジラは、怖いもんだで。

マイ坊は、深海深く沈められも生きているみたいだし、シンさんは、東京駅の前で、凍結されているし。

次のゴジラは、どの監督さんが作るんだろう???

 

夕食にキャベツ焼(お好み焼のキャベツ増し増し)など拵え、レモンチューハイなど飲んだら、とたんに眠くなってしまった。

昔、家に居た三毛猫の夢をみた。

旧居宅に帰る夢。

父が亡くなる前に、私が住んでいた部屋(現在はリフォームして、浴室と洗面所になった)に来ていて、猫を現居住地の雷都へ連れて行けない・・・という夢であった。

雑木林や庭で自由きままに遊んでいた猫だから、雷都のこの家で、外に出さずに飼うのは難しいよな・・・などと、目が覚めてから、考えたりした。

猫は15年前に居なくなったのに、夢の中では、若い?ままの猫で、あの柔らかな毛皮を撫で撫でしていた。

雷都に来て、まもなく1年になろうというのに、母と猫の居た家に、帰りたい気がする。

でも、もうあの家には、私の居場所はないし、夢の中の今は存在しない部屋には、たくさんの遺物を残してきていて、それも、間もなく捨てられてしまうような状態だった。

あの遺物は、私の捨てられない記憶の山を具象化したモノだったんだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


霜月始まる/秋の会津若松へ・・・

2024-11-01 22:52:32 | Weblog

午前中は晴れていたけれど、午後になって、薄雲がひろがるも穏やかな小春日和の霜月初日。

宵になって雨降りだす。明日は台風崩れの温帯低気圧の移動で、大雨の予報。

 

やっと秋らしくなってきて(それでもまだ高温状態は続いているようで)、紅葉のたよりもちらほら・・・。

日光・中禅寺湖畔では、今見ごろだとか・・・。

今年の紅葉狩りは何処行きましょうかね?

 

相方、いきなり・・・。

『そうだ!会津へ行こう!』

ということになり、神無月最終日(10月31日)早朝から、会津へ。

高速道路を北上。お天気も、上々。

東北道から磐越道に入り、西へ・・・。

磐梯山が見えてきた。

 

会津市内に入ったのが、午前11時過ぎ。

郷土料理のわっぱ飯で、ランチ。なんだか、久々に由緒正しい日本の食事をした気がした。

鮭・カニ・玉子焼き・山菜の乗った蒸したご飯。美味しい・・・。冷たいお蕎麦もついていた。長ネギ1本まるごと薬味。ネギ高いのに・・・。

食事のあとは、周辺を探索。

この割烹にたどり着く迄、狭い路地を曲がって、曲がって・・・ナビの指示通り、曲がって、曲がって・・・。

そう・・・ここは、城下町。鶴ヶ城を目の当たりにして、迷路のような狭いクランクで、外敵の侵入を防いている城下町。

途中で、和菓子と餡ドーナッツを購入。

次は、鶴ヶ城。

平日だというのに、観光客でいっぱい。

公孫樹(いちょう)の黄葉が始まっているけれど、やはり今年の夏の暑さなのか・・・楓は、まだ濃い緑色であった。

市街地を離れて、山裾に向かう。

白虎隊自刃の地である飯盛山へ。

当初の目的は、螺旋構造の『さざえ堂』を見るためだったのだけれど、飯盛山の中腹にあることを、行ってから知る・・・。

遠く猪苗代湖から引いている豊かな水量の疎水の音など聞きながら・・・。

階段を上って、『さざえ堂』へ。

山の中腹は、幾分、山もみじの葉が、赤く色付いていた。

さざえ堂から続く山の路を上って、飯盛山白虎隊の墓標へ。

今でいう中学生から高校生の少年達が、自刃したのは、戊辰戦争。今の世をみたら、どう思うのだろう。

そういえば・・・映画『侍タイムスリッパー』の高坂新左衛門は、かの誇り高き会津藩士であったなぁ・・・。官軍となった長州藩士と対決中に、落雷にあって、現代へ飛ばされたのだった・・・。

山道を登り降りし、疲れ果てて、駐車場へ。

パークした車の中、会津若松市内で仕入れた甘味で、休憩。

時刻は、既に16時を回っていて、秋の日のつるべ落とし、もう夕方の色一色に・・・。盆地の夕暮れはさらに早い・・・。

まだまだ見てみたい城下町、武家屋敷。

会津はどのお店のひとも、穏やかで、温かい対応をしてくれた。東北のひとは、温かく義理堅いと、母がよく言っていた。

 

往復400キロ爆走?の会津路。

 

 

 

往路を戻りつつ、再びの高速道路。

東に戻り、ひたすら南下して、雷都に戻る・・・。

 

紅葉は殆ど見られなかった会津の秋景色。

あと1週間もすれば、短い秋とそして・・・東北の長い冬の訪れが・・・。