我が家のアジサイも花が咲きはじめた。街で見かけるアジサイは既に満開のものもある。今日は暑さが戻り日照りも厳しい。アジサイや花ショウブのような青色の花は、快晴よりも雨降りか曇り空の方が似合っている。私はブルーのアジサイが一番美しいと思うけれど、この頃の花屋の店先にはいろんな色のいろんな形のものが並んでいる。
アジサイの花言葉は移り気。植えられた土地によって、花の色が変わるからだ。「あなたはアジサイのように変わってしまったけれど、それでも私はあなたのことを愛しています」。そんな詩を読んだことがある。アジサイに責任があるのではなく、「移り気」なのは人間なのだ。「変わらない愛」を貫いた人がどれほどいるのだろう。
昨夜、テレビをつけたらアメリカ映画『プラダを着た悪魔』を放映していた。悪魔とは世界的に有名ファッション雑誌の編集長を指していて、メリル・ストリーヴが演じていた。プラダって何か?と思ったら、イタリアを代表する高級ファツションブランドだという。確かにこの映画では、ルイヴィトン、エルメス、グッチ、シャネルなどの高級ブランドが出てくるし、「女の子の憧れよ」というセリフも多い。
ファッションの流行は創られるものであることは誰もが知るところだけれど、そうかこんな風にファッション雑誌によって創られるのかと知った。それにしても、いくらカリスマ編集長でもこれでは「鬼」だ。アメリカのホワイトカラーは日本人よりも場合によってはよく働くと聞かされたけれど、「公」と「私」の区別もないほどこき使う。編集長の娘の面倒から犬の世話まで、どうしてこんなことが編集スタッフの仕事なのかと思った。
メルリ・ストリーヴの悪魔ぶりは、見ている私の方が腹立ってくる。私の仕えた上司にもこういう女性がいた。駅に迎えに行く時も、指定された時間と場所にいないと爆発した。そこは「駐車禁止なので長くは止められない」と言っても全く耳を貸さなかった。メリルさんを初めて見たのは『クレイマー・クレイマー』だった。次に見た『マディソン郡の橋』では、中年女性の儚い恋を見事に演じていた。マーガレット・サッチャー首相を描いた『鉄の女の涙』はぜひ見たいと思っている。
弱肉強食の業界で生き残り、権力を維持するためには、単なる才能だけでは不足で、非情と策略を巡らす頭が必要だ。鬼編集長が君臨できるのも彼女のセンスとともに、出てくる杭を打ち、強い者は抱きこむ、その能力である。資本主義の中では、ファッションという華やかな世界も同じ構図であることを映画は見せてくれた。アジサイの変化のように。