友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

目的を見失う

2014年04月18日 17時57分39秒 | Weblog

 同じことを繰り返していると、何のためにしていたのか分からなくなることがある。先日も男女共同参画の事業で、自治体が提携している海の自治体と山の自治体から、業者の鮮魚や山菜の屋台が好評だった。また、麺遊会がうどんの無料サービスを行ない長い列が出来た。いずれも、人集めのためにわざわざお願いしたものだが、男女共同参画とどういうつながりがあるのかと不思議に思う。

 カンボジアの子どもたちを支援する活動をしている人の話を聞いた。日本で発行されている絵本にカンボジア語を貼り付け、現地に持って行き、使い方を教えるところまで行なっていると言う。絵本にカンボジアの言葉を貼り付ける作業を近くの小学校の子どもたちと一緒に行なうのも、国際理解として取り組んできた。ところが長く続けていると、作業が目的になってしまいこれでいいのかと考える時があると言う。

 40年前に保育園の保護者の代表として集まった8人の会が今も続いていると聞いた。はじめは各園でそれぞれが抱えた問題をどのように解決していくかが集まりの中心だった。それが子どもたちが卒業すると、母親同士のつながりだけとなり、今ではオールド女子会となった。長く続いてきたのは目的がなく、世話をするマメな人がいたからに他ならない。日取りや会場を決め、連絡をすることを嫌に思わない人がいたからだ。

 議会改革や地方から政治を変えることを目指した志の高い人たちも、何年も同じことを繰り返していると、マンネリ化がやってくる。何がしたくて集まっているのか、初心を忘れるようになる。選挙で議員に当選した人も、当選回数を重ねると何がしたいのかよりもただ当選するだけが目的になってしまう。仕事や会社や家庭は、生活があるから辞めることは出来ないので、工夫を凝らす必要があるが、首長や議員は3期を目途に交代する決断が要ると思う。

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