友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

悔しいというか情けないというか

2011年10月14日 21時08分31秒 | Weblog
 悔しいというか情けないというか、そんな時がある。雨が降りそうだったけれど、まだ大丈夫だろうと傘を持たずに出て、しばらくすると雨が降り出してきた。降りそうだと思ったのに、どうして傘を置いて来てしまったのかと悔やむ。大事な物を落としてしまった時もそうだ。気に入っていて、ずっと使ってきた大切な物なのに、ふとした弾みでどこかに落としてしまったり、忘れてきてしまったりすることがある。あれだけいつも注意していたのに、その時に限ってどこか上の空だったりすることがある。絶対に無くしたくないものだったのに、何かの拍子で失ってしまうこともある。自分の不注意から生まれた時は悔しいよりも情けなくなる。

 11月3日の大和塾のポスターをマンションの掲示板に貼らせて欲しいと、自治会長さんにお願いした。「10日前からでは遅いので、少し早いかも知れませんが、12日の水曜日から貼ってもいいですか」と願い出たものだ。自治会長は「いいですよ。私から管理事務所にそう言っておきます」と言ってくれた。それで、私は12日の午前中に管理事務所で許可の印を押してもらい、職員の方の迷惑を考えて、自分で9枚のポスターを貼って回った。ところが翌日である昨日、全てのポスターが剥がしてある。ビックリして管理事務所へ出かけると、「早いので剥がしたが、来週にはまた貼ります」と言われる。役所は融通が利かないところだけれど、我がマンションはもっと融通が利かないのかと愕然とした。

 雨風などの自然のことであれば我慢もできる。自分の失態であれば悔しくて情けなくて涙が出てしまう。けれどもこれはどう思って納得したらよいのかと怒りがこみ上げて来た。しかし、「そうですか、ワカリマシタ」と事務所を出た。これ以上居ることは出来なかった。考えてみれば、会長に頼んで、早めに貼るというのは権力の乱用である。そう思ってはみたが、そもそも掲示板に貼ることになぜ制限を設けるのだろう。無制限にしたなら、グチャグチャになって汚くなると言うだろうが、実際にそんな場面など見たことが無い。なるであろうという推測から、何日前からしかダメだと決めているだけのことだから。

 私が知る限りでは、このマンションに掲示されるもので目に余るものはなかった。掲示板に貼れなくて隣りの壁に貼ることも許しているくらいだ。他所の人が来て貼るわけではなく、管理事務所が許可したものだけを職員が貼っている。情報はできる限り制限せずに伝えることが良いと私は思っている。それで誰が困るというのだろう。管理事務所の職員に貼らせるのではなく、掲示したい人が自分で貼り、期限が来れば自分で剥がすようにすればよいではないだろうか。自分たちで自分たちの情報量を制限してしまうやり方に私は納得できない。誰もが自由に掲示でき、それを受け入れるか否かは個人が判断する、それが大切なことだと思う。

 悔しいというか情けないというか、それを悲しいと思うのは我がままなことなのだろうか。
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