8月1日(日) 晴
姪婿さんのご逝去を知ったのは、先月の半ばであった。
コロナ禍の中、「病院でコロナをもらうのもイヤだし…」とのことで、膝や腰の痛みを整骨院でごまかしておられたものの、体調不良が我慢できなくなり近くの病院を受診したら肺がんの末期を告げられ、わずか20日の入院生活で見送る仕儀になった、と。
姪婿さんは、逝かれた実家の次姉・恭子姉さまの長女・由美子さんの夫君である。
朗らかで優しくて甘えん坊な働き者。
お会いするたびに、大きな体で「光子おばちゃ~ん、」と呼び掛けてくれたお声が、今も耳元に甦る。
仕事に厳しい恭子姉さまに鍛え上げられ、「風邪を引いても怪我をしても、『あんたの不注意が原因よ』と叱られ、それでも仕事は休めないし、・・・なら黙って仕事しよう」という婿ドノであった、と。
「そんな『職人の家庭』で育ったから、私が自転車で転んで前歯が折れ、顎に怪我をした日も、上唇を巻き込んで無い歯を隠し、傷はシャツで顎を隠して、『痛い』って言わなかったわ」。
娘のこずえさんが祖母と母の厳しい躾ぶりを、思い出し笑いしながら明かしてくれた。
亡姉は、仕事にはまことに厳しい人であったが、平素は子供や孫、従業員や周囲の皆さまに『惜しみなく与える』ひとであった。
私は、抗がん闘病中に毎回1週間、名古屋からホテルを取って看病に通ってくださったこの姉への恩義を、死ぬまでに到底返し尽くせない。
この恩義を、がんや難病の皆さまに少しでも喜んでいただけたら、次の世で亡姉に少しは褒めてもらえるだろうか、と思いながら生きている。
悲しみのあまり、葬儀は家族だけで執り行い、今日やっと四十九日法要で思い出話に、在りし日の婿ドノを偲ぶことが出来た。
20人余りの親族に惜しまれ見送られ、彼は初盆に向け死出の旅路に向かわれた。
夫を見送った30年前、私は、仏教のこの、七日ごとの法要、初盆、百か日、一周忌など、次々に故人を見送る【法要の救いの意味】に氣づき、大いに心が慰められ、悲しみの極致から立ち直っていく自分を見つけられたのであった。
夫の逝去から3年かかりはしたけれど。
帰りの近鉄特急は、日曜にもかかわらず車内にはお一人の乗客のみ。
電鉄会社や航空、バス、ホテルなど、観光業界の皆さまの苦境に思いを致し、暗澹とする。
一部を除き罪なき飲食業界の皆さまも、【出歩く不健康な人々(主に20代、30代の人たち)】の被害者であることを正しく伝え、政治の迷走ぶりが国の経済を傷めつけていることにも強く懸念を表し、今や新型コロナの正しい情報を知った上で、【ウイルスとの共存時代】に向かって、面舵いっぱいに切るときであろうと提言しておきたい。
専門家会議の人たち。新型コロナの今わかる限りの姿を国民各位に報せ、政治家は、「新型コロナウイルス、感染してもほとんどの罹患者は治るのですから、恐れず慌てず、治ってこの風邪様症候群への免疫力をつけましょう! なおまた、感染しない強い体づくりと、感染しても【逃げない、めげない、へこたれない強い心】で、治りましょう‼」と言うべきではないのか?
不肖金つなぎの会は、そのようにして国内外の1623人のどなたからも感染の報告を聞いていない。(京都府立大学付属病院で感染なされた退会者1人を除く)
帰宅したら、友人から葡萄とお菓子をいただいた。
「いつも、いろいろありがとうございます」と。
「私こそ、仲良くしていただいて、感謝ですぅ」。
さわだ一休庵の「鮎」。
中に包まれた求肥が大好きなので、早速頂戴して、心と体が喜んだ。
ありがとうございます!
>一部を除き罪なき飲食業界の皆さま・・・
このことに深く思いを致すことなく、魔女狩りのような政治の軽々の施策には、怒りあるのみ。
広野女史の益々のご活躍を祈念する盛夏です。
その後も、ご健勝の日々とお喜び申し上げます。
>魔女狩りのような政治の軽々の施策…
まことに、その通りでございます。
ほんとうに、日本を托することのできる、志の高い政治家は、奈辺にありや?
今後とも、どうぞよろしくご教示くださいますよう、お願い申し上げます。