朝日新聞の土曜版に『悩みのるつぼ』という人生相談のコーナーがある。「幼なじみが急逝し、これから生きていくための頼りを失ったような、そんな喪失感、絶望感に襲われています。自分がくよくよしていては、彼が幸せになれないではないか」
そして、「彼ならどう考えて自分に話したかを考えながらいきていきたい」「こうした思いを持つことは、彼にとってよくないことなのか、教えていただきたい」とあった。相談者は30代で,中学から大学院まで同じで、部活もサークルも一緒だった「言葉を交わさなくても気持ちが分かる親友」が急に死んでしまったという。
相談者は親友の死後の幸せを願っている。私の中学からの友だちがブログで求めていた「親友」とは、こうした人なのかと思った。彼が父親の入院のため、大学を中退して働く場所を求めた時、同級生が兄の経営する会社へ誘った。けれども私は何も知らなかった。
回答者の姜尚中氏は「自分が受けるはずの苦難を、親友は自ら代わって引き受けてくれた」と考え、「あなたが家庭を持ち、子どもが出来たら、親友のことを話して聞かせてあげて。そうすれば、親友の記憶は世代を超えていきていく」と説く。えっ、姜氏はこんなに観念的な人なのかとビックリした。
私の中1の孫娘は、「人の心の中など分かりっこない」と言う。私もそう思うが、だから言葉を通して分かろうと努力することは大切だと思っている。「言葉を交わさなくても気持ちが分かる」ほど仲良しだったというのは表現で、実際は多くの言葉が飛び交っていたはずだ。
それにしても姜氏の「子どもが出来たら、親友のことを話してあげて、記憶が世代を超えていきていく」に私は同意できない。子どもには子どもの人生がある、父親の体験の1つとして話すことはあっても押し付けてはならないと思う。
相談者もいつか、年月を重ねていけば、目の前の雑事に追われ、親友のことも忘れてしまうだろう。人生はそんなものだから、忘れたことに罪悪感を覚えることはないが、思い出して懐かしむこともあるはずだ。死後の世界など誰も知らないから。