午前中に友だちの家に、『菜食主義者』を持って行って来た。友だち夫婦は松山の出身で、女友だちは自宅で月2回句会を開いている。昨日の『プレバト』を観ていた時、カミさんが「私は身体と話して、ワインを飲んでいるから」と2杯目を飲み干す。
そこで一句、「春の宵 身体と話す ワインかな」を添削してもらった。「身体と話すの意味が分からないわね」と、夏井先生のように手厳しい。「添削された句よりも、元の句の方がいいと思う時もあって、もう、プレバトは観ていないのよ」とも話す。
私はノーベル文学賞の受賞で話題となり、書店に並んだ『すての白いものたちの』を読んで、この作家の以前の作品を読みたいと『菜食主義者』を借りて来た話をする。俳句や短歌の話で盛り上がり、もうひとつ話がしたかったことを忘れてしまった。
それは昨夜、観たドラマのことで、山田洋次と石井ふく子による特別企画『わが家は楽し』である。かつて映画やドラマで話題を独占したふたりが、どんな作品を作ったのかと興味があったのだが、知的レベルの高いこの夫婦は娯楽ドラマを観ていないかも知れないという気がしたからだ。
『わが家は楽し』は、夫が定年退職を迎えた家庭の物語で、妻は古民家を借りて友だちと、書籍が並べ、本を読みながらコーヒーが飲める喫茶店を開きたいと夢を語る。夫は「素人に何が出来る」と、全く取り合わない。失望した妻は離婚を決意する。
夫は妻の思いが理解できず、酒を浴びるように飲む日々が続く。けれど、区役所による場面があったから、これはきっと離婚届だと思った。夫は妻に、無理解を詫び、離婚届を渡す。妻はこれを破り捨てる。思った通りのハッピーエンドだ。
でも、現実はそんな簡単なものではないかも知れない。愛し合えば、互いのことは何でもわかると私も思っていたが、結婚して60年近くになろうとするのに、理解出来ていないことばかりだ。
『菜食主義者』も『ミーツ・ザ・ワールド』も、理解出来ないから理解しようとするのが人なのだと教えてくれた。純愛などという言葉は、この世に存在しないのだ。でも、その錯覚の中で生きてきたことは幸せだったと思う。
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