昨日に引き続き、タイルを敷き詰め、ポンプを据付けて完成の予定だった。ところがポンプを見ると一番肝心のピストンに貼り付けてある革が破れかかっている。昨日も書いたけれど、インドネシア製なので、部品を取り寄せることは難しい。そこで知り合いのカバン屋さんに行き、革を分けてもらい、取り付けてみた。何とか水を汲み上げるけれど、まだ充分に馴染まないのか、しばらくすると水が抜けてしまう。
そんな訳で、今日の完成は見送りとなった。明日は雨降りになりそうだから、完成はまだ先になるだろう。1つのことが狂うと、「まあいいや、次はうまくいくさ」と受け止める人と、「せっかくここまでやったのだから、すぐにやり直そう」と積極的な人といる。予定通りいかなかった原因についても、「だからそれじゃーダメだと言ったのに」と非難する人、「原因はともかく、もう一度原点に戻ってやろう」と追及を避ける人もいる。
おおむね、失敗の原因は慎重さに欠けたことにある。長年の経験に頼って、「これでいいか」と確かめる作業を疎かにしたためだ。原因は作業に関わる者なら誰もが分かるけれど、意外に人は違うところを見ているので、そうか幾つもの要因が複合しているのかと思った。問題はその次で、みんなの気持ちが1つになって、やり直せるかである。確かにすぐに取り掛かった方がよいのかも知れないが、暑さのこともあり、無理やりにやるよりもしばらく時間を空けた方が、冷静な気持ちで集中できると思う。
職責にある人、技量に優れている人、人は誰もそういう自分をキチンと評価して欲しいものだ。会長や社長や職人は一目置かれなくてはならないのに、それを無視されたり軽く扱われたりすると、ムッとなる人もいる。本当に優れた人なら、その能力を発揮すれば当然人々は高く評価するから、笑っていればいい。けれども、ムッとするばかりか怒りだす人もいるから困ったものだ。愛国心と似ている。人は素晴しいと思えばその気持ちを表す。敬意を払えと言われても、それはただの形だけになる。