友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

男の涙

2012年01月29日 19時27分31秒 | Weblog

 目がかゆい。眠っている時にかゆくなるみたいで、眠りながらも自分で目をこするから、かゆくなって目が覚めてしまう。こんな寒い時に花粉症でもあるまいと思いながら、洗面所で目を洗う。その時、そういえば眼科でもらった目薬がまだ残っていることを思い出した。「アレルギー性眼炎ですね」と言われて出された目薬だ。袋を見ると昨年の1月18日と書かれている。こんな冬にと思ったけれど、やはり規則正しく同じ時期に罹っている。眼炎には心因性はないのかと、昨年の手帳を調べてみたけれど、楽しいことはあっても嫌なことはないようだから、やはり気持ちが病気の原因ではないらしい。当たり前のことか。

 

 眼炎には涙を流すのが一番よいと思っているわけではないけれど、最近は涙を流すことが多い。今日は日曜日で、『カーネーション』の放送はないが、その代わりに『のど自慢』でしっかり泣いてしまった。泣くと言ったけれど、オイオイと声を上げて泣いているわけではなく、ニコニコ笑っているのに涙が勝手にあふれ出てくるのだ。涙腺と鼻水はつながっているから始末が悪い。テッシュを目に当て続いて鼻をかむことを繰り返している。どういう場面になると涙が溢れてくるのかと振り返ってみると、大方は頑張っているなと思う時だ。何かを成し遂げようと努力している人、目的を達成した人、それを支えた人、こんなことに感動しているのは、もう自分にはそうしたことがないなあーと思うからなのかも知れない。

 

 女子ソフトボール日本代表の監督だった宇津木妙子さんは、「私は、人前で泣くことはほとんどありません」と述べていた。「トップの人間が仕事の場で、感情にまかせて泣くべきではない」とも言う。「悔しくて泣きたくなると、走りにいきました。涙は風が自然に拭いてくれます。そうやっていろんな思いも流します。泣きたいけれど、見せない。努めてそうするのはすごく孤独です」。政治家の鈴木宗男さんはよく泣く。「いいじゃないですか。うれし涙、悔し涙。涙は悲しい時だけ出るんじゃないんです。涙は人間の最高の感情表現なんです」と開き直っている。家族から「人前で泣かないで。男の中の男、強いところを見せて」と言われるそうだ。厚生労働省の村木厚子さんは決して泣かず無実を主張したが、事件を知った鈴木宗男さんは泣いた。「涙は重く、尊い。愚直で正直であることの証明でもあります」とも言う。

 

 鈴木宗男さんよりも4つ年上の私は、「男子厨房に入らず」と男の威厳を保つ中で育った。「男は泣く者ではない」と明治初期生まれの祖父はよく言っていた。母は感情的な人だったから喜んでも悲しんでも泣いたが、父は表情を見せない人だった。東京工業大学のロジャー・パルバースさんは日本文化の研究者で、「江戸時代までの日本の男はよく泣きました」と話す。それが明治になって西洋に追いつき追い越せと、「イギリスのビクトリア期の風潮をまねて、男は涙を見せるなとなった」と言う。ビクトリア期は大英帝国を維持するために、若い公務員や軍人を植民地に送って困難な生活に耐えさせる必要があった。寄宿舎のある学校で、自立を求め、体罰やいじめに耐えられる、泣かない男を理想としたのだ。「帝国主義が男から涙を奪った」と説く。

 

 アーン、アーン泣くのはみっともないが、ボロボロ泣くのはまあいいか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 物事を極める人が昔から居た | トップ | デビット・ピアフと孫娘 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事