友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

そういう宗教に巡り合いたい

2023年09月05日 17時16分30秒 | Weblog

 YAHOOニュースに、京都アニメ放火殺人事件の初公判が始まったこと、被告が「事件当初はこうするしかないと思ったが、こんなにたくさんの人が亡くなるとは思わなかった」と述べているとあった。

 被告は明らかに殺す意志を持っていたようだ。最近、どうして?と思う不可解な事件が多い。「殺したいから殺した」などと、命を何とも思わないのはどうしてなのだろう。私は子どもの頃、坊主の話を聞くのが好きだった。

 中学生になって、キリスト教の教会に通うようになった。命は神から与えられたもの、人を殺してはならないし、自ら断つことも許されないと教えられた。なのに、キリスト教国のアメリカはベトナム人を殺すのかと、アメリカ人の牧師に訊いた。

 牧師は私に、将来は牧師になりなさいと勧めた人だったのに、答えてくれなかった。キリストはこんなに素晴らしいことを説いているのに、どこでどう間違ったのだろう。問題になっている「統一教会」も、朝鮮半島で生まれたキリスト教である。サリン事件を起こしたオウム真理教は、仏教の流れを汲む派でもある。

 創価学会も創成期の頃は、古い仏壇は燃やしてしまえと迫った。私は宗教を否定する気持ちは無いが、教えは時々常識から逸脱する。それは間違っているのではないかと、信者同士で検証が出来ないのだろうか。

 関東大震災の後、たくさんの朝鮮人が日本人の手で殺された。小説家でさえ、縁の下に隠れていた朝鮮人を引きずり出して殴っている。けれども、逃げて来た朝鮮人を家の中にかくまった人もいる。太平洋の島で、米軍に追われた日本兵を助けた少女もいる。

 どんな狂乱状態の中でも、人の命を大切にすることの出来る人になりたい。朝鮮人をかくまった日本人や、日本兵を助けた島の少女のような判断の出来る人になりたい。そうすれば、絶対に戦争はしないし、人殺しもしないだろう。

 そういう心を育てるのは宗教だと思うけど、そういう宗教に巡り合いたいと思う。


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1 コメント

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Unknown (愛工元少年Architecture)
2023-09-05 23:54:12
 ブログの主旨とは少し違うかと思いますが、他宗教同士地道に活動されているところもあります。宗旨は違えどもカルトではないのでお互いリスペクトされているのでしょう。

https://www.tokyo−np.co.jp/article/274855

東京新聞(9月5日付)掲載↓

 日雇い労働者の街として知られる東京・山谷に、十字架を胸に抱く観音像がある。仏教とキリスト教のいずれの信仰も受け止めるその像は、なぜこの場所に作られたのか。観音像を置く浄土宗光照院(台東区)を訪ねた。
 強い日差しがそそぐ中、「あさくさ山谷光潤(こうじゅん)観音菩薩(ぼさつ)」は墓地の中央で静かにほほ笑みをたたえていた。二つの十字架が連なった首飾りを身に着け、優しく語りかけるように左の手のひらをこちらに向けてわずかに丸めている。向き合って見つめていると、心が穏やかになるのが分かった。
 住職の吉水岳彦(がくげん)さん(44)は「仏の慈悲と神の愛が融和するように、首飾りには(仏教と関わりの深い)菩提(ぼだい)樹の実と、十字架が交互に並んでいます」と説明し、「仏は異なる信仰の者も決して見放しません」と静かに話す。「それぞれの信仰を互いに尊重する」と語る光照院の吉水岳彦住職
 簡易宿泊所が密集し、貧困や障害といった多様な背景のある人々を受け入れてきた山谷では、亡くなった時に 身寄りがないまま無縁仏となる人が少なくない。故郷の親類縁者と音信不通になった人や、死のうと思ってこの地にたどり着いた人、アルコール依存などで家族と絶縁した人もいる。
 そうした中、山谷で活動するキリスト教にゆかりが深い困窮者支援団体が、お骨の受け入れ先のない元労働者の男性らの墓を光照院で作ることになった。その際に「宗教や宗派に関係なく、みんなで手を合わせられる対象がお寺にほしい」と考えた吉水さんが檀(だん)信徒の理解や協力を得て、2015年に整備したのが観音像だ。
 名称には住居表示から消えた「山谷」の地名を残した。「跡継ぎがおらず墓を継承できない」といった檀信徒からの相談もあり、観音像の下部には共同墓「みんなの墓」を設けた。
 元労働者らの居場所を運営するカトリックのシスター中村訓子さん(80)は、最も足しげく参拝する一人。縁のあった多くの人のお骨が「みんなの墓」に眠っている。「ここで故人の思い出を語り合っていると、みな自分が亡くなっても祈ってもらえると思える。世の中に捨てられたと思っていた人も、この地で生まれたつながりの中で、命の証しが残せる」と思いを語る。
 8月に行われた仏教とキリスト教の合同慰霊祭。山谷の福祉関係者らによる「『山谷』地域ケア連携をすすめる会」とNPO法人「自立支援センターふるさとの会」が実施した。
 吉水さんと中村さんらは地域の祭りなどでも、仏教とキリスト教の合同慰霊祭を開いてきた。「それぞれにとって大切な信仰を互いに尊重し、大事にする。それは当たり前でシンプルで大切なこと」と吉水さん。社会から「不要」とされた人々が助けたり、助けられたりしながら共に歩んできた地域の歴史に触れ、「山谷だからこそ、それができるんです」と大きくうなずいた。

<山谷(さんや)> 台東、荒川両区にまたがる地域。戦後に被災者のテント村がつくられた後、簡易宿泊所が整備された。労働需要の増加で全国有数の日雇い労働市場「寄せ場」となり、東京五輪前年の1963年には約1万5千人が宿泊所で生活した。バブル経済崩壊後は路上生活を余儀なくされた人が急増。現在は宿泊所に約3千人が暮らし、平均年齢は67・5歳、約9割が生活保護を利用する。「山谷」という地名は66年の住居表示の施行でなくなった。
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