さくらの日々是好日

余命半年から生還♪今年21年目の【金つなぎ勝ち抜きRoad】を走り続ける、多重がん患者の病老の日々や患者会活動をご紹介!

♪明日は、 亡き母の椿模様の帯を締めて、 『雪椿』を踊らせていただく

2014年12月13日 23時43分32秒 | さくら的非日常の日々
12月13日(土) 晴

風の冷たい午後、ご近所の渡邊さんちに行き、踊りのおさらいをご一緒させていただく。

明日の比奈知小学校での催しに、さくらは『雪椿』を踊らせていただくことになっているのだ。

先週、衣装合わせの折に、さくらが4歳の折りに逝ってしまわれた母の形見の帯が、ちょうど良いというので、師匠のお許しを得てこの帯を使うことになった。

母・壽亀(としき)は明治38年生まれ。 生きておられたら今年109歳だ。
末っ子のさくらまでに三男六女を産み、うち夭折された兄姉を除く二男四女を育て、私が4歳の夏に京都大学医学部付属病院で、わずか40年のまことに短い生を終えられた。

これに先立つ、昭和19年12月7日の午後、私の家族は(おそらく一族であったと思うけれど)、お別れのために幼い私も連れて京大病院に母を見舞い、そして、昭和東南海地震(しょうわとうなんかいじしん)に見舞われたという。

午後1時36分、紀伊半島東部の熊野灘を震源とするM7,9のプレート境界型巨大地震二遭遇した私の一族は、京都から三重・松阪を目指して、徒歩で!!、移動することになったそうだ。

「こわいよ、こわいよ~」と泣きながら鉄橋を渡っている自分、「下を見るから怖いの! 前を向いて歩きなさい」と叱られている自分。 
夜に、どこかの家の座敷で雑魚寝をさせてもらっている自分。

おぼろげな記憶は甦るけれど、そして誰かが、幼い私の手を引いてくれていたはずだけれど、それらは記憶の中には、ない。

京大病院での私の記憶の中には、誰かに抱かれて母に面会し、白衣の異様さやベッドに寝ている母の姿にただならぬものを感じてか、大泣きに泣いて母に抱かれるのを拒んだことしか残っていない。

半年後に40歳で逝くことになる母は、そんな末娘の姿にどれほど寂しさを感じ不憫さを覚えたであろうか。

肺結核と聞かされ、自宅で吸入器を使って蒸気を吸っていた母の姿もおぼろげに残ってはいるけれど、たぶん、肺がんであったのではないか、と思う。

その母が締めておられた椿模様の華やかな帯で明日、妙子ねえさんが「あんたの歌よ」と歌ってくれた、小林幸子さんの名歌を舞わせていただく。

…それにしてもこの帯、90年前の帯なんだなぁ、と転た感懐!


          

長男一家を招いて、3日がかりのビーフシチューを振舞っているところに、仕事帰りの雪ちゃんから電話が入ったものだから、「美味しく出来たの、途中で寄っていかない?」

「は~い♪ お土産にシャトレーゼのスィーツですぅ」って。

乳がんの予後を、介護士という専門職で意欲的に働いておられる、雪ちゃんの「夜食に…」と思っただけなのだから、氣を使っていただかなくても良かったのに!

…でも、ありがとうございますぅ。


           

雪ちゃんのお土産は、フルーツ・ロールケーキ♪
さっそくブルーベリー・ティーでいただきました。

今夜のイチオシ、美味しかったぁ♪


            

もうひとつのイチオシ(?)は、キュービック・チーズ。
節子理事にお願いして、買ってきていただいたの。

「じゃじゃ~ん!」と出してやったのに、ゆきにもはるにも、「あ、これ。 知ってる!」とあっさりイナされて、がっくし。

「でも、おいしい♪」と言ってもらって(言わせて?)、満足。

かくて週末の夜は、楽しく更けた。





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1 コメント

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90年前の母様の帯 (るみ子)
2014-12-14 16:05:55
さくら様こんにちは。
一度踊りを拝見いたしたく思いますが、埼玉と三重は遠いのですね。今日は艶やかな舞い姿を想像しています。
日々お忙しいですね。
くれぐれもお身お大切になされてくださいませ。
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