朝から夕方5時まで、ルーフバルコニーで作業を続けた。明日は天候が崩れるとの予報だったので、どうしても今日中に片づけておきたかった。チューリップが植えてあった10鉢をブルーシートの上にひっくり返し、球根を取り出し、残った根を拾い上げて、土を袋に詰める単純な作業だが、足腰が痛くてどうにもならない。
ついでの時にとか、中途半端でもいいとか、なかなか割り切れない。計画したことは最後までやり切りたい性格のようだ。だから無理な計画は立てない。自分の出来る範囲で、自分が好きなように、やることが自分に合っている。細かな単純な作業は好きだが、賭け事は性に合わない。
ルーフバルコニーで作業をしていると、隣りの小学校の運動場から子どもたちの声が聞こえてくる。ボール遊びでも鬼ごっこでも、必ず大声で指示する子がいる。女の子でも大きな声で名前を呼び、指示している子がいる。私は学級委員だったのに、大きな声が出せなくて、先生から「もっと大きな声で」と言われていた。
小5の、あのストライキ事件が私を大きく変えた。ストライキは計画されたものではなく、全く偶発だった。朝、いつものように学校の池で遊んでいた。授業開始のサイレン(鐘だったか?)が鳴った。誰かが「今日はストライキだ」と叫んだ。一斉に学校の隣にある公園へ走った。けれど、何人かは残った。
移動するたびに何人かが学校へ戻って行った。私は何も考えもせず、みんなと行動を共にした。みんなで決めたというのが私の行動の指針だった。なぜ、ストライキをしたのか、誰がリーダーだったのか、よく分からないまま月日が流れた。当時、工場ではストライキが繰り返されていた。
今では、何となくだが、若い女性教師への関心がストライキに替ったような気がする。先生の白いブラウスがとても気になった。母親には無い「女」を、思春期の坊やたちが感じていたような気がする。
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