4月から中2になる孫娘と、大型ショッピングセンターで待ち合わせをする。何か買って欲しい物があるのだろう。私には密かに、進級祝いとして用意した物がある。先日、廊下に張り出された孫娘の詩とイラストを見せてもらって、余りに字が下手なのに驚いたから。
上手な字を書かせるためにはどうしたらよいかと考えた時、字を書いていないことに気が付いた。見ているものはスマホばかりで、文字を書く機会は学校でノートに写す時しかない。文字を書くことに慣れていないのに、上手に書きなさいと言っても無理だ。
それなら毎日、文字を書くことを癖にすればいい。そうだ、日記を書かせようと思った。縦書きで余り文字数を多く書かなくてもよいが、けれどいかにも重厚な日記帳を探し求めて買ってきた。思った以上に高かったが、それで孫娘が書く気になってくれればいい。
日記帳は準備できたが、書く道具は鉛筆ではなく、万年筆でなくてはならない。私が昔、使っていたパイロット万年筆を用意した。私は今も、手紙は万年筆で書いている。長女がプレゼントしてくれたセーラー万年筆だ。パイロットは細字用だが、セーラーは太字用だ。
そう言えば、私も中学生になった時、父から分厚い日記帳と万年筆を与えられた。いつしか日記帳は、厚手の5B版の大学ノートに代わったが、長い間書き続けて来た。ある時、もう日記を書くのは止めようと思い、新進気鋭の作家の下に送った。
ただ、その作家が新聞に、「日記とか作品とかを送ってくる人がいて困る」と書いていたので、私の60年間の日記はきっと焼却炉行きだったのだろう。しかし、自分の日記は手元に無いのに、父の日記やノートは処分出来ずに持っている。
父の日記は子どもや孫に読まれても構わないが、自分の日記は読まれたくないからだろう。日記は日々の出来事や想いを綴っている。こんな人だったのかと、薄々分かっていたとしても、やっぱり蔑まれるのが怖いからだ。