9月11日(水) 晴
銀鱗光る秋刀魚を買い求め、庭の花柚子の青い実をもいで、夕ご飯の一皿にした。
自分に似て痩せっぽちの、油のいささかも乗っていない秋刀魚を食しながら、心の中を、佐藤春夫『秋刀魚の歌』が流れていく。
あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝へてよ
男ありて
今日の夕餉(ゆふげ)に ひとり
さんまを食(くら)ひて
思ひにふける と。
さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
青き蜜柑の酸は、青柚子の酸に他ならない。
未だ、滴るほどの果汁が無いので、皮と実をもろともおろし金ですりおろした。
濃い緑の皮と、淡い黄色の果肉がないまぜになって、爽やかな香りを際立たせる。目で、鼻腔で、青魚にしては淡泊な味わいの秋刀魚を愛でる。
初秋ならでは、の楽しみだ。
昨年、高校時代の友人がたと有馬温泉に遊び、芦屋の谷崎潤一郎記念館 に足を延ばした。 小ぢんまりした和風建築に、植栽と水を組み合わせた庭の風情も似合って、心落ち着く記念館であった。
文豪・谷崎潤一郎の自筆原稿や書簡、愛用品などを展示しており、「秋刀魚の歌」で世上に知られた谷崎潤一郎の最初の妻・千代夫人めぐる谷崎と春夫の確執から和解のドラマもうかがえて興味深かった。
この三つ巴の関係をモデルに書かれた『蓼喰ふ虫』に、「女というものは神であるか玩具であるかのいずれかである」という表現がでてくるけれど、主人公斯波要が吐露したこの心境は、まさに谷崎の女性観であり、好きになれなかった最初の妻・千代を和田六郎(後に推理小説作家・大坪砂男)に譲る話があったり、春夫との間に「細君譲渡事件」と呼ばれるスキャンダルを起こしたり…の底流に流れている、と言っていい。
瀬戸内寂聴はこの間の経緯を『つれなかりせばなかなかに』で、綿密に描写しておられ、興味深く読んだことを思い返す。
秋の味・秋刀魚から思わず筆が走った。
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